熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

伊丹敬之著「イノベーションを興す」(2)・・・オープン・イノベーション

2010年01月31日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   創造的破壊に関する伊丹教授論に対する意見に加えて、私が疑問に思うのは、オープンイノベーションに対する時代に逆行したようなネガティブな見解である。

   伊丹教授は、同書の第12章の「アメリカ型イノベーションの幻想」の冒頭部分で、
   オープンイノベーションは、「話がうま過ぎる懸念がある・・・仮に活発化したとして、その結果として生まれる産業秩序を推論して見ると、それがどの程度社会全体にとって望ましいかは案外考えもので、行き着く先は、イノベーションの萌芽の減少あるいは枯渇になりかねない。」と述べている。
   オープンイノベーションは、多くの企業が自分の得手の技術やビジネスを持ち寄る分業の集積でイノベーションを興そうとするので、分業の分野ごとへのアンバンドリングを推し進め、個々の分業の市場のコモディティ化につながり、その分野での新しい技術開発投資や種を萌芽に育てようとする努力へのインセンティブが減少する。と言うことのようである。

   オープンイノベーションについては、これまで、トーマス・フリードマンの「フラット化する世界」を皮切りに、顧客を巻き込んでの価値創造へのコラボレーションを説いたプラハラード他の「価値共創の未来」や、マスコラボレーションによる開発・生産の世紀の到来を告げたタブスコット他の「ウィキノミクス」などで展開されてきたグローバルベースでのオープンなビジネス環境の拡大深化が、ウルトラ・スーパー級のダイナミックな破壊力を発揮してイノベーションを生み出し、如何に多くの価値を創造し、人類社会を豊かにしてきたかを、このブログでも語って来たので、蛇足は避けたい。
   しかし、名だたるグローバル企業が、オープンビジネス環境の中で、グローバル共創に鎬を削って激烈な競争時代を生き抜こうとしているのか、その地響きのような足音が聞こえないようでは、何をか況やである。
   付言すれば、多くの日本企業が、この世界の潮流であるグローバル市場から新技術を吸収するオープンイノベーションに踏み込めずに、いまだに自前主義やグループ主義に固守している故に、国際競争場裏で、遅れを取っていると言えないであろうか。

   ウィキノミクスによると、オープンイノベーションを積極的に進めているP&Gでは、新製品の内、社外調達は35%で、新製品構想の45%が社外のアイディアを元に生まれており、「コネクト&ディベロップ」戦略によって、イノベーション関連の製品コストや設計、マーケティングなどが改善されたのみならず、研究開発費の生産性が60%向上し、イノベーションの成功率が倍以上となり、更に、そのコストは逆に下がって、売り上げに占める研究開発比率は、4.8%から3.4%に低下した。二年間の新製品の内、社外が関与したのは100品目を超えており、オープンイノベーション経営の効果は抜群だと言うのである。 

   更に、ウィキノミクスには、IBMのパルミサーノの説く「国ごとのタコつぼを壊し、世界の知識や資源や能力を利用し、国や企業内の境界を越えて人材を活用して、シームレスなグローバルコラボレーションよる地球規模のビジネス・エコシステム構築」への動きを主軸として、果敢なオープンイノベーションによって、ボーイングの787の開発やファブレスのBMWの新世代自動車開発などのケースを紹介しているが、世界の多くの名門企業が、オープンイノベーション戦略を積極的に遂行しており、伊丹教授の危惧しているような技術開発の後退やインセンティブの縮小など起こり得ず、市場規模の拡大とビジネスチャンスの増大によっても、益々、イノベーションにドライブがかかっているのが現状である。
   第一、分業への近視眼的局所集中やコモディティ化現象などは、経営の拙さ故であって、オープンイノベーションとは次元の違う話である。

   オープンイノベーションについては、ヘンリー・チェスブロウ教授著「オープンビジネスモデル」が、非常に参考になり興味深い。
   チェスブロウもクリステンセンも、既に、企業経営者がオープンイノベーション環境に置かれていると言う認識で論旨が展開されており、価値の創出、そして、創出された価値の一部の収穫の両方において、グローバルベースで、社外のはるかに多くの多様なアイディアを取り込み、価値を創出する「イノベーション活動の分割」と言う視点から、イノベーションの新しい組織モデルの構築を論じており、技術開発の自前主義を破壊する知財競争時代のイノベーションを語っている。
   あるグループが斬新なアイディアを考案した時、自分たち自身で商用化するのではなく、他社と提携し、あるいは、他社にアイディアを売却し、その他社がアイディアを商用化すると言うシステムで、その分割の機会を追求するために、企業は自社のビジネスモデルをオープン化する必要があると言う捕らえ方の進化発展である。 
   インターネットなどのIT技術の進化によって、グローバルベースでの無尽蔵な知識情報の調達活用の絶大な効用は勿論のこと、経済的にも、テクノロジー開発のコスト上昇、および、製品寿命の短縮など、これまでのクローズド・イノベーションに基づく研究技術開発には、既に限界が見えて来たのである。                                                    
   
   もう一つ伊丹教授の見解でしっくりしないのは、実験の国アメリカ、育成の国日本、と言う理論を展開して、アメリカは、移民の国であり、英語が世界共通言語であり、ドルが基軸通貨であるので、シリコンバレーモデルが生まれて、世界中の組織の蓄積を利用できるのだが、日本はそうではないし、日本語の壁と軍事の壁があって、その壁があるのに、それを軽視して向こうの夢だけを語るのは幻想にすぎないとする考え方である。

   日本企業にとって、シリコンバレーモデルは、幻想であろうか。
   世界中のあっちこっちで、色々なシリコンバレーモデルが生まれており、グローバルビジネス環境は、日進月歩で激動を続けている。
   日本企業の置かれた経済環境、歴史や伝統、強み弱みなどを十分に直視することは大切だが、「コークの味は国ごとに違うべき」だとしても、グローバルベースに乗らなければ生きて行けないような大潮流には、絶対、逆らっては駄目で、日本企業にとっては、オープンビジネスおよびオープンイノベーション戦略の遂行は、その最たるmustであることを、肝に銘じなければならないと思っている。
   

   
コメント (1)
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