熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

都響プロムナードコンサート…凖・メルケルとエドガー・モローの「ドヴォルザーク:チェロ協奏曲」

2018年02月10日 | クラシック音楽・オペラ
  サントリーホールでの、今日の「プロムナードコンサートNo.376」のプログラムは次の通り。

   指揮/準・メルクル
   チェロ/エドガー・モロー
   曲目
   メンデルスゾーン:序曲《フィンガルの洞窟》op.26
   ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調 op.104 B.191
   シューマン:交響曲第3番 変ホ長調 op.97《ライン》

   指揮者の凖・メルクル(58歳)は、ドイツ人の父と日本人の母との間に、ミュンヘンで生まれたドイツの指揮者で、セルジュ・チェリビダッケに師事し、1993年に、「トスカ」を指揮してウィーン国立歌劇場に初登場し、1999年に、「イル・トロヴァトーレ」を指揮してメトロポリタン歌劇場に初登場したと言うのだから大変な逸材である。
   月末、二期会オペラ劇場で、ワーグナーの「ローエングリン」を振ると言うのであるから、オペラに関しては、大変な思い入れがあるのであろう。
   
   初めて聴いたのだが、非常に端正な折り目正しい指揮ぶりで、ダイナミックに都響を謳わせて感動的なサウンドを披露した。
   私の感激したのは、シューマンの「ライン」より、ドヴォルザークの「チェロ協奏曲」の方であった。
   冒頭、チェロが奏でるまでに、かなり長い間、オーケストラが美しい主旋律を奏して聴衆を夢の世界に誘い、続いて、朗々とチェロが歌い出すと、私など、感動の一語。
  この協奏曲は、ボヘミアの音楽と黒人霊歌やアメリカン・インディアンの音楽を見事に融和させた作品だと言われているようだが、私には、そんな思いよりも、Rudolfinumでオペラを鑑賞した後、河畔を散策しながら、華麗なカレル橋越しに小高く聳え立つ王宮の丘を見上げながら滔々と水をたたえて流れるモルダウ川が、静かにたゆたう雄大な姿が、髣髴と脳裏を駆け巡り感動的であった。
   このプラハには、ベルリンの壁崩壊直後と落ち着いてからの二回訪れているが、これほど、美しくて素晴らしい都市はないと思っている。

   チェロのエドガー・モローは、若きフランスのチェリストで、2009年ロストロポーヴィチ国際チェロ・コンクールにおける「最も将来性のある若手奏者」賞、11年国際チャイコフスキー・コンクール第2位と言うチェロ界の希望の星で、ダイナミックだが、奏でるチェロのサウンドは、実に美しい。
   私は、随分以前に、同じフランス人のピエール・フルニエのこの協奏曲を聞いた記憶があるのだが、同じように、モローのチェロの音色が、気品があって格調高く、そして、実に優しくて温かい感じがするのは、フランス人気質なり血の騒ぎであろうか。

   モローのアンコールは、バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番 サラバンド

   クラシック音楽の世界には、国籍など全く関係ないのかも知れないが、新世界アメリカの香りと古色蒼然としたヨーロッパの魂を叩き込んだドヴォルザークのチェロ協奏曲を、ドイツ人と日本人のバックグラウンドを背負ったメルクルが指揮して、フランス人のモローにチェロを歌わせて、日本の都響を緩急自在に踊らせて限りなく豊かで美しいサウンドを奏でて、夢のような世界を紡ぎ出す。
   私には、よく分からないが、とにかく、最初から最後まで、ドヴォルザークのチェロ協奏曲の世界に埋没して、感動して聴いていた。

   私は、このドヴォルザークのチェロ協奏曲を、二度、ロストロポーヴィチのコンサートを聴いている。
   一度は、ロンドン交響楽団の特別演奏会で、この時、指揮の小澤征爾がロンドンへ来れなくて代演だったのでよく覚えている。コンサート会場で、係員が入場者一人一人に、小澤征爾が振れないのでチケットをキャンセルするのだったら申し出てくれと聞いており、小澤征爾が如何にロンドンで高く評価されているのかを思い知ったからでもある。

   このドヴォルザークのチェロ協奏曲は、他には、ヨーヨーマでも聴いており、欧米で、結構、あっちこっちで聴いていていたので、いくらクラシック音楽音痴の私の耳にも、華麗で福与かな美しい旋律が沁み込んでいるので、聴いていて、私の心が共鳴し続けていたのである。

   とにかく、素晴らしい演奏会であった。

   これで、今年の都響のプロムナード・コンサートは終わるのだが、少し、軽い感じがするので、四月からの新シーズンは、同じマチネのCシリーズに変えることにした。
   多少回数が多くなって、会場が、サントリーホールから、東京芸術劇場に変わるが、横浜から池袋なら、東横線・南北線一本なので、この方が、便利になる。

