伊集院静の今日の「ミチクサ先生」のシーンは、大晦日を一人でロンドンで過ごす漱石の雪の中を散歩する場面で、煤煙の酷さを嘆いている。
煤煙のススが雪に点在していて、よくこんなものを放っておいて、これで文明国と自らを呼んでいるのなら、英国人はとんだ笑い物だ、と言うわけである。
この口絵写真は、ウィキペデイアから借用したもので、霧どころか、クリアに晴れ渡ったロンドンのシティ風景で、今昔の感である。
英国の友人に聞いたのだが、母校の高校の校歌に、たしか、バーミンガムだと思うのだが、もくもく煙を上げる工場の煙突の凄まじさを成長繁栄の誇りだと歌う歌詞があると言っていたことがあるが、サッチャーが英国大改造に大鉈を振るうまでは、英国の公害は酷く、ロンドンの荒廃した惨状は目を当てられない状態であったことを見て知っている。
小学校や中学校で、揺りかごから墓場までと言う英国の福祉社会の様子を学んでいたが、英国のイメージは、実際にはどうか、善くも悪くも、漱石同様、現地に住んで体験してみないと分からない、と言うことである。
私は、1987年から1993年までロンドンに住んでいて、その前後10年くらいは、アムステルダムに住んでいたり、出張や個人旅行でロンドンに行き来していたが、殆ど、霧のロンドンに遭遇したことはない。
記憶では、一度だけ、酷い濃霧で、薄暗い1メートル先も見えないほどの視界の悪い中を、ヘッドライトを点けてサビルローの事務所へ通ったことがある。濃霧の経験はそれだけで、霧のロンドンというイメージでロンドンへ赴任したはずが、これだけは、能書き外れであった。
イギリスの冬は寒いので、暖房のために、当時は、どこも、石炭ストーブで暖を取っていたので、それが、煤煙として舞い上がっての濃霧となり、冬の間、ロンドンの空を覆ったのであろう。
要するに、霧のロンドンと言ったロマンチックなイメージとは程遠い、スモッグであって、ロンドンに害をなした公害なのである。
私がロンドンにいた頃には、既に、ガスストーブや電気ストーブに切り替わっていて、石炭ストーブはなくなっていた。昔懐かしい薪や石炭ストーブの暖炉も、我が家では、電気ストーブに変っていて、チロチロ、人工的な炎が動いていた。
暖房ついでに、エアコンだが、当時は、ロンドンでは冷房には殆ど関心がなく、設備もなかった。
トップクラスの高級ホテルでも冷房設備はなくて、エアコンが整っていて冷房が効くのは米国系のホテルだけで、高級な住宅でも、殆どエアコンとは無縁であった。
アムステルダムに事務所を開くために調査に行った時に、最高級のアムステル・ホテルに投宿したのだが、その日は異常な暑さで、それに、真夏で夜の11時でも明るい夜で、エアコンがなかったので、眠れなかった記憶がある。
勿論、オランダの自宅もロンドンの自宅も、エアコンなどなくて8年間夏を過ごしたが、エアコンが欲しいなあと思う日は、年に10日くらいあるかないかなので、問題なく過ごせたのである。
さて、そんなロンドンだが、英国の永住権を持っていたので、ここで永住しようかどうかを考えたことがある。
結局、色々と考えて、ロンドン生活を諦めたのだが、やはり、第二の故郷であり、時々、ヨーロッパの風景が走馬灯のように脳裏を過ぎって行く。
煤煙のススが雪に点在していて、よくこんなものを放っておいて、これで文明国と自らを呼んでいるのなら、英国人はとんだ笑い物だ、と言うわけである。
この口絵写真は、ウィキペデイアから借用したもので、霧どころか、クリアに晴れ渡ったロンドンのシティ風景で、今昔の感である。
英国の友人に聞いたのだが、母校の高校の校歌に、たしか、バーミンガムだと思うのだが、もくもく煙を上げる工場の煙突の凄まじさを成長繁栄の誇りだと歌う歌詞があると言っていたことがあるが、サッチャーが英国大改造に大鉈を振るうまでは、英国の公害は酷く、ロンドンの荒廃した惨状は目を当てられない状態であったことを見て知っている。
小学校や中学校で、揺りかごから墓場までと言う英国の福祉社会の様子を学んでいたが、英国のイメージは、実際にはどうか、善くも悪くも、漱石同様、現地に住んで体験してみないと分からない、と言うことである。
私は、1987年から1993年までロンドンに住んでいて、その前後10年くらいは、アムステルダムに住んでいたり、出張や個人旅行でロンドンに行き来していたが、殆ど、霧のロンドンに遭遇したことはない。
記憶では、一度だけ、酷い濃霧で、薄暗い1メートル先も見えないほどの視界の悪い中を、ヘッドライトを点けてサビルローの事務所へ通ったことがある。濃霧の経験はそれだけで、霧のロンドンというイメージでロンドンへ赴任したはずが、これだけは、能書き外れであった。
イギリスの冬は寒いので、暖房のために、当時は、どこも、石炭ストーブで暖を取っていたので、それが、煤煙として舞い上がっての濃霧となり、冬の間、ロンドンの空を覆ったのであろう。
要するに、霧のロンドンと言ったロマンチックなイメージとは程遠い、スモッグであって、ロンドンに害をなした公害なのである。
私がロンドンにいた頃には、既に、ガスストーブや電気ストーブに切り替わっていて、石炭ストーブはなくなっていた。昔懐かしい薪や石炭ストーブの暖炉も、我が家では、電気ストーブに変っていて、チロチロ、人工的な炎が動いていた。
暖房ついでに、エアコンだが、当時は、ロンドンでは冷房には殆ど関心がなく、設備もなかった。
トップクラスの高級ホテルでも冷房設備はなくて、エアコンが整っていて冷房が効くのは米国系のホテルだけで、高級な住宅でも、殆どエアコンとは無縁であった。
アムステルダムに事務所を開くために調査に行った時に、最高級のアムステル・ホテルに投宿したのだが、その日は異常な暑さで、それに、真夏で夜の11時でも明るい夜で、エアコンがなかったので、眠れなかった記憶がある。
勿論、オランダの自宅もロンドンの自宅も、エアコンなどなくて8年間夏を過ごしたが、エアコンが欲しいなあと思う日は、年に10日くらいあるかないかなので、問題なく過ごせたのである。
さて、そんなロンドンだが、英国の永住権を持っていたので、ここで永住しようかどうかを考えたことがある。
結局、色々と考えて、ロンドン生活を諦めたのだが、やはり、第二の故郷であり、時々、ヨーロッパの風景が走馬灯のように脳裏を過ぎって行く。