熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

平安な日常生活がどれ程有難いか

2025年02月05日 | わが庭の歳時記
   私は、寒いけれど、天気の良い日には庭に出てひと時を過ごす。
   咲いている花木や訪れてくるメジロやシジュウカラと対話をするのである。
   時には、シベリアから来たジョウビタキが、木々をはしごする。

   紅梅に遅れて、白梅も咲き始めた。
   綺麗な花がびっしりと咲いているので、今年は梅も豊作かもしれない。
   


   日本スイセンも咲いている。
   ヤツデも蕾を開き始めた。
   まだ、椿はタマグリッターズだけだが、タマアメリカーナやタマカメリーナなどのタマ兄弟が色づいてきている。
   





   さて、私は、江の島にほど近い鎌倉の片田舎で、明るい陽光を楽しみながら平安なひと時を過ごしているが、日本の各地では、異常な厳寒で大雪のために大変だというニュースが、連日テレビのトップで、報道されている。
   先の大地震以降、幸い、被害から遠ざかっているので、助かっているのだが、つくづく、平安な日々の幸せをかみしめている。

   中東やウクライナの紛争、アフリカやミャンマーの内戦、アフガニスタンや多くの独裁専制国家での抑圧された人々の苦しみ、そして、飢餓状態にある貧困国家の人々、
   いや、そんな目に見える状態だけではなく、我々の身近にも、色々な不幸や運命の悪戯、ボタンの掛け違いや心の迷い等々、自分には責任のない色々な原因が悪さをして悩み苦しんでいる人々が沢山いる。
   その不幸を思うと、自分自身、必ずしも問題なく万々歳とは言えない身ではあるので、中くらいの幸せだと思うけれど、平々凡々だが85歳の平安な老いの生活も、まあまあと言う感じで過ごせているのが無性に有難く嬉しい。

   この鹿児島紅梅、
   オリジンは鹿児島であり、何かの縁で、わが鎌倉の庭に咲いている。
   春の息吹が胎動し始めると、毎年、無心にきれいな花を咲かせて喜ばせてくれる。
   しかし、ガザやウクライナの路傍の花を思うと、胸が痛む。

   運命は、どうしようもないものなのであろうか、それとも、自分で変えられるものなのであろうか、この歳になって考え込んでいる。
   


コメント
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