正月の歌舞伎座は、和服で正装をしたご婦人客が多い所為か、何となく華やいだ雰囲気が良い。
鳴り物入りで宣伝されていた歌舞伎座の建て替え工事で、愈々、この4月公演が、この劇場での最後の「さよなら公演」になるとかで、松竹も、意欲的な舞台を展開して楽しませてくれている。
昼の部と少し違って、夜の部の出し物は、舞踊と荒事に比重がかかった感じで、物語性のある芝居は、最後の切られ与三郎とお富さんの「与話情浮名横櫛」だけであって、正に視覚的で美しい極彩色の歌舞伎の舞台を堪能すると言う趣向である。
「京鹿子娘道成寺」は、艶やかで感動的な勘三郎の白拍子花子の舞に、團十郎の豪快な押戻しが加わって「道行から押戻しまで」であり、正に、豪華絢爛たる錦絵の世界の現出である。
派手な隈取をした荒事スタイルの團十郎が、太い青竹を持って揚幕から登場し、花道で、鐘から出て来て怨霊と化した勘三郎の花子と向き合い睨み合って、本舞台まで押戻して怒りを静めると言う舞台展開で、見得を切って幕を閉じる。
これまでに何度か、他の芝居でも、團十郎の押戻しを見ているのだが、江戸時代の人々が荒事を好んで見ていたのも、怨霊や妖怪を押戻して退治すると言う神をも恐れぬ力強さに、勧善懲悪を見て感激していたからであろう。
私が、始めてみた勘三郎の舞は、ロンドンでの鏡獅子だったが、今回は、これまでよりも、もっと艶やかな華やかさが出ていて、勘三郎の芸域の広さ奥深さに驚嘆した。
「菅原伝授手習鑑」の「車引」だが、これこそ、正に荒事の典型とも言うべき、そして、極彩色の豪華絢爛たる歌舞伎そのものの世界で、ストーリーと思想なり哲学さえも垣間見えるシェイクスピアが見たらびっくりすると思うのだが、一時間以上も演じられるが、話の筋など殆ど何もないような、見せる舞台である。
吉田神社の朱色玉垣の前で、斎世親王の舎人桜丸(芝翫)と菅丞相の舎人梅王丸(吉右衛門)が出会い、不遇をかこっている所へ、互いの主人を追い落とした憎い藤原時平(富十郎)が通りかかったので、乗り物の牛車に襲い掛かろうとするところへ、二人の兄弟である松王丸(幸四郎)が止めに入る。
時平の威勢に身をすくめた二人を、松王丸は切ろうとするが、時平に許されて、4人は、朱色の玉垣と鳥居をバックに豪快な見得を切って幕となる、と言ったところである。
しかし、時平は公家荒れ、松王丸はニ本隈、梅王丸は筋隈、桜丸は剥き身と言った調子で、主要登場人物は全員隈取して、全幕が荒事仕立てで、派手なパーフォーマンスを演じ続ける。
一番見栄えがする豪快な立ち振る舞いで観客を圧倒するのが、最も派手な隈取で、力漲った凄まじい強力の数々を披露する梅王丸で、吉右衛門の素晴らしい演技が光っている。
桜丸は、和事の演出が取り入れられていて、パーフォーマンスが優雅で優しくて、女形が演じることが多いのだが、最重鎮の芝翫が、初役らしいが、実に若々しくて溌剌とした舞台を努めていて感動的である。とにかく、顔の表情の素晴らしさは抜群で、錦絵から出てきたような典型的な歌舞伎顔(?)で、写楽が生きていたら、素晴らしい絵を描いていただろうと思う。
後半から登場する閻魔大王(?)のような公家装束の時平の富十郎の威厳と品格、そして、三つ子の兄弟ただ一人敵方にいる、白地に松の衣装の松王丸の幸四郎の格調のある豪快さなど、とにかく、4人の歌舞伎界を代表する名優ががっぷりと組み合って最高の舞台を作り出しているのだから、これ以上の荒事のパーフォーマンスなど望み得ないであろうと思う。
私は、どちらかと言えばストーリーのある舞台の方が好きなので、最後の「与話情浮名横櫛」は、楽しませて貰った。
伊豆屋の若旦那与三郎(染五郎)が、木更津の浜見物で、顔役赤間源左衛門の妾お富(福助)に会って、二人は一目ぼれ。逢瀬を重ねる二人の仲に気付いた赤間に、与三郎は瀕死の重傷を負わされ、お富は身を投げるが、和泉屋多左衛門(歌六)に助けられる。
