熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

台頭するブラジル(仮題 BRAZIL ON THE RISE)(7)人種的なパラダイスと言う神話~その1

2011年04月25日 | BRIC’sの大国:ブラジル
   ブラジル人は、自分たちの国を人種差別のない人種的民主主義の国だと考えるのが好きで、世界中にこの考え方を、これ宣伝に努めて来た。
   実際にも、米国、南ア連邦、マレイシアなどの代表がやって来て、どうすれば、ブラジルのように、人種的な緊張やトラブルなしにやって行けるのか調査したり、米国の社会学者が、ブラジルには人種主義などは存在しないとする教科書を書いて、世界中の大学で教えられていた。
   しかし、ブラジルの本当の人種問題は、もっと、複雑で、ブラジルの美しさや、人々の温かさや、或いは、白人のブラジル人が殆ど人種問題を語ったり考えたりしないのに魅せられた一般外人訪問者が感じるほど、単純なものではないと言うのが、ローターの考え方である。
   プライドの問題以上に、人種は、ブラジルの秘密であって、隠れた恥だと言うのである。

   ブラジルには、2億人のアフリカ系の国民が住んでいて、海外では勿論最大であり、アフリカでもナイジェリアに次ぐ人口である。
   ブラジルでは、「アフリカの末裔」と称されて、国民生活の重要な局面から疎外されており、実際の日常での生活において差別を受け、最も重要な社会的指標において最下層にラック付けされている。
   大都市の犯罪が多い貧民窟ファベーラにおいては最大の人口集団であり、黒い肌をしたブラジル人は、警官に殺される確率も高く、賃金は低く、寿命も短く、教育機会も白人よりはるかに少ない。

   ところが、ブラジル人は、この異常な不平等・不均衡を認めているのだが、ブラジル社会に根深く存在しているこの不平等は、人種の為ではなく、階級格差によるものだと言うのである。
   ブラジルは、伝統的に、世界でも類を見ない程所得や富の所有格差が激しく歪んだ国であり、一握りの白人ブラジル人がピラミッドの頂点に立つものの、人口の大半が黒人系ブラジル人であるから、黒人が貧困層の大半を占めるのは当然で、肌の色ではなく、階級差別と偏見の犠牲だと言う。
   しかし、現実には、豊かで学歴の高い黒人ブラジル人であっても、貧しい白人ブラジル人が享受しているような特権さえ与えられなくて、色々な差別的待遇や扱いに泣いているのが、現実のブラジル社会なのである。

   尤も、現実の日常生活では、人種的な寛容や親睦関係において、少し、ニャンスが変わってくる。
   ブラジルでは、人種間の垣根を越えた結婚が比較的多くて、それが、階級が下がって来ると益々頻繁となる。貧しい白人が、貧しい黒人とが軒を連ねて生活していることが多いからでもあるが、豊かなもの同士では、こんなことは殆ど有り得ない。
   また、実際の日常生活においても、カーニバルは勿論、仕事場やアフターファイブにおいても、白人黒人入り混じって、飲み食い語り、生活を共にしている光景が普通に見られて異常でも何でもない。
   この日常生活での人種的こだわりの無さは、私自身、アメリカに2年、ブラジルに4年、住んでいたので、ローターの指摘は、確かにそうだと思う。
   アメリカでも、私が住んでいた頃には、まだ黒人差別が激しかった。この国は、法治国家であり民主主義的な政治が進むと、勢い、法律や社会制度上、差別がどんどん撤廃されて平等化して行く。
   しかし、ブラジルの場合には、法や社会制度の民主化など遅々たるもので殆ど期待できないので、どうしても社会的に根深く息づいている因習や制度、価値観などが、一朝一夕に変る訳がなく、社会的制度上は、黒人差別が徹底的にビルトインされて染みついているものの、実際生活は、如何にも現実的だと言うことであろうと思う。

   面白いのは、アメリカ人と違って、白人も含めて、一般的にブラジル人は、カーニバルや音楽や料理などに、自分たちの国のアイデンティティやポップ・カルチュア―にアフリカ・オリジンの要素があるのだと言うことを、認めるのにそれ程抵抗を感じていない。
   例えば、アメリカでは、ジャズは芸術かどうかなどと大真面目に議論するなどアフリカの影響を認めたがらないのだが、ブラジルでは、カーニバルが、アフリカとヨーロッパ中世の慣習の混交であることを自明であると思っており、白人たちも、アフリカ讃歌であるサンバを何の躊躇もなく歌っているのである。

   さて、ブラジルには、日系ブラジル人など、世界中から多くの移民が集まっており、人種の坩堝と言うべき人種民族混交のマルチ国家であるが、実際には、人口的には、原住民のインディオを含めても、夫々極めて少数のマイノリティであって、ブラジルでの人種問題は、あくまで、白人と黒人との間の問題なのである。

   私たちが、ブラジルに大挙して行ったのは、1970年代のブラジルブームの時であって、先進工業国日本からの企業進出であるから、日本人に対する人種差別は、それ程なかったであろうし、私自身も、あまり感じたことはなかった。
   尤も、一度だけ、秘書が、役所への提出書類に、私の人種欄に、白と黒の区分だとと考えてブランコ(白)と書き入れたところ、アマレロ(黄色)と訂正されて突き返されたことがあった。調べもしないで、日本人の名前だから、黄色人種だと言うことである。
   現実には、NHKで放映された「ハルとナツ 届かなかった手紙 」で、その片鱗が見えるのだが、多くの日本人移民は、大変な迫害や差別を経験させられたようで、私も、そんな苦難の生活経験について、サンパウロで聴く機会があった。
   レストランに入ったら、ハポネの来るところじゃないと罵倒されて叩き出されたと言っていた人もいた。
   何故、日本のTVのコマーシャルは、白人のモデルを使うのか、バカじゃないかと、日系ブラジルの友人に言われたことがあった。

