熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

孫の小学校の運動会を見る

2023年11月11日 | 生活随想・趣味
   朝、いつもの朝寝を切り上げて、孫二人の小学校の運動会を見に出かけた。
   歩いてすぐのところに学校があるので、苦労はないのだが、足が弱くなっている所為もあって、多少気が重い。
   私の役割は、写真係であるので、少しは移動しなければならないし、事情によっては、長く立っていなければならない。
   老人席は設けられていはいるのだが、そこに座っていては写真を撮るには不自由であるし、それに、前の方は既に埋まっていてレンズが蹴られる。

   今年は、運動会が午前中に終ることになっているので、それ程気にすることはなかったのだが、転ばぬ先の杖で、杖を持って行き、撮影中には邪魔になるので、折りたたんで上着のポケットに入れておいた。
   写真は、運動場が広いので、どうしても望遠が必要で、重くて厄介だが、一眼レフを持って行かざるを得ない。
   望遠は200㎜だが、これでトリミングすれば十分であり、なまくらだが、1000分の1のシャッタスピード優先オートで連写設定、これで通している。
   結構失敗もあるが、鉄砲数打ちゃ当たるで、不便はしていない。

   さて、もう、75年以上も前の話になるが、私が小学生の頃の運動会は、殆ど朝から夕方まであって、1日仕事であった。
   それに、母親が準備してくれたランチを家族や友人たち家族たちと一緒にピクニックスタイルで、校庭で食べる一時が非常に楽しかった。
   ところが、このランチが途中で中止となったのである。
   我々両親が揃っていてそれなりに生活に恵まれている人間ばかりではなく、中には母子家庭であったり施設の生徒であったりして、何らかの事情で母親が手作りの昼食やおやつを用意できない子供がいて不都合だと言うことであった。
   これに気付かないで楽しんでいた自分の愚かさを知って、その後胸が痛いのだが、
   確かに、我々の場合は、終戦直後だったので、小学生でも働いていて不登校の友達がいたし、貧しくて弁当がなくて昼休みに校庭で遊んでいる友達がいたのを覚えている。

   パレスチナのガザやウクライナの惨状を痛いほど見せられて、毎日生きた心地がしないのだが、ほんの100年ほど前に、わが平和日本も、悪魔に魅入られて、愚劣の極致、悲惨な戦争に走った。
   今の日本が、自由で平和な民主主義国家であり、それなりの安穏な生活を送れているのだが、一寸振り子の針が異常を来せば、一気に奈落の底に突き落とされる。
   愚劣なトップが権力を掌握し、愚かな大衆が、ハーメルンの笛吹きのよろしく迎合して追従するとどうなるか、ウクライナ戦争など幾多の組織が証明しており、益々、宇宙船地球号が危機に追い込まれていく。

   子供たちの運動会は、子供たちには勿論、その家族にとっても、幸せな一時であり、素晴しいイベントである。
   撮った写真を整理してプリントアウトして、孫たちと運動会談義に花を咲かそうと思っている。
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