十二月大歌舞伎は、若手の意欲的な演目が並んでいたが、玉三郎の舞台を観たいために歌舞伎座へ出かけた。
私自身は、舞踊にはそれ程興味があるわけではないし良く分からないのだが、玉三郎のあの至芸とも言うべき素晴らしい舞台姿は、そうそう、鑑賞できるわけではないので、日本の舞台芸術の極地として、出来るだけ、見ておきたいと思っている。
METの記念公演ビデオで玉三郎の「鷺娘」を見て感激し、その後、期せずして、ロンドンで、ジャパンフェスティバルの公演で、同じその「鷺娘」を鑑賞する機会を得て、日本の芸術の凄さ素晴らしさ、その美意識の崇高さに感じ入って、欧米で観て感激し続けてきたオペラやシェイクスピアの舞台とは違った感動を覚えたのである。
それから、二十数年、この歌舞伎座に通い続けて、そのほかの舞台も加えれば、随分、玉三郎の舞台を観ているが、女性美の美しさ素晴らしさに魅せてもらっている。
先代の雀右衛門が、この世にないような女性を演じるから歌舞伎の女形は美しいのだと言っていたが、簑助の人形の後振りを観れば、感動の極みだが、玉三郎の後振りの流れるように艶やかなフォルムは勿論のこと、その姿かたちの美しさを観て、いつも、女性の理想像を観た思いで感激している。
「二人椀久」は、次のような話。
大坂新町の豪商椀屋久兵衛が、新町の遊女松山となじみ、豪遊を尽くしたために、親から勘当され座敷牢に閉じ込められたが、松山恋しさのあまりに彷徨い歩いているうちに微睡む。
夢枕に、どこからともなく松山が姿を現し、椀久に語りかけ、二人は昔懐かしい楽しい思い出に浸り、仲良く酒を酌み交わし、往時を偲んで舞い続ける。
華やかな廓遊びに酔いしれているうちに、松山の姿が次第に遠ざかり掻き消えていく。 目覚めて夢と知った椀久は寂しさに打ちのめされて倒れ伏す。
椀久は勘九郎だが、私は、松山の玉三郎の舞姿に見入っていた。
華麗な長唄をバックに、素晴らしい幻想的な舞踊の世界を現出する美しい舞台である。
「京鹿子娘五人道成寺」は、娘道成寺の一つのバリエーションの舞台で、今回は、白拍子花子が、玉三郎以外に、勘九郎、七之助、梅枝、児太郎の5人で演じると言う面白い趣向の舞台である。
若い歌舞伎俳優たちへの芸の継承と言うこともあっての玉三郎の登場と言うことであろうが、如何せん、同じ衣装を身につけて踊っていても、その芸の落差は、隠しようがない。
特に、群舞と言うか連れ舞と言うか、そうなれば、華麗で艶やかな舞踊で、舞台は華やかだが、品一つにしても、風格なり優雅さなりリズム感等々に 微妙な差が出るのは、仕方がないのであろう。
しかし、釣鐘に花子が上って魅せるラストシーンは、一番高みに玉三郎が立ち、順番に、勘九郎、七之助、梅枝、児太郎と、大蛇の姿に左下がりに弧を描いたフォルムは、絵になっていた。
玉三郎は、重要な舞踊では、登場して、至芸を見せてくれていたので、楽しませてもらった。
篠山紀信の玉三郎の写真アルバムも素晴らしいのだが、やはり、玉三郎はライブで鑑賞すべきである。



最後に、歌舞伎座のポスターを借用するが、やはり、この第三部は、玉三郎の舞台なのである。
私自身は、舞踊にはそれ程興味があるわけではないし良く分からないのだが、玉三郎のあの至芸とも言うべき素晴らしい舞台姿は、そうそう、鑑賞できるわけではないので、日本の舞台芸術の極地として、出来るだけ、見ておきたいと思っている。
METの記念公演ビデオで玉三郎の「鷺娘」を見て感激し、その後、期せずして、ロンドンで、ジャパンフェスティバルの公演で、同じその「鷺娘」を鑑賞する機会を得て、日本の芸術の凄さ素晴らしさ、その美意識の崇高さに感じ入って、欧米で観て感激し続けてきたオペラやシェイクスピアの舞台とは違った感動を覚えたのである。
それから、二十数年、この歌舞伎座に通い続けて、そのほかの舞台も加えれば、随分、玉三郎の舞台を観ているが、女性美の美しさ素晴らしさに魅せてもらっている。
先代の雀右衛門が、この世にないような女性を演じるから歌舞伎の女形は美しいのだと言っていたが、簑助の人形の後振りを観れば、感動の極みだが、玉三郎の後振りの流れるように艶やかなフォルムは勿論のこと、その姿かたちの美しさを観て、いつも、女性の理想像を観た思いで感激している。
「二人椀久」は、次のような話。
大坂新町の豪商椀屋久兵衛が、新町の遊女松山となじみ、豪遊を尽くしたために、親から勘当され座敷牢に閉じ込められたが、松山恋しさのあまりに彷徨い歩いているうちに微睡む。
夢枕に、どこからともなく松山が姿を現し、椀久に語りかけ、二人は昔懐かしい楽しい思い出に浸り、仲良く酒を酌み交わし、往時を偲んで舞い続ける。
華やかな廓遊びに酔いしれているうちに、松山の姿が次第に遠ざかり掻き消えていく。 目覚めて夢と知った椀久は寂しさに打ちのめされて倒れ伏す。
椀久は勘九郎だが、私は、松山の玉三郎の舞姿に見入っていた。
華麗な長唄をバックに、素晴らしい幻想的な舞踊の世界を現出する美しい舞台である。
「京鹿子娘五人道成寺」は、娘道成寺の一つのバリエーションの舞台で、今回は、白拍子花子が、玉三郎以外に、勘九郎、七之助、梅枝、児太郎の5人で演じると言う面白い趣向の舞台である。
若い歌舞伎俳優たちへの芸の継承と言うこともあっての玉三郎の登場と言うことであろうが、如何せん、同じ衣装を身につけて踊っていても、その芸の落差は、隠しようがない。
特に、群舞と言うか連れ舞と言うか、そうなれば、華麗で艶やかな舞踊で、舞台は華やかだが、品一つにしても、風格なり優雅さなりリズム感等々に 微妙な差が出るのは、仕方がないのであろう。
しかし、釣鐘に花子が上って魅せるラストシーンは、一番高みに玉三郎が立ち、順番に、勘九郎、七之助、梅枝、児太郎と、大蛇の姿に左下がりに弧を描いたフォルムは、絵になっていた。
玉三郎は、重要な舞踊では、登場して、至芸を見せてくれていたので、楽しませてもらった。
篠山紀信の玉三郎の写真アルバムも素晴らしいのだが、やはり、玉三郎はライブで鑑賞すべきである。



最後に、歌舞伎座のポスターを借用するが、やはり、この第三部は、玉三郎の舞台なのである。
