貝塚 茂樹 教授の「論語」を読んだ。
1964年出版の論語の抄訳解説本だが、非常に面白い。
先日、吉川幸次郎教授の「論語について」を読んでいるので、ほぼ、基礎知識もついて理解も進んできていて、益々論語に入れ込んでいる。
今回は、総選挙直前なので、このトピックスに関係する孔子や貝塚教授の見解を取り上げてみたい。
まず、「道之以政」の、法律に頼り違反者を刑罰で取り締まる法治主義に対する徳治主義の主張、
この当時の独裁政治撲滅運動のために、孔子は国外に逃亡して10有余年流浪の旅を続けざるを得なかったのだが、儒教が漢帝国の国学となって勝利した。この徳治主義の政治哲学は、現実の法治主義の政府に一つの理想をあたえることによって、独特の儒教国家を生み出し、二千年にわたって、中国を支配することになった。と言う。
次に興味深いのは、「子貢問政」の政策論。
子貢に政治の秘訣は何かと問われて、孔子は、「食を足し、兵を足し、民をしてこれを信ぜしむ」と回答した。三つを全部やるのは難しいので、その内どれを捨てるかと聞かれた孔子は、まず、武器を捨て、次は、食料を捨てればよい。食料を捨てれば死ぬかもしれないが、昔から死は人間の免れえぬものであり、やむを得なければ度外視してよく、政治にとって信頼しうると言うことが一番大事で、これを失えば国の政治は成り立たない。と答えた。
貝塚教授は、経済より人民の信頼が優先するというのは、子貢の予想に反したと言っており、また、これは現代の政治に対する一つの批判をあたえるものだと言える。と述べている。
人民が死んでしまえば、信頼も何もないのだが、それ程、政治に対する国民の信頼が重要であると言うことで、
現下の日本の政治のお粗末さを考えれば、慙愧に耐えない。
もう一つは、「君子周而不比」。
君子は、心から仲の良い友とはなるが、徒党派閥は組まない。小人は、徒党は組むが、心から本当の友にはならない。と言うこと。
一般には中国では、政党とは小人が比して周せず、利権を中心として集まった悪人どもと観念されている。政党などは君子のともがらのたずさわるも汚らわしいものだというのが通念で、政党には派閥がつきものだと言うことは、中国人はとっくにしっていたのだ。と貝塚教授は言う。
さて、前述の二件、
自民党は、国民の信頼を踏みにじり、利権塗れの派閥闘争に没頭してきた、
自民党が、寄って立つこの土台が地響きを立てて崩れ去り、新しい再生を目指し始めたのだが、さて、どうであろうか。
2500年前の孔子に教えられるのが悲しいのか、60年前の貝塚先生の指摘が悲しいのか、
民主主義だ法治国家だ唱えているわりには、日本の政治は、いつまでたってもお粗末である。