熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

カワセミを追うアマチュア・カメラマン

2010年01月27日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   久しぶりに、愛犬リオとの散歩道でもあった近所の川に、カメラを持って出かけたら、何人ものアマチュア・カメラマンに出会った。
   勿論、被写体はカワセミだが、急に、カワセミ・ファンが増えたような気がした。
   この印旛沼近辺の川や池、田んぼの用水路などにも、そして、佐倉城址の堀にもカワセミが飛んでいるようで、あっちこっちを回って、カワセミを追っかけているのだと言う。
   
   私などは、近所だから、天気がよくて気持ちのよい日に、ひょっこり出かけて行けば済むのだが、結構遠方から自動車で来ている人も居て、何時も会っているのか、お互いに知り合いのような雰囲気である。
   カワセミに名前を付けていて、太郎が川下に飛んで行ったとか、今日は、花子が居ないとか、情報交換をしているのだから、年季が入っている。

   大体、定年をむかえてフリーになった人が多いようで、毎日のように来てカワセミの写真を撮っているセミプロ級の人も居て、この人たちは、カワセミが水に飛び込んで魚をとる姿や、飛び去る瞬間のホバリングと言った動的な写真を狙っている。
   自慢のショットをプリントしていて見せてくれるのだが、流石に上手で、決定的な瞬間のよい写真を撮っている。
   カメラを手持ちのままオートフーカスで連写する人も居るようだが、本格的になると、三脚ないし一脚を立ててカメラを構えて、露出など撮影条件を事前に設定して置きピンで連続シャッターを切るようである。

   この川は、印旛沼に流れ込んでいるようだが、犬の散歩道で、私など、以前は、犬仲間と知り合いで挨拶を交わしていたのだが、結構、最近では、老年の夫婦連れや年配の女性の散歩姿を見かけることも多くなった。
   周りが田んぼのオープンスペースで、冬には、川面には、あっちこっちに鴨がいて、水辺から白鷺が飛び立ち、空には鷹が舞っていると言った長閑な雰囲気で、第一、自動車が通らないのが良い。

   ところで、私のカワセミ写真だが、カワセミがススキや潅木などの小枝に止まっているところを見つけて、手持ちカメラを向けてオートフォーカスでシャッターを切ると言った極めてずぼらな手法で撮っているので良い写真が撮れる筈がない。
   他のカメラマンが居れば、カメラを構えているので、そこに行けば間違いなくカワセミが居るので楽だが、一人の時には、川岸を歩きながら、ブルーの点を探したり、時には、急に飛び立ったり、川面を滑るように飛んで行くので、その後を追っかけて止まったところへ行って撮ると言う寸法である。
   元々、散歩のつもりで出て来ているので、居なかったら居なかったで、執着せずに帰ってしまうのだが、熱心なカワセミ・ファンのアマチュア・カメラマンの薀蓄話を聞くのも面白いので、しばらく、同行しながら話し込むこともある。

   問題は、やはり、カワセミまでの距離で、上手くいけば5メートル近くまで寄れることがあるが、大概、対岸だと10メートルくらいの距離になって、ピントが甘かったり手ぶれだと写真にならない。
   いくら手ぶれ補正のデジカメだと言っても、私には、300ミリ(実質450ミリ)の望遠レンズが精一杯で、それ以上だと手持ち撮影は無理である。
   この口絵写真のメスのカワセミは、暗い川面をバックにしており、時には、日照りの小枝に止まったり、とにかく、露出条件は色々なので、私などカメラ任せのオート撮影だが、止まっているから良いものの、動きのあるカワセミを撮る為には、シャッター速度などこまめに調整する必要があるのであろう。

   昔、サンパウロに居た頃、森林公園などに出かけて、良く、ハチドリの写真を撮った。
   まだ、デジカメなどなかった頃で、Nikon F2に135ミリの中望遠レンズで撮っていたのだが、今なら、このデジカメ一眼レフで、素晴らしい写真が撮れるのにと思うと、一寸、残念な気がしている。
   何のことはない、ハチドリは、ホバリングしながら、一点に静止したまま、蜜を吸うので、カワセミのように苦労しなくても、誰でも、決定的瞬間の写真を撮れる筈なのである。
   尤も、下手で駄目な写真であっても、自分が撮った写真だから愛着が湧くのであって、性懲りもなくシャッターを切り続けるのも、いつか良いショットを狙えるかも知れないと思っているからであろうか。
コメント
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