   これまでに、シーズンメンバー券を買って会員なって通い続けたのは、外国では、フィラデルフィア管、コンセルトヘボー管、ロンドン響、
   日本では、最初は、NHK交響楽団、日本に帰国してからは、小澤征爾を聴きたくて新日本フィル、その後、都響に代わったのだが、それでも、随分長くなっている。
   単発で、チケットを買ってコンサートやオペラに行くこともあるが、
   悠々自適、引退生活に入ったので、もう、ウィーンフィルやベルリンフィルやと言うわけには行かなくなってしまった。
   しかし、欧米を駆け巡って音楽の殿堂を渡り歩いて来たので、知盛の心境と言うわけではないが、見るべきものは見つ、聴くべきものは聴いた、と言う気持ちが、どこかにはあることは事実である。
   日本の古典芸能鑑賞の合間に、都響の定期を聴きながら、時折、クラシック音楽の世界に浸って、ヨーロッパなどの懐かしい思い出を反芻しながら、昔を回顧すると言うのも、歳の所為かも知れないと思っている。
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木村太郎著「トランプ後の世界」(2)

2018年02月09日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   著者は、第5章で、「トランプ大統領誕生で、日本は不幸になる!」と論じている。
   この見解で、まず問題とすべきは、日米安保、そして、日本の安全保障に関する点である。
   「応分の役割分担ができないなら同盟国ではない」「一緒に血を流せ」と言っているとして、今後の日米交渉で、「駆けつけ護衛をするから、応分の負担をせよ」と言うことではなく、お金以外の面での応分の負担について議論を尽くすことになろうと言う。
   この件は兎も角、1968年の英軍のスエズ運河からの撤退を例に引いて、「在日米軍の撤退」が遠くない将来に有り得ると言うのである。
   「日本の核兵器保持」については、日本は自己責任で国防を考えるべきで、必要があれば、核保有もあり得ると言ったのだと言う。
   このような情勢に対して、著者は、日本の生きる道として、中国と友好関係を結ぶ、自主防衛の道を取る、従来通りのアメリカ・ファースト、ジャパン・セカンドの道を取り続けると言う3つの道があるとして、トランプは世界を変えようとしているので、トランプを善意に解釈するなど、一切期待すべきではないと説いている。

   尖閣防衛については、周辺諸国や国防総省の要請に対しても、南沙・西沙問題でオバマやヒラリーさえも動かなかったのであるから、尖閣に中国軍が上陸しても、米軍が派遣されるかどうかは疑問だと言っているのだが、日米安保条約がどうであろうと、これは、あり得る話であろうとは思う。
   しかし、中曽根首相が、不沈空母と言った日本は、アメリカの安全保障上の最前線であり生命線であるから、絶対に、米軍の日本からの撤退は、有り得ないと思っている。
   アメリカが、パクスアメリカーナ秩序や覇権や世界の警察としての地位は放棄しても、中国やロシアが仮想敵国である以上、日本が、最も重要な最前線基地であり、最もアメリカに友好的な国である以上、日本との共同戦線を放棄するほど、トランプは単純ではないと思っている。
   尤も、良いか悪いかは議論の余地はあろうが、このようなアメリカの国情なり戦略の変化を見越して、安倍政権が、憲法改正を含めて日本の防衛力を強化するなど、どんどん、右傾化しつつ独自の国防体制を整えつつあることを考えれば、時流に即した新しい日米安保システムの構築を目指しての対応は進行するであろうと思われる。

   トランプと中国の関係は、友好的になって行く、とか、”G2"の考えに基づき、アメリカは、ハワイ諸島以西に引き上げるかも知れません、とか、考えられないようなことを言っており、国内問題だとして人道問題抜きで経済交渉する点について、中国は歓迎するはずです、などと言って中国を容認するようなことを主張している。
   私は、これまで、このブログで論じてきたように、ジョン・J・ミアシャイマーやエドワード・ルトワックなどの専門家たちが論じているように、中国は、アメリカを凌駕して、覇権を確立しようとしていることは明確であり国是の筈であって、一時的に良好な関係が維持されたとしても、米中摩擦は繰り返されるであろうし、実質的な両国の友好関係には、殆ど期待薄だと思っている。

   いずれにしても、米中関係だが、現状のような両国の国情や成長段階などを考えれば、上り龍のような中国の国力の進行故、ほっておいても、中国の米国に対する相対価値は、上がって行くであろうから、焦るのは、アメリカの方ではある。
   まして、トランプのアメリカ第一主義で、アジアやアフリカを筆頭にして、アメリカの力の退潮で真空地帯となった国際舞台において、中国にとっては、勢力拡大のためには、千載一遇の好機が到来したのであるから、疑問の余地はない。

