熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

エコカー補助金を使わなかった理由

2010年09月07日 | 政治・経済・社会
   私は、トヨタのクレスタをもう18年近くも乗っており、エコカー減税は元論、エコカー補助金の対象にもなり、サービスなどを含めて50万円近くも安くなるので、販売店からプリウスに買い替えろと散々勧誘を受けたが、結局、そのまま、このクレスタを乗り続けることにした。
   古いので、セイフティ・バッグもついていないし、カーナビもない、言うならば骨董品だが、遠出をしたことがないので、まだ、7万キロしか走っていない。
   それに、多少小さな接触程度はあったが事故にあっていないので、メインテナンスや部品の交換程度で済んでいるので、いまだに、極めて快調に走っている。

   さて、何故、補助金もあり、有利に買い替えることが出来るのに、惜しいではないかと友人たちからも、言われたし、私自身も、総合的に判断して、一時は、プリウスに買い替える気になった。
   しかし、これまでも殆ど乗っていないし、歳の所為もあって、これから先、どれくらい新車に乗れるのか、勿体ない。もう歳だし、危ないから、もう運転を止めろ。と家族からは、総スカンを食った。娘たちも、自分たちが乗っている現在の車で満足しているので、引き受けるつもりもない。
   
   仕方がないと言うよりも、良く考えてみれば、気持ちよく快調に走っている車を廃却することが、果たして良い決断なのかどうかと言うことである。
   先日、友人のプリウスに乗せて貰ったが、運転は別として走行中の乗り心地はこのクレスタの方が快適だし、第一、家内も私も、格好は良くないが、長年この車に慣れていて、何の不自由も感じていないし、十分に満足している。
   問題があるとすれば、極端に悪い燃費で、近くのスーパー往復では5キロ、高速でも10キロ程度で、月に一度は給油しなければならない。
   エコシステムの維持には逆行するが、この程度なら大勢に影響なしとして目を瞑ると言う考え方もある。

   小宮山宏先生なら、この場合には、この車はまだ走れる乗れると言うのではなく、まだ乗っている走っていると考えて、即刻、買い替えるべきだと言うであろうが、私のような庶民にとっては、エコ社会のためにと言う前に、私生活もあるので、勿体ないと言う価値基準も濃厚に働かざるを得ない。
   経済成長華々しき頃には、OBSOLESCENCE(陳腐化)と言う概念が、正に、成長のエンジン・イノベーションの機動力でもあったのだが、地球環境問題や天然資源の枯渇、成長の限界などが深刻化してきた今日においては、出来るだけものの耐久力を維持して大切に使うと言う選択肢も重要になって来ている。

   私のクレスタは、古くて時代遅れのポンコツであろうから、私の手を離れれば即刻スクラップにされて消えて行くのであろうが、十分に自動車として機能して満足に走っており、命の無い車ではあるけれども、長年生活を共にしておれば、それなりの愛着も湧いており、それには耐えられない。
   私も、これまで、海外に長かったので、ブラジルの大地も、ヨーロッパ大陸のあっちこっちも、随分、色々な車に乗って走り回ってきたが、夫々の車に夫々の懐かしい思い出がある。
   結局、もう一度車検を受けて、乗り続けることに決めたのである。
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