ブログの読者の方(ゆっくり行きましょう シニアの豊かなライフスタイルを提案)からアクセスがあって知り得たので、ウィーン国立歌劇場のライブ配信のヨハン・シュトラウスのウィンナ・オペレッタ「こうもり」(2021年12月31日公演) を観た。
この「こうもり」は、毎年大晦日にこの劇場で上演される恒例の華やかなオペレッタで、観客も正装に威儀を正して参集し、劇場全体が、豪華なフェスティバルの雰囲気に包まれる。
私は、1973年の大晦日に、ただ1度だけ、初めてのウィーンへの旅行の途次、鑑賞する機会を得て、素晴しい経験をした。
今回の舞台のキャストは次の通り
指揮:ベルトラン・ド・ビリー
演出:オットー・シェンク
エイゼンシュタイン:アンドレアス・シャガー
ロザリンデ:レイチェル・ウィリス・ソレンセン
フランク:ヴォルフガング・バンクル
オルロフスキー:クリスティーナ・ボック
アルフレッド:天子 浩
ファルケ博士:クレメンス・ウンターライナー
アデーレ:ヴェラ・ロッテ・ボッカー
イーダ:ヨハンナ・ウォールロス
フロッシュ:ピーター・シモニシェク
私が観た舞台は、記憶は定かではないが、演出は、このオットー・シェンクの古都ウィーンの豪華な佇まいをそのまま移し替えたような素晴しいクラシックな舞台であったように思っている。勿論、殆ど何も覚えてはいないが、休憩の時に、ペアになって正装した男女客が、一列縦隊になって、厳かにロビーや回廊を散策している姿は、映画のシーンを見ているようであった。
さて、今回の2021年の「こうもり」の舞台だが、元旦でテレビで観た「ニューイヤーコンサート」がそのまま、舞台に早変わりした感じで、最初から最後まで、ヨハン・シュトラウスのウィンナワルツが流れていて、特に第2幕など大舞踏会の場であるから、歌と踊りのどんちゃん騒ぎでウィーンの着飾った紳士淑女たちが、我を忘れてこの世を謳歌し尽くす派手な舞台であり、確かに、年忘れの大晦日には格好の喜歌劇である。
このロシアのオルロフスキー公爵邸で開かれた大舞踏会に、仮面を付けて現われた淑女に、アイゼンシュタインがゾッコン惚れ込んで口説き落としたつもりが、実は、妻のロザリンデであったという締まらない話。これを画策したのが、3年前ファルケとアイゼンシュタインが仮面舞踏会に出かけた帰りに、アイゼンシュタインが酔いつぶれたファルケを森に放置して、朝方目を覚ましてこうもりの変装のまま帰宅したので恥をかいたファルケの仕返し。
後述するが、ロンドンのロイヤル・オペラでは、この「こうもり」を1月に上演しているのが面白い。
先のキャストについては、最近外国のトップオペラ鑑賞からは縁が切れているので、キャスト全員が未知であるが、それぞれ人を得ていて実に上手くて楽しませて貰った。
ところで、この「こうもり」だが、オペラ劇場で観る機会はそれ程多くなくて、私は、ロイヤル・オペラに通っていたのだが、ここでは2回だけ。
最初は、1989年1月21日、指揮:アダム・フィッシャー、ロザリンデのキャロル・バーネス以外は、アイゼンシュタインのトーマス・アレンも、ファルケ博士のアラン・オピーも、アデーレのリリアン・ワトソンも、オルロフスキーのクレア・パウエルも、アルフレードのデニス・オニールも主要キャストはすべてベテランのイギリス人歌手で、何時ものお馴染みスターで楽しませてくれた。
この時、小柄なオニールのアルフレードが、大柄で妖艶なロザリンデのバーネスをモーション掛けて追い回すノミの夫婦のようなアバンチュールシーンが、今回の舞台の小柄な天子 浩のアルフレッドが、伸び上がって、ボリューム感タップリのソレンセンのロザリンデを口説く姿が良く似ていて面白かった。