   しかし、日本人移民たちは、必死になって頑張って活路を切り開いてきた。
   いくら貧しくても、子供たちに教育を付けるために学校へ行かせたお蔭で、人口1%にも満たない日系人が、最高学府のサンパウロ大学の学生の10%以上を占めるなど、その教育水準の高さと勤勉さを示した。そして、日系ブラジル人が、原野を開墾して生み出した野菜や果物など農作物が、如何にブラジルの生活文化を豊かにしたか、柿をカイゼイロと言うのもその名残で、結局、実力を示すことによって、人種差別を突破して来たと言うことであろう。
   私は、この血を分けた日系ブラジル人と言う貴重な存在が、日本の将来を切り開くための最も貴重な財産であり、BRIC’s展開への最も信頼に足るパートナーであると同時に、最高の架け橋だと思っている。
   
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台頭するブラジル(仮題 BRAZIL ON THE RISE)(6)~赤道下 罪と救い(その3)

2011年04月01日 | BRIC’sの大国:ブラジル
   これまでに、ブラジルは、貧しい人々や下層階級には厳しい階級社会だと言うことにふれたが、ローターは、英語には、第二人称にはyouしかないが、ブラジルには、比較的インフォーマルなtuと、同等間で使うvoce、そして、もっとフォーマルなo senorとdoutorの使い分けがあると語っている。
   勿論、ドイツ語でも、二通りの呼称があり、日本語などでは、数えきれないほど種類があるので、異常だとは思えないが、ブラジルの場合には、この使い分けが、はっきりと身分を示していることは間違いない。
   この最後のdoutorだが、例のドトール・コーヒーのドトールで、これは、創業者がブラジルに住んでいた時の住居がドトール○○○通りにあったので借用したと言うことだが、英語で言うdoctorである。
   面白いのは、実際に博士号を持っている人を差すのではなくて、大卒やそれ相応の豊かな人に使う敬語のようなもので、名前の前に着けて呼ぶのである。
   私などは恥ずかしくて困ったので、博士ではなく修士だからと秘書に釘を刺したのだが、立派な米国製MBAであり社長なのだから当然ですと言って譲らず、外部への対応で、ドトール・ナカムラで押し通していた。

   ところで、ブラジルの宗教は、カソリックで、人口の85%がそうだと言う。
   しかし、沢山の移民が混在しており、特に、アフリカ移民の土俗宗教と結びついたマクンバ、カンドンブレ、ウンバンバと言ったアフロ・ブラジリアン信仰の影響も色濃くブラジル文化文明に息づいていると言う。
   私は、宗教的な知識が乏しいので、本件への深入りは避けて、ローターが、カルビニズムと比較しながら論じているので、この点にだけ触れてみたい。

   カソリック教とマクンバ、そして、その影響の強い考え方が支配的なので、ブラジル人には、カルビニズムやその価値観や心情は皆無である。
   したがって、ブラジル人は、カルビニズムのように禁欲的なモラリストではないので、利益や富は、暴利と利己心のダブル罪業の成果であって、徳行でも奉仕や犠牲的行為への報酬でもないと考えている。
   あらゆる罪は、祈りを捧げたりお供え物をしたりして悔恨の情を示し、聖職者に告白さえすれば許される。
   こう言う意識だから、罪を犯しては赦罪、罪を犯しては赦罪の繰り返しで、ブラジルで、チコ・バルクの歌「Sin Doesn't Exist Below the Equator」がカーニバルで歌われ続けるのも当然であろう。
   これが、この章のタイトルでもあり、ブラジル人の典型的な罪業と赦しの哲学であり人生観だと言うのである。

   謝罪や赦しと言う感覚は、ブラジル人が、自分たちの国民性の中でも最もポジティブな特質だとする寛容性toleranceと密接に関係している。
   この考え方は、他人の欠点や特異体質に対してではなく、法律に対する違反や妨害に向けた寛容だと言うである。
   ポップスターやサッカー選手が、スピード違反を犯して、スポーツカーで道の露天商や子供を轢き殺しても、すぐに釈放されて、ジェイル入りなどあり得ないし、政治家が汚職をしても、そんなことはすぐに忘れられて次の選挙で返り咲くと言うのである。
   これは、仮定の話ではなく真実で、ニクソンの場合には永久に政治生命を断たれたが、1992年に弾劾されたフェルナンド・コロール・デ・メーロ Fernando Collor de Mello大統領などは、2006年には、国会議員に復活したが、ブラジルには、こんな汚職国会議員は他にもいると言う。

   アメリカには、第二章はなく一回限りだと、ローターは言うのだが、徹頭徹尾アングロサクソン流の思想の持ち主である著者の視点から見れば、このブラジル流の罪と赦しの考え方は、全く相容れないであろうし、コモンローで培われたヨーロッパの成熟社会の価値観から言っても、遅れた社会だと言う烙印は、免れないであろう。
   しかし、このラテン的な思想や哲学、或いは、人生観と言うのは、形を多少変えながら何らかの形で、南欧のラテン諸国にも残っており、現在、支配的な文化文明の価値観を基準にして判断して黒白をつけることが正しいのかどうか、大きな長い人類の歴史の潮流に照らして考えた場合には、公平を欠くのではないかと言う気がしなくもない。
   例えば、中国の外交政策について、ならず者国家との積極的なアプローチについて批判があるが、これは、ある意味では、アメリカが覇権を握って築き上げた支配的な世界観・価値観を基準として論じているので、そうなるのだが、果たしてアメリカの外交なり国際政治が正しかったのかどうかは、今、北アフリカや中東の動乱で危機と試練に立っているように、大いに?マークを付けて考えなければならない問題なのである。
   何となく、この章では、ローター説に引っ張られてブラジル社会の後進性(?)を強調してしまった印象だが、ある意味では、そんな自由奔放で楽天的なラテン気質であるが故に素晴らしい音楽や芸術、ファッション、文化などの素晴らしい遺産が生まれ出るのだと言えるのではなかろうかとも思っている。
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台頭するブラジル(仮題 BRAZIL ON THE RISE)(5)~赤道下 罪と救い(その2)