   また、「プーチン大統領と馬が合いそうなトランプ」などと言って、両人は親密になると論じているが、今のトランプのロシアゲートがどうなるか、その推移にもよろうが、私は、地政学的にも、両国の仮想敵国関係は、かなり長い間継続して行くと思う。

   ロシアは、国土においては巨大な国家であったとしても、人口も日本より少し多い程度で、経済力においては日本よりもはるかに下位にあって、昔のソ連のような大国ではないことを考えれば、過大評価する必要はないと思っている。
   
   著者は、「NATOは、中国と接近する可能性も」とも論じているが、
   ほかの論評も含めて、地政学的な国際関係の認識には、かなり、甘さとブレがあり、能天気気味ではないであろうか。
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国立能楽堂・・・狂言「無布施経」・能「頼経」

2018年02月08日 | 能・狂言
   2月初めての定例公演。
   和泉流の狂言「無布施経」は、正に、人間国宝野村万作の至芸とも言うべき素晴らしい舞台を鑑賞出来たと言う思いで、感激であった。

   毎月経をあげている信心篤い檀家の施主(アド/深田博治)が、来客の世話に取り紛れて、鳥目十疋の布施を忘れていたので、これが例になると困ると思った住持(シテ/万作)が、催促に引き返して、遠回しに布施を匂わせるのだが、一向に施主は気付かず、再三引き返して暗示し、後生を願う大切さなど説教に託けて、「ふせ、ふせー」と声高に語るのだが、一向に、お布施は貰えない。
   「布施無い経には袈裟を落とす」を思い出して、袈裟を落としたと言って探すフリをしていると、施主が見て、住持の袈裟の説明を聞いた施主が布施に気づいて住持を待たせて、布施を持ってきて渡そうとする。
   バツの悪い住持が遠慮して固辞するので、施主は無理に僧の懐に布施を突っ込もうとすると、なくなった筈の袈裟が懐から飛び出す。
   住持は、布施が出たので袈裟まで出たと、進み出て袈裟を受け取り、「南無妙法蓮華経」と言って経を頂いて留める。

   高潔かつ上品な出で立ちをすれば天下一品、頭巾をかぶり、黒衣に暖色の袈裟を掛けた僧姿で、手に恭しく経巻を頂いて登場した万作の住持は、仕草立ち居振る舞いなど、まさに、一寸した僧で、風格がある。
   しかし、南無妙法蓮華経と唱える出だしは良いのだが、その後のお経は、じゃらん、じゃらん、じゃらんの繰り返しで、山伏の祈祷のいろはにほへとと唱えるのと同じ狂言独特の常套台詞が、いかにもそぐわず、その落差の激しさが面白い。

   無布施が常態化しては困ると、何度も引き返してきて、一向に気づかない愚鈍気味の施主に苛立ちながら、どんどん、表現が巧妙になり露骨になって行くのだが、住持の心理的な葛藤や心の揺れを、万作は、セリフのみならず表情豊かに、実に上手く演じていて、秀逸である。
   布施を忘れていた施主が、布施に気づいて、一寸待ってくれと言って引き返して独白する声を近づいて耳を聳てて聞いていた住持が、施主が戻ってくる気配に、小声で読経を始めるあたり、惚けた調子が、実に良く、
   あれだけ、布施、布施と催促し続けた手前、バツが悪くて、受け取りを拒否するあたりの、手のひらを返すような豹変ぶりが、出家座頭狂言の面白さでもあろう。
   施主の深田の受け答えも上出来だが、万作の透徹した至芸の凄さを満喫させてくれた「無布施経」であった。
   万作師も、既に86歳、矍鑠とした芸に一部の隙もなく、全く衰えを見せないのだが、その至芸の数々を、目と耳に焼き付けておきたいと真剣に鑑賞させて貰っている。

   喜多流の能「頼政」は、宇治を舞台にした源氏の文武両道に秀でた源頼政を主人公にした世阿弥の格調高い修羅能。
   前シテ/老人・後シテ/源頼政の霊(塩津哲生)
   ワキ/旅僧(宝生欣哉)
   アイ/所の者(石田幸雄)
   前シテの老人は、三光尉の面の普通の老人だが、後シテの頼政の霊は、専用の頼政面に頼政頭巾を被った派手な装束を身に着けた特異な姿で登場し、正中の床几に腰を掛けたままで、戦況を語るのだが、今回の公演は、「近代絵画と能」と言う特集で、プログラムに、「宇治合戦図」が描かれており、これをイメージしなければならない。

