熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

鎌倉便り・・・建長寺:半僧坊の紅葉

2016年12月05日 | 鎌倉・湘南日記
   私の天園ハイキングコースの終着地は、建長寺の半僧坊の山側の入り口。
   とにかく、泥濘の難路を歩いてのハイキングであったので、煙の立つ建長寺の塔頭を見下ろした時には、ほっとした。
   夕日に映えた半僧坊の参道脇あたりの紅葉が美しかった。
   
   

   急峻な石段を下りると、すぐに、半僧坊の境内に入る。
   富士見台から見ると、微かに富士が見える。
   背後の山側の高みから見下ろすので、紅葉が美しい。
   
   
   
   
   

   この半僧坊だが、何度も建長寺を訪れているのだが、今まで、全く意識がなくて、今回が初めてである。
   建長寺の鎌倉半僧坊大権現縁起によると、
   明治中期の建長寺住職 おおぞら霄 かん貫どう道和尚は、ある夜お坊さんのような、また俗人とも見える白髪の老人と山中で出会い、その翁が「私を関東のいずれか清浄な処に招いてくださるなら、その処いよいよ栄え、ありがたいことが絶える事がない。」と告げ、フッと姿を消してしまった霊夢を見られました。
このお姿こそ半僧坊の眞姿で、建長寺の鎮守に相応しいと、自ら奥山の方廣寺(静岡県浜松市引佐町奥山 臨済宗方廣寺派大本山)にお出向きになりご分身を願われ、明治二十三年五月、建長寺の内で最も景色の勝れた勝上?に安置され、直ちに堂宇を創建して現在の鎌倉半僧坊本殿の礎を築きました。と言うことで、
   半僧坊大権現は、建長寺の鎮守なのだが、
   鎌倉時代の建長5年(1253年)に、開基は鎌倉幕府第5代執権北条時頼、開山は南宋の禅僧蘭渓道隆で創建された鎌倉五山の第一位の建長寺とは、直接関係はないようである。
   天狗のブロンズ像などが沢山立っていて、全く、雰囲気の違った境内である。
   
   
   

   いずれにしろ、塔中や銅像は高台にあるので、鳥居のある平坦な参道を通って階段を上ることになるのだが、私は、今回は、山の方から反対に歩いて、建長寺境内に入って行ったのである。
   
   
   
   

   この半僧坊の境内の紅葉は、今盛りで、非常に美しい。
   山間深くの立地が幸いしたのか、もみじの痛みやちじれが少なくて、色づきも非常に繊細で錦色に紅葉していて、非常に美しい。
   銀杏も、一本だけ植わっているのだが、真っ黄色に輝いていて、もみじとのコントラストが美しい。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   

   半僧坊から、建長寺本来の塔頭までには、かなりの距離があり、その間にもところどころ紅葉が見られる。
   方丈から三門にかけては、殆ど、オープンスペースなので、紅葉は、山側にある程度で、半蔵坊ほどの華やかさはない。
   半蔵坊に入ったのが、もう、4時ころだったので、仏殿に着いた時には、殆ど、薄暗くなってしまっていた。
   私には、紅葉よりも、堂々とした豪快な塔頭の建物の姿の方が印象的であった。
   外に出ている国宝は、鐘楼だけだが、これだけが、創建当時のものだと言う。
   暗くなって来たので、総門を後にした。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
  
コメント
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