2011年03月21日 | BRIC’sの大国:ブラジル
   前回論じたjeitoの延長線上にあるブラジル人の特質は、アミーゴ社会と言う形で集約されていると思うのだが、この社会は人間関係が重要な役割を果たすので、どうしても俗人的な要素が強くなり、個人の利害が優先して順法精神に欠るなど独特な社会を形成する。
   フェアで公正な遵法社会を志向するアングロサクソン文化を背負ったローターから見れば、相容れない価値観であり、これ程までに極論する必要があるのかと思うほど、辛辣なブラジル気質批判をしているのだが、確かに、ブラジル人の真実でもあるので、この見解を敷衍しながらブラジル社会の非常に興味深い一面を展望してみたい。

   まず、復習だが、jeitoを合法化した役所関係の許認可を取る時に便利な機関が、デスパシャンテと言う代理店である。
   同義の英語のdispatcherを引くと、列車などの配車係、運行管理者と言うことのようだが、何がしかの規定料金を支払えば、何でも、代行して許認可を取得してくれる民間の便利な代理店で、ローターは、たとえ運転が出来なくても、試験を受けたり正規の手続きを踏まなくても、デスパシャンテに金さえ払えは、運転免許証が即座に手に入ると説明している。
   私の場合には、何十年も以前のことだが、日系のデスパシャンテを使って、ブラジルの永住ヴィザを取得した。そうでないと、仕事が出来なかったのである。イギリスの時には、正規の規定通り法令に従って申請して取得した。
   良く似たアメリカにあるブローカーの存在だが、例えば、アパートなどを探す時などに、必ず必要とする仲立ち人で、この場合は、全く新規の当事者、時には異民族異人種の全く顔の見えない人間間の取引を、中に立って円滑に進めるための機関であって、何処へ行くのか分からないような金を取るブラジルのカウンターパートとは全く質が違う。

   ローターは、ブラジル人の生活における、家の中と街頭での行動規範のギャップの大きさについて、フェアであり、機会の平等を志向し、公平を旨とするアングロサクソンの社会と比べて、その落差の大きさに言及している。
   ブラジルの家の中、身内と言う場合には、一族郎党を差すのだが、男女年齢に応じて役割を果たしながら、血縁、愛情、相互扶助、犠牲の共有などによって共同で自分たちの繁栄幸福を求めて行動するのだが、一方、一旦外に出てパブリック・ライフに入ると、平等主義とは程遠く自分勝手、ネポティズム、差別に支配されて、自分たちの利益のために行動し、社会全般の厚生などは全く無視して、自分たちの仲間の損得のみが関心事であるから、役所などは、公共の保護のためにあるのではなくて、自分たちの利得を得るためにある機関だと考えていると言うのである。

   このような傾向は、政治やビジネスの世界でも同様だと言う。
   グローバリゼーションの拡大で、多少変わりつつあるが、元々、ブラジルの大企業は、家族所有や一族経営が多いし、政治に至っては、多くの場合、いまだに、ファミリー・アフェアで、ブラジル東北部やアマゾン地方では、極めて顕著である。
   特に、前大統領のジョゼ・サルネイとその一族の政治的ボス支配を例にあげて批判している。社会の近代化につれて多少は非難されてはいるが、今でも依怙贔屓行政が存続しており、権力者が、平等の原則に基づいて行動ししていると考えるのはばかげていると言う。
   ポ語の諺に、”Aos meus amigos, tudo, aos mews inimigos o rigor d lei"と言うのがある。「わがアミーゴのためには総てを、わが敵のためには法の励行を」と訳せばよいのであろうか、アミーゴの利益のためには総てOKだが、しかし、敵には、厳正な法の執行と締め付けを課して徹底的に痛めつけると言うことだろうと思うのだが、これが、上は大統領から下は街角の警察官まで、権力を持った人間を導く原則であると言うのである。

   高い身分に十分な友人を持ち、jeitoを活用する能力があれば、法律を回避するのは至って簡単。
   法令文書にどんなことが書かれていても、例外規定はいくらでも見だし得るし、法違反は見逃される。
   法の完全執行や励行は、権力や権威に挑戦する権力者の敵に対してのみ適用される。
   それに、多くのブラジル人は、法律は、権力と威圧の手段であって、正義公正の手段ではないと考えている。
   したがって、法に従うのを避けようとしたり、出来るだけ逃げようとするのは、プライドの問題であり、義務だと言うことで、法が、自分たちの個人的な目的や利益に反する場合には、特にそうだと言うのである。
   大企業でも、法で決められている当然の義務である従業員のための社会保証や健康保険負担金を政府に支払わない会社があるらしい。

   法は、行動を規制する規範ではなく、単なる理想と良き意思への表現であると言うのであるから、憲法に至っては、世界のどこにもないような、あらゆる国民の人権を保障するとする最も寛大で進歩的なものなのだが、貧しい人々や差別に苦しむ人々に福音となる筈の多くの人権擁護も、ただ単なる紙の上だけの記述だと言うのだから恐れ入る。
   法令義務であるにも拘わらず、これまでに、議会は、これらの憲法で保障されている権利を擁護するために予算措置を取ったことは一度もない。
   ブラジルでは、一般的な生活慣習と同様に、法の執行を宣言すると言うことは、実際に実行するのと同じであると言わんばかりで、誰もが、その約束が実行されないことを知っているので、真面目に受け取らないのである。
   平等を謳った超理想的な憲法があるにも拘わらず、最近まで、大卒が罪を犯しても、独房から解放されて快適な環境に置かれるとか、有名財界人のドラ息子が罪を犯しても罰されないと言ったことは日常茶飯事だと言う。

   ブラジルにおける、このような法令や契約と言った法制度・法体系の無視・軽視については、このシリーズの冒頭で、法治国家のニューヨークと、アミーゴ社会のサンパウロを対比させて論じたが、どちらの統治システムが、より適切で進歩的かつ民主的で、国民にとって幸せなことなのかと言うことは、政治哲学や価値観、或いは、文化文明論の問題であって、即断はできないことかも知れないが、非常に興味深い問題点でもある。