   私の宇治川の最初の印象は、琵琶湖に源を発して、天ヶ瀬ダム経由で、渓流を流れ下る川なので、思っているよりも、はるかに急流で水の勢いが凄いのにびっくりした。
   何故、この山間部から下ってきた直後の急流の激しい宇治川の平等院畔で、宇治川先陣争いもそうだが、合戦をしたのか、不思議に思っている。

   平氏政権下での源氏の長老として70歳まで生を全うした数奇な運命を辿った頼政の最期については、平家物語の 巻第四・宮御最期 『三位入道七十に余つて…』に描かれており、そのラスト部分は、
   「埋れ木の花さく事もなかりしに身のなる果ぞ悲しかりける」
   これを最後の詞にて、太刀の先を腹に突立て、俯様に貫かつてぞ失せられける。その時に歌詠むべうは無かりしかども、若うより強ちに好いたる道なれば、最後の時も忘れ給はず。その首をば長七唱が取つて、石に括り合せ、宇治川の深き所に沈めてけり。
   この部分が、能の最後にも引用されている。

   私は、学生時代、当時、黄檗山万福寺のすぐそばに宇治分校があって、教養部の1年間、宇治の駅前の老舗茶問屋に下宿して通っていたので、平等院や宇治川畔は、私の逍遥の場であってお馴染みであった。
   ワキの旅僧の移動する稲荷の社から深草、木幡から宇治への道や、合戦の宇治川、頼政のはてる平等院の庭などは、よく知っていて、観能の時には、残念ながら、脳裏には浮かんでは来なかったが、説明だけは出来る。

   いずれにしろ、山紫水明、時々刻々と風景が微妙に変化して行く宇治川河畔や宇治の里の美しさは格別で、素晴らしい青春の日々であったことを回想している。

   
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木村太郎著「トランプ後の世界」(1)

2018年02月07日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   1年前にトランプの勝利を確信していたと言う木村太郎の、大統領選挙直後の小冊子である。
   今では既知の事実だとしても、殆どの人が、”いやらしいオヤジ”が、”利権にまみれた女性”に勝つなどとは思っても居なかった頃であるから、卓見と言うべきであろう。
   しかし、この本が、トランプが大統領に当選した直後、就任前と言う時期に書かれたものであるので、かなり、誤りと言うか、予想外れもあって、非常に興味深い。
   
   木村太郎は、トランプを、かなり、買いかぶって高く評価している感じがする。
   特に、ヒラリー・クリントンとの比較において、それが、際立っている。

   私自身は、ヒラリーが勝利していたとしても、アメリカの現状は何も変わらず、このままで行くと、益々、アメリカの民主主義や資本主義が窮地に立ち、アメリカの弱体化が進んで行くであろうとは思っていたが、トランプになったからと言って、アメリカが良くなるとも思っていない。
   いずれにしろ、この本を読んでいて、感じたことを私見を交えて記して見たい。

   まず、著者が、トランプ大統領が有り得ると思った根拠の一つが、「Drain The Swanp 既存の利権にまみれたワシントンの面々を押し流してしまえ!」と言うトランプのキーワードだったと言う。
   別なところで、著者は、トランプが新しく任命した役人は、退職後、5年間はロビー活動をしませんと宣誓させたと書いているが、アメリカの政治が、膨大な資金に操られた利権団体を代表して積極的に議員を抱き込んで政治をスキューするロビイストによって毒されていることは、周知の事実であり、これは、極めて重要なエポックメイキングな措置であろう。
   トランプは、NYTやワシントンポスト、CNNなど権威ある高級メディアをフェイクニュースの権化のように執拗に糾弾し続けているが、ある意味では、アメリカの良心を代表する報道機関だとしても、エスタブリッシュメントと癒着した権力構造への反旗でもあったと言うことであろうから、インパクトはあった。

   トランプが暴言とも思えるような直截で明確な発言を繰り返して、一般的なアメリカ国民に押し付けられていたオバマ政権が旨としていた民主的な「建前論」を、叩き潰した。
   すなわち、アメリカ人が日頃思っていた感じていたことを、はっきりと口に出して発言して、国民の心をつかんだと言う著者の指摘は、正しいと思う。
   例えば、メキシコからの不法移民がアメリカの社会を無茶苦茶にしているので、メキシコとの国境に壁を築くと言った発言だが、実は、この措置によってメキシコからの移民を阻止することは、むしろ、メキシコ系アメリカ人にとっては、競争を排除してくれて既得利権をを守ってくれるので賛成であり、ヒスパニック系の票を集めたと言うのである。

   「アメリカ第一主義」も、アメリカ社会から見捨てられたと思っていたラストベルトの白人労働者のみならず、アフリカ系アメリカ人たちの賛同も得たと言い、一般的に言われているように、ヒラリーを嫌ったと言う事だけではなく、女性蔑視を繰り返しながらも、トランプは多くの女性票を獲得したと言うから、自分たちの言い分を良く代弁してくれたと言う思いが国民に強かったのであろうと思う。