その3年後、与三郎が、小悪党の蝙蝠安(彌十郎)に強請りに連れてこられたのが、和泉屋に囲われているお富の所。
染五郎が、実に粋な格好で福助に近づき、
「え、御新造さんぇ、おかみさんぇ、お富さんぇ、いやさ、これ、お富、ひさしぶりだなぁ。」と口火を切って、どっかりと舞台中央に胡坐をかく。
「しがねぇ恋の情けが仇、命の綱のきれたのを・・・」からの与三郎の心情を吐露した長台詞が心地よいのだが、春日八郎の「お富さん」の歌の文句がダブって懐かしい。
和泉屋に、二人の関係はと聞かれて、苦し紛れに「兄妹」と答えて誤魔化すのだが、実は、和泉屋が、お富の実の兄。与三郎とお富は、よりを戻すのだが、相思相愛であり続けていたのが、救いの爽やかな物語である。
余談だが、一目惚れは、直覚の愛。長く生き続ける命の輝きかも知れない。
前に、梅玉と、確か、時蔵のしっとりとした情緒のある舞台を見たのだが、今回は、染五郎と福助で、一寸、若返っているが、少しニヒルで匂う様にいい男の染五郎と、やや年増ながら女の魅力と色気を漂わせた福助の絡みが新鮮で、非常に面白かった。
それに、脇役を固めている芸達者な役者たちの芸が実に素晴らしい。
このような親分肌の人格者をやらせれば、風格と言い貫禄と言い並ぶもののない歌六、重厚な性格俳優ばりの彌十郎の実に意表をついた軽妙で芸達者なチンピラ小悪党、それに、ドサクサに紛れてお富を口説こうとするコミカルタッチの番頭藤八の錦吾、威勢のよいいなせな鳶頭金五郎の錦之助。
非常に情緒豊かな舞台で楽しませて貰った。
ところで、最初の「春の寿」だが、女帝で久しぶりに元気な姿を見せる筈だった雀右衛門が、初日から休演と言うことで残念だったが、魁春が、風格のある素晴らしい舞台を勤めていた。春の君の梅玉と、花の姫の福助が、絵のように美しいパーフォーマンスを見せて格調高い舞踊を披露していたのも、新春のサービスであろう。
鳴り物入りで宣伝されていた歌舞伎座の建て替え工事で、愈々、この4月公演が、この劇場での最後の「さよなら公演」になるとかで、松竹も、意欲的な舞台を展開して楽しませてくれている。
昼の部と少し違って、夜の部の出し物は、舞踊と荒事に比重がかかった感じで、物語性のある芝居は、最後の切られ与三郎とお富さんの「与話情浮名横櫛」だけであって、正に視覚的で美しい極彩色の歌舞伎の舞台を堪能すると言う趣向である。
「京鹿子娘道成寺」は、艶やかで感動的な勘三郎の白拍子花子の舞に、團十郎の豪快な押戻しが加わって「道行から押戻しまで」であり、正に、豪華絢爛たる錦絵の世界の現出である。
派手な隈取をした荒事スタイルの團十郎が、太い青竹を持って揚幕から登場し、花道で、鐘から出て来て怨霊と化した勘三郎の花子と向き合い睨み合って、本舞台まで押戻して怒りを静めると言う舞台展開で、見得を切って幕を閉じる。
これまでに何度か、他の芝居でも、團十郎の押戻しを見ているのだが、江戸時代の人々が荒事を好んで見ていたのも、怨霊や妖怪を押戻して退治すると言う神をも恐れぬ力強さに、勧善懲悪を見て感激していたからであろう。
私が、始めてみた勘三郎の舞は、ロンドンでの鏡獅子だったが、今回は、これまでよりも、もっと艶やかな華やかさが出ていて、勘三郎の芸域の広さ奥深さに驚嘆した。
「菅原伝授手習鑑」の「車引」だが、これこそ、正に荒事の典型とも言うべき、そして、極彩色の豪華絢爛たる歌舞伎そのものの世界で、ストーリーと思想なり哲学さえも垣間見えるシェイクスピアが見たらびっくりすると思うのだが、一時間以上も演じられるが、話の筋など殆ど何もないような、見せる舞台である。
吉田神社の朱色玉垣の前で、斎世親王の舎人桜丸(芝翫)と菅丞相の舎人梅王丸(吉右衛門)が出会い、不遇をかこっている所へ、互いの主人を追い落とした憎い藤原時平(富十郎)が通りかかったので、乗り物の牛車に襲い掛かろうとするところへ、二人の兄弟である松王丸(幸四郎)が止めに入る。