   ブラジルでは、暗くなれば、赤信号を無視して走る運転者が多く、リオでは、10時以降は、赤信号は、命令ではなく自由選択(optional)だと言うのだが、この交通信号と同じで、東京のように、車が全く走っていなくても赤信号が変わるのを待っている人のいる世界と、信号はあくまで参考の為にあるのであって、車のない車道を横切るのは自己責任の自由意志だとする外国(ニューヨークでも頻繁に人は車道を横切る)との違いのように、不謹慎かも知れないが、歴史的に培われて来た文化文明の差は大きく、時代の潮流とともに変化して行くものだと言う気がしている。
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台頭するブラジル(仮題 BRAZIL ON THE RISE)(4)~赤道下 罪と救い(その1)

2011年03月13日 | BRIC’sの大国:ブラジル
   ”SIN DOESN'T EXIST BELOW THE EQUATOR"と言うヒットソングが、ラジオのリクエストで人気を博し、カーニバルで熱狂する人々の間でも好んで歌われていると言う。
   恐らく私自身も何処かで聞いている曲だと思うのだが、「赤道下には罪など存在しない」と言う意味で、ブラジル人には、何をしても罪など有り得ないと言う如何にも楽天的な表現で、政治的な汚職や相手構わぬ性交渉などと言った道徳的な堕落などのエクスキュースや正当化する時の説明や皮肉っぽい言い訳に使われると言うことらしい。
   
   ブラジル人気質には、ヨーロッパとアフリカとインディオ土着民の価値観や習慣がユニークに入り混じっていて、人間と言うものは、欠陥だらけであり、不完全なものであるから多少のお目こぼしはあるのだと言う考え方で、ブラジルそのものが、非常に寛容な社会であると言うことである。
   したがって、宗教的な心情も他国と比べて多様性に富んでいて、性的な習慣もおおらかであり、特別な行為や行動パターンなどを取り巻く状況などについては十分に計算に入れて、赦し、贖罪、寛容を旨としていると言うのであるから、面白い。

   ブラジル人は、自分たちをthe cordial peopleだと思っており、cordialityを、個人のみならず国民的な特質であると誇りにしている。
   人間関係においてフレンドリーで温かいと言うことで、新参者も嬉しくなると言う。
   確かに、私の4年間の経験でも、これは実感しているのだが、当時、サンパウロ大学のサイトー教授が、ブラジル人は、初対面でも、相手を喜ばせるためには口から出まかせを言う傾向があると語っていたのを思い出す。
   パーティなどで会った初めてのビジネスマンでも、一度会話が始まると100年前から親しい間柄であるかのように話が弾み、何でも困った時には、訪ねて来いと言うのだが、行っても、アミーゴの国であるから相手にされる筈がないのである。
   それに、街角で道を尋ねれば、ブラジル人は誇りが高いので、絶対知らないとは言わずに詳しく教えてくれるが、いくら探しても、その場所には行きつけない。
   これは、ささやかな私自身の経験である。

   ローターは、ブラジル人は、フランス人のJoie de vivreを地で行く民族だと言う。
   Joie de vivreとは、 joie, "joy"; de, "of"; vivre, "to live, living"; "the joy of living"と言うことで、生きる喜びと言えば良いのであろうか、人生を享受すると言う意味合いの様で、ブラジル人は、明るく楽天的で好きなように生き、どんな小さなものにも美を感じ、この宇宙は、本質的に恵み豊かで、敵対するものではないと確信して、人生をエンジョイしているとする。
   「すべて終わり良し。何かが良くなければ、それは、まだ終わっていないからだ」と言う諺があるのだと言う。

   さて、この章で、まず、非常に興味深いのは、ブラジル語のjeitoと言う言葉である。
   葡語辞典を引けば、方法、手段、傾向、巧みさ等々の意味が表示され、葡英辞書を引けば、way, method, mannar等、しかし、何のことか分からないのだが、ブラジル語としては、極めて、意味深の単語なのである。
   ブラジルは、世界中から沢山の人々が集まって出来上がった2億人の人口の坩堝で、生活様式や心情など非常にバリエーションに富んだ異文化異文明遭遇の国なのであるが、しかし、日常生活を支える潤滑油のようなものが、このjeitoなのである。
   jeitoを持つと言うことは、何か器用で、素質、特性、才能などがあると言うことで、物事を上手く纏め上げたり解決すると言うことでもある。
   しかし、大抵は、ある目的を遂げようとする時に、邪魔になる法律や障害を上手く潜り抜けて物事を成就する技術のことを比喩的に言う。
   誤解を招くかも知れないが、早い話が、何かの許認可を得ようとすれば、強力な人コネを使ったり、多少のカネを握らせれば、上手く始末がつくというような例を考えれば分かり易い。何処の国でもありそうだが、ブラジルは、上から下まで総てに亘って徹底しているのである。

   ローターは、スピード違反で警官に捕まった時に、「何か、この問題の解決のためにjeitoはないですか?」と問いかけるべき話や、ピーク時間で客で込み合っているレストランで、コーナー席に座りたいと思ったら、案内係の手にカネを握らせれば解決すると言った例を、まず、あげている。
   私の場合には、時間的な余裕が取れずに自動車免許取得前に、サンパウロ大学構内で、ベテランの指導を受けながら練習していたら、そんな所で何の業務もない筈なのにそこを縄張りとしている警官に2回ほど捕まって、違反を咎められるのではなく、その度毎賄賂を請求されたことがあるし、リオからサンパウロの高速で、ネズミ取りに引っかかって、結構な額の領収書なしのマネーを取られた。
   罰金処理より、ポリスは、jeitoの方を好み、相手の金回りを判断して、請求金額を決めるのだと言う。
   日本からものを送って貰って税関(何でも税関経由)で受け取ろうとすれば、必ず、裏金を取られたが、逆に、金さえ払えば、結構、何でも望みどおりに事が運ぶと言う文化であるから、やり易いと言えばやり易いのである。

   ブラジルの多くの役所は、賄賂が利くか非能率であり、或いは、その両方であり、この官僚システムが、学校への入学登録からエタノール・サービスを得たり家を買うことまで、広く行き渡っているので、市民は、共同してお互いに助け合いながらことを処理すべく強いられていると言う。
   時には、不便な法律や状況を迂回することが、賄賂の現金払いやチップ、謝礼に直結しており、更に、違法行為をも促進している。
   ローターは、ブラジル人は、jeitoを発見して、問題を迂回処理する非公式の並行組織やメカニズムを作り出したのだと言う。
   好意を交換する、あるいは、好意を頼まれてその好意に応える一種の二重の人間関係を作り上げたのである。
   