   ここ何十年も、国民の勤労所得が、ダウン気味で一切上昇しておらず、経済格差が拡大して行く一方である。
   多くのアメリカ国民が、グローバリゼーションの進行で、ラストベルトを筆頭に、中国やメキシコに仕事を奪われて疲弊して行き、そして、政治経済社会がICT革命の進展で知的武装を迫られるも付いて行けず、社会から、益々、阻害され排除されて、生きがいを失って行く。
   リベラル派の学者たちが述べてはいたが、今回の大統領選挙で、トランプが、アメリカ・ファースト、Make America Great Again と言う単純な言葉で繰り返し続けて、注意を喚起した と言う事であろうが、残念ながら、トランプに対する先入観が邪魔して、トランプの真実を、素直には理解できなかった。
   
   選挙中に、トランプの本を何冊か読んだが、とにかく、常識では考えられないよう人物が、アメリカのトップ舞台に登場したと言う思いはあった。
   しかし、よく考えてみれば、トランプは、アメリカの政治経済社会の真実の姿を、身を持って、白日の下に晒しだして、国民の支持を得たと言うことでもあって、このことの重大性を、まず、考えてみるべきだと言う気にはなっている。
   
   
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鎌倉だより・・・荏柄天神社の梅

2018年02月06日 | 鎌倉・湘南日記
   瑞泉寺からの帰り道、荏柄天神社に立ち寄った。
   瑞泉寺で梅が咲いて居なくても、そこは、菅原道真の天神さんであり、梅の花とは相性も良いので、多少、違うであろうと、期待して行ったのである。
   やはり、梅には、まだ、大分早いのだが、まず、門前近くの紅梅が一本、そして、左手の斜面の庭園に紅梅と薄桃色の梅が咲いていた。
   
   
   
   
   

   石段を登って行くと、門の向こうに、拝殿が現れて、その右手の紅梅が綺麗に咲いている。
   実質、咲いているのは、この紅梅一本だけだが、かなり、咲いているので、朱塗りの拝殿と調和して、結構華やかなのである。
   
   
   
   

   私の記憶では、3月初めだったような気がするのだが、終わったのかどうか分からないが、要するに受験シーズン。
   この神社は、天神さんであるから、受験生の神様である。
   拝殿の正面と両翼の壁面には、受験生の合格祈願の絵馬が、たわわに掛けられていて壮観である。
   北野天満宮などの絵馬は、受験校や本人の名前などが書かれた面が表に出ていて面白かったが、ここの絵馬は、何故か、皆天神さんが表を向いている。
   私など、神頼みなど意識にもなかったし、予備校や塾にも縁がなかったので、極めて淡白な受験生活だったが、それでも、5時間寝たら落ちると言う「4当5落」と言われた時代であった。
   コンピューターが、東大入試に挑戦して、合格しそうだという時代に、「絵馬」と言う古式も、何となく奥ゆかしくて良い。
   
   
   

   この神社では、やはり、漫画家たちの筆塚。
   私には、子供の頃から、漫画に親しんだ時期が全くなかったので、週刊誌での小島功くらいで、孫の影響でドラえもんと言ったところが精々であろうか。
   しかし、一つ一つの銅板の絵を見ていると、実に面白い。

   とにかく、紅梅が美しいのである。
   沢山の梅が咲き乱れている時よりも、ほんのチラホラ咲きの時の方が、一つ一つの花姿を愛でるのには良いのかも知れない。
   満を持して一気に咲く一番花が、一番美しいと言う。
   
   
   
   
   
   
   
   
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鎌倉だより・・・瑞泉寺梅はまだまだ

2018年02月05日 | 鎌倉・湘南日記
   わが庭の梅の花が、かなり、華やかに咲き始めたので、鎌倉の古社寺はどうであろうかと、まず、梅林もあり、境内の本堂前には立派な梅の古木もあるので、期待して出かけたのだが、昨年に全くの肩透かしを食っているのを忘れて、今年も早く行き過ぎて、一二本チラホラ咲きかけたいる程度で、全く残念な思いをして帰ってきた。
   寺の人の話では、20日以降、月末くらいが最盛期であろうと言うことである。