ロイヤルオペラのもう1度は、1991年1月12日で、指揮はリーチャード・ボニング、ロザリンデのマルビナ・メイジャーも、アイゼンシュタインのルイス・オティもロイヤルデビューであった。オルロフスキーが、カウンターテナーのヨッフン・コワルスキーで、パンチの利いた意欲的な演技が異彩を放っていた。
ロイヤルオペラの舞台は、第2幕の華麗なバレエはロイヤル・バレーのダンサーが踊り、第3幕の酒気まぎれのコミカルな牢番フロッシュはシェイクスピア役者が演じるので、更に、「こうもり」の舞台を盛り上げてくれる。
参考に、このブログを検索してみたら、
2015年5月に、ウィーン・フォルクス・オーパー・・・喜歌劇「こうもり」
2008年8月に、小澤征爾のヨハン・シュトラウス「こうもり」
2007年9月に、新日本フィル定期「こうもり」で幕開け
などで、観劇記を書いており、
また、1990年代後半に、北欧旅行の途次に、ストックホルムの市庁舎の傍で行われた野外公演のコンサート形式の「こうもり」を観ており、
結構、「こうもり」の観劇機会があったのである。1970年代から頻繁にオペラ劇場に通い始めていたので、世紀代わりまでに、他にも「こうもり」を観ていたのかも知れない。
とにかく、随分沢山オペラがあるが、観ていて楽しいオペラでは、この「こうもり」が突出しており、恋有りアイロニー有り、一寸、ほろりとさせてくれるところが、人間喜劇の味かも知れないと思わせてくれる。
関係ないであろうが、私の専門の経済学ではシュンペーター、経営学ではドラッカー、クラシック音楽でも絵画でも、とにかく、ハプスブルグの残した遺産は実に偉大だと、このシュトラウスのワルツを聴きながらも感心し続けている。
最後に、第2幕で、ロザリンデが、ハンガリーの民族舞踊チャールダーシュ「私はハンガリー人」を歌っているシーンを借用して幕。
この「こうもり」は、毎年大晦日にこの劇場で上演される恒例の華やかなオペレッタで、観客も正装に威儀を正して参集し、劇場全体が、豪華なフェスティバルの雰囲気に包まれる。
私は、1973年の大晦日に、ただ1度だけ、初めてのウィーンへの旅行の途次、鑑賞する機会を得て、素晴しい経験をした。
今回の舞台のキャストは次の通り
指揮:ベルトラン・ド・ビリー
演出:オットー・シェンク
エイゼンシュタイン:アンドレアス・シャガー
ロザリンデ:レイチェル・ウィリス・ソレンセン
フランク:ヴォルフガング・バンクル
オルロフスキー:クリスティーナ・ボック
アルフレッド:天子 浩
ファルケ博士:クレメンス・ウンターライナー
アデーレ:ヴェラ・ロッテ・ボッカー
イーダ:ヨハンナ・ウォールロス
フロッシュ:ピーター・シモニシェク
私が観た舞台は、記憶は定かではないが、演出は、このオットー・シェンクの古都ウィーンの豪華な佇まいをそのまま移し替えたような素晴しいクラシックな舞台であったように思っている。勿論、殆ど何も覚えてはいないが、休憩の時に、ペアになって正装した男女客が、一列縦隊になって、厳かにロビーや回廊を散策している姿は、映画のシーンを見ているようであった。
さて、今回の2021年の「こうもり」の舞台だが、元旦でテレビで観た「ニューイヤーコンサート」がそのまま、舞台に早変わりした感じで、最初から最後まで、ヨハン・シュトラウスのウィンナワルツが流れていて、特に第2幕など大舞踏会の場であるから、歌と踊りのどんちゃん騒ぎでウィーンの着飾った紳士淑女たちが、我を忘れてこの世を謳歌し尽くす派手な舞台であり、確かに、年忘れの大晦日には格好の喜歌劇である。