   ローターは、ビジネスの場合の例として、1990年代の、電話架設の不都合について語っている。
   実際に架設されていた電話回線が非常に不足していたので、闇市場が暗躍したのである。
   この争奪戦が大変だったようだが、私の場合は、1979年だったが、事務所を閉める時に、取得する時は大変だったテレックス回線を、そのまま、懇願されたので日系企業に引き継いだ。勿論、日本人同士なので、jeitoなどは、ある筈がない。

   逆の不都合な例として、最近、日本のある団体が、反対派の画策であろうか、全く理屈にならないような理由で、その地域だけ特定して活動を禁止すると言う規則が出来たと言って業務を差し止められたと聞いたのだが、賄賂を掴ませれば、どんなことでもする官僚機構が、jeitoで動くと言うことが、果たして良いことなのかどうか、jeitoは、毒にも薬にもなると言うことである。
   法律・契約軽視のアミーゴ社会であるから、出る所へ出ての解決などあり得ないし、泣き寝入りするか、逆jeitoを画策する意外に方法がない。
   このような社会であるから、金持ちや権力者は、好き勝手なことが出来、貧しい人々を奴隷のように見下す傾向があると、ローターは、ブラジルの強者社会を活写しているのだが、このことは後述することとしたい。

   いずれにしろ、役所が、非能率非効率極まりない官僚機構である上に、仕事を食い物にしている公僕が、いまだに、ブラジルの役所に多くて、jeitoが、陰の役所の効率化を促進しているなどとローターは、説明しているのだが、やはり、長い伝統と歴史で染みついた国民気質と言うものは、一朝一夕に、解決できないものなのであろうかと、何十年も前の昔のブラジルでのビジネスを懐かしく思い出している。
   そう言えば、パラグアイでは、経済省の役人が、午後には、コンサルタント会社を経営し許認可業務を代行して、役所では、自分の作成したその書類にサインしていた、これなど、正々堂々としたjeitoの合法化であろう。
   とにかく、カルチュア・ショックの連続で、ラテン・アメリカでビジネスをしていて、東京本社に連絡したら、「馬鹿も休み休みに言え」と叱責されたことが何度もあった。
   インターナショナル・ビジネスは、難しく、これで金儲けしようとするのは、大変なことなのである。
   

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台頭するブラジル(仮題 BRAZIL ON THE RISE)(3)~ブームと破裂の歴史(その2)

2011年03月06日 | BRIC’sの大国:ブラジル
   ブラジルの木が、消費尽くされると、16世紀後半には、ヨーロッパ人の拡大する嗜好を満足させるために、砂糖が栽培され、他の新植民地との競合で値が下がるまで隆盛を極めた。
   続いて金鉱が開発され、更に、19世紀に入ってからは、コーヒーがブラジル経済のバックボーンを支え、1880年から1920年までは、ゴムがブラジル経済を隆盛に導いた。
   経済が多角化するまで、20世紀の殆ど後半まで、このようなモノカルチュア的な経済サイクルが続いて来たと言う。

   この間、北のペルナンブコと南のサンパウロが繁栄したようである。
   面白いのは、ポルトガル人の女性入植者が少なかったので、移住者のリーダーたちは、セックスアピールに負けて、原住民の族長の娘たちと結婚したのだが、このことが、原住民たちとの同盟関係を維持すると同時に、労働力の確保ばかりではなく、新しいポルトガル人入植者へのブロックになったと、ルーターが指摘していることである。
   当初は、黒人奴隷との混血が主体だったのだが、ブラジルには、このようにインディオとの混血であるメスチーソも存在しており、正に、人種的な混血がブラジル文化や社会の特徴であり、あらゆる分野に色濃く息づいている。
   後の「人種的パラダイスと言う神話」と言う章で、ブラジルの混血、異種族混交文化の光と陰について論じることにするが、今でも、ブラジル人は、実のところ、当時の隠れた暗部の起源や性と階級の混交を認めたがらないと、ローターは指摘する。

   ローターのもう一つ興味深い指摘は、1549年に、新世界の封土が不足を来してきたので、ポルトガル王朝は、ペルナンブコとサンパウロを除いて、全ブラジルを王家の支配下に置いて、トメ・デ・ソーサを初代の総統治者Governor General)に任命して、サルバドールを新首都にして統治させたのだが、このソーサが築いた政治経済社会システムが、良くも悪くも、今日のブラジルの特質を形成する端緒になったとしていることである。
   彼は、事務官、書記、検査官、登記官、その補助者たちの一団を引き連れて来航したのだが、彼らは、すぐに、職務に謀殺して、賄賂を抜き取り、えこひいきする、親族重用主義習慣を醸成するような官僚主義制度を作り上げてしまったのだと言う。
   ブラジルの歴史学者たちは、この時こそが、この国の歴史的な問題である汚職と官僚の非効率を生み出した瞬間であり、植民地の拡大と、人口の増加とともに、益々状況が悪化し、今日においてもブラジルを苦しめ続けていると指摘していると言うのである。
   この政治経済社会体制の後進性や社会上層部の腐敗やモラル欠如などの問題は、今でも、BRIC's 諸国何処の国においても色濃く残っているアキレス腱であり、先進国企業にとっては、最大のカントリーリスクの要件でもあるのだが、ブラジルの場合の起源が、植民地政策の為政者たちのGREEDにあったとは面白い。