時平の威勢に身をすくめた二人を、松王丸は切ろうとするが、時平に許されて、4人は、朱色の玉垣と鳥居をバックに豪快な見得を切って幕となる、と言ったところである。
しかし、時平は公家荒れ、松王丸はニ本隈、梅王丸は筋隈、桜丸は剥き身と言った調子で、主要登場人物は全員隈取して、全幕が荒事仕立てで、派手なパーフォーマンスを演じ続ける。
一番見栄えがする豪快な立ち振る舞いで観客を圧倒するのが、最も派手な隈取で、力漲った凄まじい強力の数々を披露する梅王丸で、吉右衛門の素晴らしい演技が光っている。
桜丸は、和事の演出が取り入れられていて、パーフォーマンスが優雅で優しくて、女形が演じることが多いのだが、最重鎮の芝翫が、初役らしいが、実に若々しくて溌剌とした舞台を努めていて感動的である。とにかく、顔の表情の素晴らしさは抜群で、錦絵から出てきたような典型的な歌舞伎顔(?)で、写楽が生きていたら、素晴らしい絵を描いていただろうと思う。
後半から登場する閻魔大王(?)のような公家装束の時平の富十郎の威厳と品格、そして、三つ子の兄弟ただ一人敵方にいる、白地に松の衣装の松王丸の幸四郎の格調のある豪快さなど、とにかく、4人の歌舞伎界を代表する名優ががっぷりと組み合って最高の舞台を作り出しているのだから、これ以上の荒事のパーフォーマンスなど望み得ないであろうと思う。
私は、どちらかと言えばストーリーのある舞台の方が好きなので、最後の「与話情浮名横櫛」は、楽しませて貰った。
伊豆屋の若旦那与三郎(染五郎)が、木更津の浜見物で、顔役赤間源左衛門の妾お富(福助)に会って、二人は一目ぼれ。逢瀬を重ねる二人の仲に気付いた赤間に、与三郎は瀕死の重傷を負わされ、お富は身を投げるが、和泉屋多左衛門(歌六)に助けられる。
その3年後、与三郎が、小悪党の蝙蝠安(彌十郎)に強請りに連れてこられたのが、和泉屋に囲われているお富の所。
染五郎が、実に粋な格好で福助に近づき、
「え、御新造さんぇ、おかみさんぇ、お富さんぇ、いやさ、これ、お富、ひさしぶりだなぁ。」と口火を切って、どっかりと舞台中央に胡坐をかく。
「しがねぇ恋の情けが仇、命の綱のきれたのを・・・」からの与三郎の心情を吐露した長台詞が心地よいのだが、春日八郎の「お富さん」の歌の文句がダブって懐かしい。
和泉屋に、二人の関係はと聞かれて、苦し紛れに「兄妹」と答えて誤魔化すのだが、実は、和泉屋が、お富の実の兄。与三郎とお富は、よりを戻すのだが、相思相愛であり続けていたのが、救いの爽やかな物語である。
余談だが、一目惚れは、直覚の愛。長く生き続ける命の輝きかも知れない。
前に、梅玉と、確か、時蔵のしっとりとした情緒のある舞台を見たのだが、今回は、染五郎と福助で、一寸、若返っているが、少しニヒルで匂う様にいい男の染五郎と、やや年増ながら女の魅力と色気を漂わせた福助の絡みが新鮮で、非常に面白かった。
それに、脇役を固めている芸達者な役者たちの芸が実に素晴らしい。
このような親分肌の人格者をやらせれば、風格と言い貫禄と言い並ぶもののない歌六、重厚な性格俳優ばりの彌十郎の実に意表をついた軽妙で芸達者なチンピラ小悪党、それに、ドサクサに紛れてお富を口説こうとするコミカルタッチの番頭藤八の錦吾、威勢のよいいなせな鳶頭金五郎の錦之助。
非常に情緒豊かな舞台で楽しませて貰った。
ところで、最初の「春の寿」だが、女帝で久しぶりに元気な姿を見せる筈だった雀右衛門が、初日から休演と言うことで残念だったが、魁春が、風格のある素晴らしい舞台を勤めていた。春の君の梅玉と、花の姫の福助が、絵のように美しいパーフォーマンスを見せて格調高い舞踊を披露していたのも、新春のサービスであろう。