このロシアのオルロフスキー公爵邸で開かれた大舞踏会に、仮面を付けて現われた淑女に、アイゼンシュタインがゾッコン惚れ込んで口説き落としたつもりが、実は、妻のロザリンデであったという締まらない話。これを画策したのが、3年前ファルケとアイゼンシュタインが仮面舞踏会に出かけた帰りに、アイゼンシュタインが酔いつぶれたファルケを森に放置して、朝方目を覚ましてこうもりの変装のまま帰宅したので恥をかいたファルケの仕返し。
後述するが、ロンドンのロイヤル・オペラでは、この「こうもり」を1月に上演しているのが面白い。
先のキャストについては、最近外国のトップオペラ鑑賞からは縁が切れているので、キャスト全員が未知であるが、それぞれ人を得ていて実に上手くて楽しませて貰った。
ところで、この「こうもり」だが、オペラ劇場で観る機会はそれ程多くなくて、私は、ロイヤル・オペラに通っていたのだが、ここでは2回だけ。
最初は、1989年1月21日、指揮:アダム・フィッシャー、ロザリンデのキャロル・バーネス以外は、アイゼンシュタインのトーマス・アレンも、ファルケ博士のアラン・オピーも、アデーレのリリアン・ワトソンも、オルロフスキーのクレア・パウエルも、アルフレードのデニス・オニールも主要キャストはすべてベテランのイギリス人歌手で、何時ものお馴染みスターで楽しませてくれた。
この時、小柄なオニールのアルフレードが、大柄で妖艶なロザリンデのバーネスをモーション掛けて追い回すノミの夫婦のようなアバンチュールシーンが、今回の舞台の小柄な天子 浩のアルフレッドが、伸び上がって、ボリューム感タップリのソレンセンのロザリンデを口説く姿が良く似ていて面白かった。
ロイヤルオペラのもう1度は、1991年1月12日で、指揮はリーチャード・ボニング、ロザリンデのマルビナ・メイジャーも、アイゼンシュタインのルイス・オティもロイヤルデビューであった。オルロフスキーが、カウンターテナーのヨッフン・コワルスキーで、パンチの利いた意欲的な演技が異彩を放っていた。
ロイヤルオペラの舞台は、第2幕の華麗なバレエはロイヤル・バレーのダンサーが踊り、第3幕の酒気まぎれのコミカルな牢番フロッシュはシェイクスピア役者が演じるので、更に、「こうもり」の舞台を盛り上げてくれる。
参考に、このブログを検索してみたら、
2015年5月に、ウィーン・フォルクス・オーパー・・・喜歌劇「こうもり」
2008年8月に、小澤征爾のヨハン・シュトラウス「こうもり」
2007年9月に、新日本フィル定期「こうもり」で幕開け
などで、観劇記を書いており、
また、1990年代後半に、北欧旅行の途次に、ストックホルムの市庁舎の傍で行われた野外公演のコンサート形式の「こうもり」を観ており、
結構、「こうもり」の観劇機会があったのである。1970年代から頻繁にオペラ劇場に通い始めていたので、世紀代わりまでに、他にも「こうもり」を観ていたのかも知れない。
とにかく、随分沢山オペラがあるが、観ていて楽しいオペラでは、この「こうもり」が突出しており、恋有りアイロニー有り、一寸、ほろりとさせてくれるところが、人間喜劇の味かも知れないと思わせてくれる。
関係ないであろうが、私の専門の経済学ではシュンペーター、経営学ではドラッカー、クラシック音楽でも絵画でも、とにかく、ハプスブルグの残した遺産は実に偉大だと、このシュトラウスのワルツを聴きながらも感心し続けている。
最後に、第2幕で、ロザリンデが、ハンガリーの民族舞踊チャールダーシュ「私はハンガリー人」を歌っているシーンを借用して幕。