   南および中央アメリカ大陸で、ブラジルだけが、ポルトガル領で、他の中南米諸国はすべてスペイン領なのは、トリデシリャス条約によって、西経46度37分を境にして両国で南米大陸を東西分割支配した結果である。
   ウイキペディアによると、同条約は、次のとおりである。   
   ”トルデシリャス条約( Tratado de Tordesilhas)は1494年6月7日にスペインとポルトガルの間で結ばれた条約で、当時両国が盛んに船団を送り込んでいた「新世界」における紛争を解決するため、教皇アレクサンデル6世の承認によってヨーロッパ以外の新領土の分割方式を取り決めた。
本条約において西アフリカのセネガル沖に浮かぶカーボベルデ諸島の西370リーグ(1770km)の海上において子午線にそった線(西経46度37分)の東側の新領土がポルトガルに、西側がスペインに属することが定められた。名称の由来は、条約が批准されたカスティージャのトルデシリャスの地名からとられている。”
   しかし、実際には、その後、バンデイランテスが、奥地に踏み込み、マットグロッソやアマゾナスなど西に開発して新領土を広げている。
   私が、海外旅行の途路、丁度フォークランド戦争で、アルゼンチン大統領が、サッチャーに対して、南極にほど近いフォークランドの領有権を、このトリデシリャス条約を引き出して抗弁しているのを聞いて、興味深かったのを覚えている。

   しかし、いずれにしても、あの吹けば飛ぶようなヨーロッパの小国ポルトガルが、木端のような船で、一番最初に海外に雄飛して新大陸発見時代の幕開けを告げたのであるから、そのフロンティア精神と冒険スピリットには恐れ入る。
   リスボンのベレン港の公園の片隅に、エンリケ航海王と冒険者たちの群像の彫刻が立っていて、その傍の広場にタイル張りの大きな世界地図が描かれていて、各国のあっちこっちに年代が記入されていて、たしか、発見と表示されていたと思うのだが、歴史の不思議をつくづく感じて興味深かった。
   ピンクやグリーン、イエローやブルーと言った派手なペンキ塗りのマッチ箱のような家々がびっしりと並んでいるリスボンの家並みを見て、そっくりに作られた旧市街のサルバドールの街並みを思い出して感慨一入であった。

   ところで、このブラジル天国の豊かさを目に付けて、オランダやイギリスなどの列強がブラジルに挑んだが、それよりも、本国のポルトガルが、スペインに支配されたり、王朝が本国を離れて、一時、ブラジルに移ってくるなど、ブラジルの歴史の浮き沈みも面白い。


   
   
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台頭するブラジル(仮題 BRAZIL ON THE RISE)(2)~ブームと破裂の歴史(その1)

2011年02月27日 | BRIC’sの大国:ブラジル
   アジアへ向かっていたポルトガルの探検者たちが、1500年4月22日に、辿り着いたのは南米大陸の北東岸。真っ赤にピカピカに顔を染めたインディオを見て、その顔料が「ブラジルの木 Brazilwood」から抽出されているのを知って、利に敏いポルトガル人は、ベルベットのような高級織物の染料に恰好だと目を付けた、これが、ブラジルの国名の起こりだと言う。
   その時、同行のジェスイットの牧師が「この地球上に天国があるならば、正に、ブラジルこそ、その天国だ。」と言ったと言うほど、ブラジルは、神の恵みに溢れており、木材、貴鉱石、宝石から、砂糖、コーヒー、大豆は勿論、現在では、膨大な石油やガスまで発見され、正に、開発されない程豊かな天然資源に恵まれた国である。
   「昼間に人間が壊しても、夜に神様がすべて元通りに直ししてくださる」と言うブラジルの諺がある程だから、ブラジル人は、楽天主義で、時には無防備なほど無思慮である。
   しかし、それを良いことにして、ブラジルの権力を握ったエリートたちは、貧しくて弱い労働者や奴隷を踏み台にして、自分たちの富を築き続けて来た。

   こんな書き出しで始まるラリー・ローターのブラジル論だが、奥方はブラジル人で、14年間もニューズウイークの特派員としてリオに住み、後にニューヨーク・タイムズのビューロー・チーフとして健筆をふるう文化担当記者であるから、政治経済に特化した従来のブラジル論よりも、もっとブラジルの歴史・文化・文明など深層に入り込んでの遠大なレポートなので、最初から最後まで、非常に興味深い。

   まず、面白いには、植民地開拓に対するポルトガル人のアプローチを、競争相手のスペインのそれと対比して説明していることである。
   スペインのコンキスタドールたちは、メキシコのマヤ、ペルーのインカ、中央アメリカのアズテックと言った帝国を皇帝を倒すことによって征服して、金銀財宝を奪って本国に送ったのだが、ポルトガル人は、ブラジルには、そのように中央集権化し組織化された原住民が居らず、抵抗も弱かったので征服がままならず、また、金銀と言った財宝よりも、むしろ、インディオとの交易に興味を持っていたと言う。      
   また、本国が小さかった所為もあり、王族も、ブラジルの木栽培から多少手を広げた程度で、土地所有権を保持しながら、ブラジルの領土を、資本家と協力して開発を希望する投資家や貴族に、独占的使用権を与えて開発させると言う、いわば、一つの巨大な企業形態を形成して開発を進めたのである。
   
   ところが、この動きが急激に発展して、世襲制のCAPITANIAS、すなわち、あらゆる管轄権を持った一人の統治権者が独占支配する管轄区(植民区)のようなシステムが出来上がり、その所有権者が、開発希望者に、管轄区を分割支配(その封土は、ポルトガルより大きい場合がある)する形態が取られて開発が進んで行った。
   この大土地所有制度と寡占的土地所有形態が、形態が変わっただけで、現在も実質的に継続したまま現存しており、社会的不平等と格差の問題や、資源の乱開発と言うブラジルの深刻な病根の元凶となっていると言う。
   
   問題は、この大土地植民区を如何に開発すべきかだが、スペイン支配のラテン・アメリカには、沢山のインディオが居たので労働力に不足はなかったが、ブラジルの場合には、ポルトガルとの交易で文明の機器などを手に入れたインディオは取引に興味を失って奥地に入ってしまったので、広大な土地を開発するために、アメリカのように、アフリカから、黒人奴隷を輸入なければならなかったのである。
   ラテン系は、混血にはあまり拘らないので、スペイン系ラテン・アメリカには、白人とインディオの混血メスティソが、そして、ブラジルには、白人と黒人の混血ムラート(あのカーニバルで魅力的な女性はムラータ)が多いのは、この移民政策の所為である。
   ブラジルにおいては、CAPITANIASにおいて、膨大な黒人やインディオ達が、奴隷労働(slave labor)として、非人間的な過酷な労働を強いられて搾取に搾取を重ねられて、ブラジルの開発が進められて来たのである。
   ローターは、このブラジルの奴隷制度は、アメリカが四半世紀前に終えているのに、1888年まで継続し、そして、21世紀の今も、人種差別、貧困、社会的差別、社会的排除などのマイナス遺産として残っており、ブラジルにとっては最悪の呪いだと言っている。
   