   昨夜、NHKの山中伸弥教授の”脳”凄いぞ!を見ていたので、殆ど人が居なくて気が遠くなるような静かさであったので、何も考えずにぼーっとする「デフォルト・モード・ネットワーク」の再現を決め込んで、暫くたたずんでいた。
   まず、通用門を入ってすぐの梅林だが、少し、ほころび掛けているのは紅梅一本だけで、殆ど音なしの構えである。
   山寺の雰囲気を残す石段を登って行くのだが、このアプローチは雰囲気があって良い。
   左手の古い石段の上、山門左手に、吉田松陰留蹟碑が立っている。
   この古い石段の方が正式なのだが、すり切れていて滑りやすいので避けていたが、今日は、人がいなかったので、ゆっくりと歩いてみた。
   山門をくぐって境内に入っても、梅の古木の曲線は美しいが、殆ど無色の空間である。
   私は、まだ、咲き切った瑞泉寺の梅を見たことはないのだが、綺麗だろうと思う。
   
   
   
   
   

   本堂前の境内の梅は、一二本、チラホラ咲きだが、地蔵堂前の八重の紅梅が、少し咲き始めていて、彩を添えている。
   
   
   
   
   

   夢窓国師作だと言う名勝瑞泉寺庭園の池の島に一匹のアオサギが小休止していた。
   以前、円覚寺の池でも見たのだが、殆ど動かずにじっとしている。
   
   
   
   
   
   境内に咲いている花は、蝋梅、サンシュユ、ミツマタ、
   
   
   
   
   
   

   面白いと思ったのは、水戸黄門が植えたと言う「冬桜」
   一輪と二輪、二か所に小さな花が咲いていたのだが、二メートルにも足りない小さな木であった。
   
   

   そして、椿だが、これも、寒椿や侘助のような小輪の花が多くて、かなり大きくなった木で咲いているのだが、数少ない園芸種の大輪の椿は、まだ蕾が固い。
   この瑞泉寺には、山肌の斜面も含めて、侘助椿など小輪の椿が多いのが特色のような感じである。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
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わが庭・・・クリスマスローズ咲き始める

2018年02月04日 | わが庭の歳時記
   久しぶりに、良い天気で風もなく温かい日となったので、やり残しの春への準備の庭仕事を始めた。
   後片づけのような雑仕事だが、綺麗にしようと思えば、次から次へと出てくるのだが、もうすぐ、花木や草花が動き出して、綺麗な花を咲かせると思うと、結構、力が入る。

   落葉樹の葉が落ちて、枯れ草が消えた庭は、思いがけない程、明るくてオープンなのだが、これが、初夏になると鬱蒼として茂るのだから、自然の営みはダイナミックなのである。

   クリスマスローズの花が咲き始めた、まだ、一株だけだが、他の株からも、勢いよく新芽が出始めている。
   ブリタニカによると、
   本来クリスマスローズと呼ばれるのはニガー(H.niger)という種で、アルプス中西部とアペニン北部の山地に分布し、12〜2月頃に白い花を咲かせる。東欧から西南アジアに分布するオリエンタリス(H.orientalis)をクリスマスローズと呼ぶことが多い(英国ではレンテンローズと呼ぶ)。と言うことで、一般のクリスマスローズは、オリエンタリスで、クリスマスに咲くのではなくて、晩冬から春にかけて咲く花と言うことである。
   
   
   
   
   

   鹿児島紅梅が、綺麗に咲いている。
   大船のフラワーセンターの梅林の梅も立派に咲き乱れている頃だと思うのだが、残念ながら、大規模な改修工事を実施中で、4月1日まで閉園である。
   
   
   
   
   
   

   椿は、大分、蕾が含み始めているので、月末くらいから、次々と咲き始めるであろう。
   相変わらず咲き続けているのは、玉ありあけとタマグリッターズ、
   寒さにやられない咲き始めの頃だけ、綺麗なので、寒い時に咲く椿は可哀そうである。
   少し花数は少なくなったが、日本スイセンが咲いている、
   
   
   
   

   春に咲く花の花芽が動き出している。
   すぐにも咲きそうなのが、沈丁花と中国ミツマタ、
   少し早い感じで、残寒の霜にやられなければ良いのにと思うのは、ばらとアジサイ、
   それに、牡丹まで芽を出している。
   もう、そこまで、春の足音が近づいてきている。
   
   
   
   
   
   
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吉川英治著「井伊大老」

2018年02月02日 | 書評(ブックレビュー)・読書
    今月の歌舞伎の「井伊大老」は、何回か観ていて感激しているのだが、一寸、井伊直弼がどのように描かれているのか、もう少し知りたくて、吉川英治のこの本を読んでみた。
   真偽はともかく、歴史小説としては第一人者の本なので、直弼の実像に少しでも触れてみたいと思ったのである。

   北条秀司作の歌舞伎のように、桜田門外の変の前夜の、千駄ヶ谷の下屋敷でのお静の方とのしっぽりとした人間井伊直弼を描いた感動的な芝居とは違って、吉川英治の小説は、いわば、味もそっけもない井伊大老の歴史物語である。

