歳をとると、朝目を覚ました時に、爽やかな思いで起床できると、つくづく幸せだと思う。
毎朝、コーヒーを煎れて、クレッテッドクリームとブルーベリージャムをつけたスコーンを、窓越しに鎌倉山の緑を眺めながら頂く、その繰り返しなのだが、今日も無事に好きなことをしながら過ごせるという安心感が何よりなのである。
最近、戦火が拡大して、地球上が危機的な状態に陥っているが、つくづく、日本人であることの幸せを感じている。
一言では表現できないような、起承転結の激しい人生を繰り返しながら、80余歳まで、どうにか平穏無事に生き抜いてきたことが、奇跡だと思うことがある。
考えれば考えるほど、幸せだと思えるのは、平和で豊かな民主主義国の日本で生まれて日本人として生きたこと、その運命に尽きると考えている。
足掛け14年海外で生活して、その倍くらいの年月を海外と関わりながら暮らしてきており、世界中をかなり知っているので、特にそう思う。
戦争に明け暮れて明日をも知れない生活に翻弄されている国もあれば、生活苦に追い詰められた最貧国もあり、表現の自由を奪われた専制国家もあれば、教育の自由を圧殺された国があるなど、この同じ地球上に、信じられないような不幸に泣き続ける同胞が沢山住んでいる。
ウクライナロシア戦争、ガザイスラエル戦争、アフリカの民族戦争、毎日テレビでその想像を絶する惨状を見聞きして苦痛を禁じ得ない。
尤も、昭和15年生まれなので、悲惨な第二次世界大戦の戦火を浴び、貧困の極致とも言うべき貧しくて辛い戦後を生き抜いてきたという記憶は残っているが、
幸いにも私の場合、復興期に最高峰の大学教育を受け、その後、アメリカでの大学院教育や欧米生活での高度な知的環境に触発されたので、学ぶべきは学んだという思いがあり、それだけに、強力な知的武装を授けてくれた民主国家日本人としての立ち位置の有難さを身に染みて感じている。
切った張ったの激烈なビジネス戦争にも臆することなく、Japan as No.1の日の丸を背負って、世界を歩いてこれたのである。
さて、悲しいかな、日本経済は、失われた30年の停滞で、昔日の面影もなく沈潜し、先進国でも後塵を拝するような状態で、日本も普通の国になってしまった。
しかし、まだ、豊かで安定した経済を維持し、安心安全な平和国家としての民主主義国家体制は盤石でビクともしていない。
総選挙が終わっても、多少浮沈はあっても、自民党政治はそのままで、その後も期待できないと思うが、このまま、低空飛行で日本流の文明社会を引き摺って行きそうな気がしている。安定志向の日本の宿命かもしれないと思う。