   もう一つローターが指摘しているポルトガル人の植民の特色は、金を儲けてすぐに帰国しよう感覚(The get-rich-quick menntality)が、破壊的な習慣と歪んだ経済開発を引き起こしたと言う。
   元々、自分の所有地ではないから、出来るだけ多く金を儲けて出来るだけ早く本国へ帰ろうというメンタリティであるから、土地や自然を大切に保護して使用しようと言ったインセンティブが働かなかったので、乱開発が常態であった。
   大西洋岸の熱帯雨林は破壊されて、国名に由来のブラジルの木も取り尽くされて、今では、植物園にしかない。
   このような近視眼的な行為が、今日のブラジルを苦しめているアマゾンの破壊的乱開発の元凶であると言うのである。

   このようなブラジルのブームと破裂の繰り返しパターン(boom-and-bust pattern)は、歴史上延々と続く。
   黒人がどのようにしてブラジル社会に同化して行くのかと言った問題をアメリカとの対比で考えたり、CAPITANIASシステムが地方のボス政治の蔓延を来たし如何にブラジルの政治をスキューして来たかなどのブラジルの陰については、後ほど検討することとして、今回は、このくらいにして、次に譲りたいと思う。
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台頭するブラジル(仮題 BRAZIL ON THE RISE)(1)~未来の国と言われ続けて

2011年02月20日 | BRIC’sの大国:ブラジル
   このラリー・ローターの新著「BRAZIL ON THE RISE」だが、勃興と言うよりも台頭と言う方が適当だと思うので、タイトルを「台頭するブラジル」で通す。この本の章を追いながら、未熟を承知で、私自身の理解の範囲で、私のブラジル観を展開してみたいと思っている。
   私のブラジル経験は、先のブラジルブーム時期の4年間のサンパウロ在住と、永住ビザを持っていたので、その後、更改のための渡航でプラス10年くらいの接触だが、傍目八目で、世界中を駆け回っていた生活を通しながらブラジルを傍観し続けていたので、かなり、客観的に、BRIC's大国ブラジルを語れると思っている。

   私自身は、米国製MBAであり、英蘭をベースとしたヨーロッパ生活が長かったので、経済や経営学については、アングロサクソン系の影響が強いのだが、ヨーロッパで、フランスやスペインなどラテン系の国での仕事を通して、ラテン系との文化文明、そして、ビジネスの違いを痛い程経験してきた。
   尤も、その前に、ポルトガル人によって建国されたラテン気質の色濃いブラジルで、強烈なカルチュアショックの洗礼を受けていたので、ラテン・ヨーロッパでもそれ程困らなかったのだが、ブラジルの偉大さも、そして、その光も陰も、背後にあるラテン系の歴史と文化文明、そのバックグラウンドを理解しなければ、本当の姿は分からないのではないかと思っている。
   アメリカ人であるローターから見れば、法律と契約の法治国家であるアメリカと、何よりも人間関係を重視するアミーゴ社会のブラジルとの、謂わば、「文明の衝突」は強烈で、その意味ではかなり辛口のブラジル評論を展開していて興味深い。
   その点では、紳士協定とか阿吽の呼吸などと言う文化がある日本は、その両方の文化的背景を背負っており、かなり分かりよいのだが、それにしても、ブラジルは、典型的なラテン大国であり、BRIC’s各国夫々が、強烈な個性を持っているように、ブラジルとは、と一言で言えない奥深さと魅力がある。

   ローターは、序文で、ブラジルの第一印象を、コーヒーと砂糖などの農業主体の軍事国家で、壁にはお尋ね者のテロリストの張り紙があり、メディアの検閲に官憲が関わるなど非常に治安の悪い国だが、コパカバーナやイパネマの海岸沿いの高級ショップにはニューヨーク並みのハイセンスの商品があふれているにも拘らず、傍の凄いビキニ姿の美人の歩く歩道に乞食が屯していると言ったチグハグナ風景に驚いたと書いている。
   歴史上は、かなり、最近まで軍人が大統領を務めた軍事国家であり、民政に代わっても、他のラテンアメリカ国家と同じように、政治が不安定で、民主国家として政情が安定し、経済成長に拍車がかかり始めたのは、この20年の間くらいのことで前世紀末のことである。
   
   とにかく、ブラジルは、全く幸運に恵まれた国で、豊かな国土と膨大な鉱物や水資源、そして、多くの天然資源が無尽蔵に存在する。
   しかし、その資源を活用し始めたのは、ごく最近に入ってからで、長い間、未来の国(THE COUNTRY OF THE FUTURE)と呼ばれ続けて来た。
   将来の世界の発展のためには、最も重要な役割を果たす国家の一つとして疑いもなく運命づけられてきた国だと言われ続けて来たのである。
   しかし、この決まり文句は、ブラジル人が挑戦するには到達不可能なほど高い目標であり、結果としてブラジル人の劣等コンプレックスを感じさせるだけで、いつまでも未完のままであったとローターは言う。

   ところが、最近のエコノミック・ブームで、BRIC’sの雄として一躍脚光を浴びた。
   今や、農業大国であるとともに、工業大国であり、膨大な鉱物資源や食糧のみならず、航空機や自動車の輸出国であり、南半球の、銀行、富、貿易、産業の最大の拠点となっている。
   2014年のサッカーのワールドカップ大会、2016年のリオ・オリンピック開催を目指して、燃えに燃えているブラジルが、やっと、永遠に未完であった「未来の国」と言う陳腐な決まり文句から解放されそうである。
   