   冒頭、放浪の痩せ浪人として登場するのが、直弼の家臣であり師でもあった国学者長野主膳で、25歳まで一切故事来歴が分からないので、吉川英治の創作であろうが、得体の知れない人物が、幕末の日本の歴史を担った井伊大老の主義思想に大きな影響を与えたと思うと、不可思議と言うか、
   勿論、井伊直中の十四男であった井伊直弼が、彦根君主となり大老となったのも、奇跡中の軌跡であろうから、偶然とは言え、ギボンの「ローマ帝国衰亡史」を読むように、歴史は面白いのである。
   
   18世紀の中期幕末から明治にかけては、日本にとっても、非常に歴史上風雲急を告げる大変な時期だが、欧米共に、産業革命や独立戦争や革命など歴史を激変させる大変革が漸く収束して成長拡大期に入った頃で、第一次グローバル時代の到来と言うか、欧米列強が、アジアを蚕食し始めた時期であった。
   長い350年もの間、鎖国さえして世界から隔絶して惰眠をむさぼっていた江戸時代の太平天国に、黒船がやってきて開国を迫ったのであるから、大変な国難を招いた。
   そんな時代に、尊王攘夷か開国かで、国が真っ二つに割れて上へ下への大騒ぎに、国の舵取りを任された井伊大老の悲劇への軌跡が、この小説である。

   直弼の大老時代に、大きく影を落とした事件は、第14代将軍の世継ぎ問題とハリスに迫られての開国だが、世継ぎ問題は、一応、紀州家に落ち着いて勝利したが、開国問題は、悲惨な安政の大獄を招き、大老の暗殺と言う悲劇で終わった。
   私は、結論から言って、あの時代においては、もう少し、やり方はあったとしても、井伊直弼の開国しか、日本の生きる道はなかったと思っており、大老の偉業だと思っている。
   たとえ、不平等条約で屈辱をなめたとしても、アヘン戦争で西洋列強に蹂躙され、百年を棒に振った中国の悲劇を考えれば、開国して、明治時代に、必死になって富国強兵に励んだ日本の近代史は間違っていなかったと思っている。
   鎖国故に世界から隔離されていたがために、英明な日本人が、世界の潮流から一歩も二歩も遅れていて、欧米の文明化近代化が、如何に凄いものであったか、分からなかった忸怩たる悲劇を、最短距離で詰め得たと言うことである。

   日米条約については、ハリスの威嚇に抵抗できず、調印延期に奔走するも、万が一にも、ハリスが聞き入れない時には、「是非に及ばん」と言った直弼の言で、神奈川表で、二人の使者が、署名調印する。
   この後、直弼は、千代田城の上から、品川湾を見て、「よし、調印せいっ」と命令し、英、露、蘭、仏と条約に調印した。
   直弼は、こう行くより他にない。これが国家のために最善の政治である。国家の危機が大事か、政務の手続きや形式が重大か、そんなことは盲目な人に分別がつかなくても、神は知っている。おのれは恥じぬ。・・・これでいいのだ。と言っている。
   慶喜に、違勅の咎めが将軍家の身に降りかかったらどうするのか、朝廷への奏聞に宿次ぎ奉書とは何事かと厳しく詰問される。
   老公にも責められ、京都へ奏聞も及ばず、事前に調印したのは、恐れ多いことだが、一旦、外国と先端を開く時には、百万の精霊は塗炭に苦しみ、ついには、清国の覆轍を踏むに至るやも知れない。と言っている。
   
   興味深いのは、主膳に、「主君への忠節と国家への忠節が両立しない」と言われて、直弼は、徳川家あって朝廷のあるを知らないほどうつけではないと、
   攘夷党がどう騒ごうと、朝廷の意向が一時はどうであろうと、日本は、西洋の文化に、永く港を鎖じているものではない、時勢がどこかでそれを囁く、
   幕府のためのみでなく、国家のためだ。日本国の御ためと相成れば、当然、朝廷に対してもご奉公の一端と申すもの と言っている。
   日本の将来を考えれば開国以外に道はなく、詔勅を得なかったことは手落ちだが緊急を要した、日本にとって良いことは、幕府にも朝廷にも良いことである、と調印して、確固たる確信を持ったと言い放ったのである。

   吉川英治は、安政の大獄については、多くを語っていないが、水戸家や反対派公家や尊王攘夷派たちとの虚々実々の熾烈な戦いや駆け引きなどにつて、非常に詳しくビビッドに展開していて面白い。
   九条家に関わる加寿江との恋など、主膳については、小説らしいストーリーも語っていて面白いが、やはり、直弼の大老としての劇的な自伝的描写が主体の小説である。
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国立能楽堂…「1月狂言の会 鍋八撥・蛸・千切木」

