熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

都響定期・・・ヤコブ・フルシャのマーラー「巨人」

2016年12月14日 | クラシック音楽・オペラ
   今回の都響定期は、指揮/ヤクブ・フルシャ、ヴァイオリン/ヨゼフ・シュパチェク で、
   ドヴォルザーク:ヴァイオリン協奏曲 イ短調 op.53 B.108
   マーラー:交響曲第1番 ニ長調 《巨人》

   フルシャは、都響のインタビューで、「巨人」について、次のように語っている。
   ”私はバンベルク交響楽団の就任演奏会のためにも、マーラーの交響曲第1番を選びました。この作品は、私にとって多くの意味を持っているのです。マーラーの交響曲のなかでも、第1番はボヘミアとの強い繋がりがあります。ボヘミアは彼の生まれ故郷であり、私の生まれ故郷でもあります。私はこの曲の情熱や苦悩を愛し、また一方で無邪気さや純真さを愛しています。救世主を崇めるような、ほとんどこどもじみた愛情なのかもしれませんが。この音楽に飽きてしまうことなど決してありません。ある意味では、19世紀から20世紀へと至る音楽の入り口です。19世紀に根づき、20世紀へのヴィジョンをもった音楽なのです。”

   もう、半世紀くらいも前の話になるが、演奏会で、マーラーの交響曲がプログラムにかかることなど殆どなくて、今でこそ、ブルックナーについても言えるのだが、演奏会では大曲と持て囃されて演奏されることが多いけれど、マーラーやブルックナーを本格的に聴いたのは、私の場合は、その後大分経ってから欧米に行ってからで、フィラデルフィア管であり、アムステルダム・コンセルトイヘボーであり、ロンドン響であった。
   それでも、「巨人」を聴いたのは、2回くらいしかないと思うが、若かりし頃、かなり、早い時期に、ブルーノ・ワルター指揮のこのマーラーの「巨人」のレコードを買って、聴き込んでいたので、私にとっては、馴染の曲であり、その度毎に感激して聴いていた。

   殆どコンサート会場での記憶が消えてしまった今、第3楽章冒頭のコントラバス・ソロの天国からのようなサウンド、第4楽章のホルン奏者総立ちの華麗な演奏や大地を鳴動させるようなサンドなどを思い出して、正に、感激の一夜であった。
   都響は、最近、随分、マーラーに入れ込んで、プログラムに組んできたが、やはり、大切なのは血の騒ぎと言うか、マーラーやフルシャの故郷であるボヘミア気質を叩き込んだフルシャの指揮によるこの「巨人」は格別で、観客は熱狂して、フルシャも感極まった表情で応えていた。

   ドヴォルザーク:ヴァイオリン協奏曲 イ短調で、ソロを務めたヨゼフ・シュパチェク(1986年生まれ)は、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の若きコンサートマスターと言うことで、フルシャとも随分馴染みなのであろう。
   同郷のドヴォルザークを同郷の二人が奏でる素晴らしい演奏で、観客の熱狂的な拍手に応えて、アンコールで、イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ短調 op.27より第4楽章を弾いた。
   
   
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