   さて、ブラジル雑学をスタートするにあたって、最も重要な論点の一つは、ブラジルが、アミーゴ社会であると言うことで、この特質を、同じ人種の坩堝であるアメリカ社会と対比させながら論じておきたい。
   アミーゴをウィキペディアで引くと、本来はスペイン語で「友達」の意味の男性形名詞(amigo)。英語でも使われる。と書いてある。
   これでは、分かりにくので、華僑やユダヤ社会などの仲間意識とその信頼結束関係に近い概念で、自分の親しい友人(AMIGO)との関係は、契約よりも優先すると言った人間関係で、もっと広範で深い意味合いの概念なのである。
   アメリカ社会は、全く背景の違った異民族異人種の集合体であるから、関係を処理するためには、法律や契約が総てで、主に裁判で決着を付けようとするのだが、同じ、人種の坩堝であるブラジル、と言うよりも、ラテン社会では、法律は朝令暮改であったり順守されないことが多く、契約も無視されたり軽視される傾向が強いので頼りにならず、ビジネスや紛争の処理などを上手く運ぶためには、相手とのアミーゴ関係が優先して決着を見るケースが多いと言うことである。
   極論すれば、アメリカでは、1億円の貸し借りは、契約書で処理するが、ラテンの世界では、契約など全くなしで貸し借りが成立することもあり、もし、約束を破れば、村八分となり、重要な財産であるアミーゴも信用の一切をも失うことになる。
   したがって、ブラジルでビジネスを行う場合、いくら素晴らしいバランスシートを示して日本で有名な大企業だと言っても駄目で、地道なアミーゴ関係の構築こそが王道なのだと言えば言い過ぎであろうか。

   経済社会を結ぶ掟が、法律・契約か、アミーゴ関係か、と言うことは重要な差で、日本の場合には、英米流に、法律・契約関係の比重が増してきてはいるが、紳士協定だとか、貴方と私の仲だからとか、アミーゴ関係的な面も残っていて、謂わば、レオポン社会だと言えよう。
   私の経験からは、現実は、大分変っているかも知れないが、ローターの本を読む限り、ブラジルのこのアミーゴ文化は、それ程変わっていないようである。
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完全に文明から孤立したブラジルのインディオ

2011年02月13日 | BRIC’sの大国:ブラジル
   先日、パソコンを叩いていたら、この口絵写真が載っていて、「ペルーで進む違法伐採によって居住区を失ったペルーの先住民がブラジルの先住民に接触し、先住民の生存が危ぶまれている」と言う記事が目についた。
   同じことは、ブラジル政府の国立先住民保護財団(FUNAI)が、2年前に、居住地上空から撮影したこれと殆ど同じ写真を数枚公表していて、正に、草で屋根を葺いただけの小屋が数棟写っていて、原始時代の人類の生活を見るようで、感に打たれた。
   完全に孤立した先住民が暮らしていることを立証し、ペルーからの違法伐採により彼らが深刻な危機にあるということに注意を呼び掛けるためにこの資料を公開することを決めた」と述べていたのである。
   英国の先住民支援団体サバイバル・インターナショナル(Survival International)は、このように、地球上には外界との接触を持たない部族が100以上暮らしているのだが、国際社会は目を覚まし、国際法にのっとって彼らの居住区を保護しなければならない。さもなければ彼らは絶滅してしまうだろう。と述べている。

   ブラジルには、このように、完全に人間生活から隔離された原始のままに居住しているインディオ以外に、ポルトガル人がブラジルを征服して以来、文明の中に取り込まれてブラジル人として生活している原住民インディオが、主に、アマゾン地帯に住んでいる。
   インディオの人口だが、征服当時は、600万人いたと言うのだが、1970年には、その数が20万人にまで激減してしまった。
   2000年には、その3倍の60万人までに回復したと言うことだが、原住民の殆どは、遊牧民で、夫々100人足らずの集団で生活しているのだが、広大な居留地が必要となり、その争奪のために激しい競争が起こっていると言う。

   これら原住民の土地取得要求が、アマゾン開発者を怒らせている。
   1%以下の人口の原住民に、ブラジルの国土の10%の居留地があると言うのだから、利害関係のない一般ブラジル人も、開発者に好意的なのだが、現実には、保護されるべき筈のインディオの居留地や生活は、無法状態も甚だしく、侵され続けている。
   ヴェネズエラとギアナとの国境でアマゾンの最北端に、Raposa-Serra do Solと言う新しい居留地が制定されたのだが、農業会社やダイヤモンド・金採掘者や林業、密輸業者などが、不法侵入して来たり、前土地所有者が、別荘を建てたりしており、ことを収拾すべく駐留した筈の軍隊が、原住民を弾圧していると言うのであるから、原住民の保護などは絵に描いた餅なのである。

   法律では、これらの居留地は、インディオの所有地なのだが、実際には、武装した白人の侵入者たちが、トラックや自動車で交通を遮断して外界との交渉を断ったり、インディオの酋長やシャーマンを脅し上げていても、政府は見て見ぬふりで、居留地は存在していても、紙の上だけの話だと言うのである。
   尤も、このような地域のボスや開発推進者たちの悪行は、インディオに対するよりも、WAGE SLAVERY すなわち、賃金奴隷の存在などを筆頭として貧しくて弱いブラジル人たちに対する過酷な労働搾取の実態やアマゾンの環境破壊問題などの凄まじさの方がもっと深刻で、BRIC’sとして脚光を浴びるブラジルの栄光とは逆の、ブラジルの影の部分でもある。

   さて、以上の記述は、ニューズウィーク記者として14年リオに在住し、その後、ニューヨークタイムズのチーフ記者として卓越したブラジルのエキスパートであるRARRY ROHTERの「BRAZIL ON THE RISE」から得た情報を参考にしている。
   この新しい本の翻訳文の出版は、まだまだ先の話だと思うので、現在のブラジルを活写していて、何十年も前の私のブラジル生活を髣髴とさせて非常に興味深く、残念ながら、今の日本には、ブラジル関連の良書が殆ど皆無なので、追って、章を追いながら、私の感想を交えながらレポートしたいと思っている。
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