2018年02月01日 | 能・狂言
   「1月狂言の会 鍋八撥・蛸・千切木」は、

   狂言 鍋八撥(なべやつばち)  大藏 吉次郎(大蔵流)45分
   狂言 蛸(たこ)  野村 萬斎(和泉流)       30分
   狂言  千切木(ちぎりき)  茂山 七五三(大蔵流) 35分
      非常に、意欲的な公演で、楽しませて貰った。

   本格的に夫々観るのは、初めてであったので、面白かった。
   特に、興味深かったのは、狂言蛸で、殆ど能の舞台と同じような夢幻能の世界で、シテが、蛸の亡霊であると言うことくらいであろうか。
   囃子もあれば、地謡も、そして、ワキもアイも、能と変わらずに登場する。

   日向の国の僧(ワキ/万作)が、播磨の清水の浦を訪れた時、目の大きな法師(シテ/萬斎)が現れて、弔いを頼んで姿を消す。浦に住む所の者(アイ/岡聡史)が、去年の蛸捕獲の話をする。僧が読経していると、蛸の亡霊(シテ/萬斎)が現れて、昨年、大網にかかって、悪天候を蛸の仕業とされて打ち殺されて塚を築いて弔われた話をして、皮をはがされ、まな板の上で切り刻まれ、張蛸となって、足手は塩漬けとなる苦しみを受けた最期の経緯を舞ながら語る。蛸の亡霊は、僧の読経に合わせ念仏を唱えて姿を消す。
   夢幻能形式の舞狂言なので、派手な衣装を身に着けて、大きな頭の蛸を帽子状に頂いた赤頭の萬斎の蛸の亡霊が、器用に、蛸が料理される経緯を仕方舞で、舞台狭しと、ユーモラスに舞いながら再現する見せ場は、流石で、実直真面目一方で舞台に立つ万作の僧との対比が、一層、コミカルで面白い。
   「吐墨」と小書きがついているので、萬斎の蛸の亡霊は、二回、土蜘蛛のような糸状の墨を派手に舞台上で撒くのがビジュアル的にも興味深くて良った。

   「鍋八撥」は、脇狂言で、
   市が新設され、一番乗りした商人には将来にわたって商売上の特典が与えられる高札が出たので、羯鼓売り(アド/大蔵教義)がやってきて、だれもいないので、ひと寝入りして夜明けを待つ。続いて鍋売り(シテ/吉次郎)がやってきて、先着者に気づくが一番乗りを装って同じくそばに寝る。目覚めた両人が先着争いをしているところに目代(アド/善竹忠一郎)が仲裁に入るが、自分の商売物こそがと言って譲らないので、棒振りと鞨鼓打ちの勝負をさせる。勝負がつかず、目代が退場するも、羯鼓売りが、逆立ちして手足を伸ばして水車のように回転して退場する。その俊敏な舞を鍋売りがまねるが、うまくいかず転んで鍋を割ってしまい、「数が多くなってめでたい」といって喜ぶ。
   この鍋が割れるのは、凶事ではなく、祝い・目出度さを示すと言うことのようで、もし、舞台で割れなかった時には、「芯の堅い鍋じゃ。取って帰って重宝いたそう。」などと言って留めると言うことである。
   若くて敏捷な長男の羯鼓売りと、世知にはたけているが逆立ちなど無理も無理、高齢者で鈍重な親父の鍋売りとでは、当然勝負にならず、この対照の妙が実に面白いのだが、近くの席の××の×××おばさんの大きくて×××笑い声が、ピント外れでもあって、最初から最後まで、興ざめ。

   最後の「千切木」は、お豆腐狂言の茂山千五郎家の総出演の狂言で、面白かった。
   
   連歌の初心講)に、頭の何某(アド/千作)の家に仲間が集まったのだが、いつもの宗匠気どりであれこれ注文をつける太郎(シテ/七五三)は邪魔なので呼ばれなかったのだが、かってに顔を出して、あれこれ文句をつけるので、太郎の差し出口を苦々しく思った連中は、亭主と謀って太郎をさんざん打擲して散会する。太郎の災難を聞いて、太郎の妻(アド/あきら)が棒を振りかざしてやってきて、女房に煽られた太郎は、しぶしぶ連中の家へ敵討に出かける。どこへ行っても居留守を使われるので、気の弱い内弁慶の太郎は、留守を幸いに勢いを得て門前で棒や刀を振り回して悪態をつくのだが、女房は、それを誉めそやして、手に手をとって意気揚々と引き揚げていく。
   立衆/連歌の講中に、千五郎、宗彦、茂、逸平、童司、やすし お馴染みが登場している。
   初心講の太郎と講中との掛け合いも非常に面白いが、仲間内では我儘で意地を通す内弁慶の太郎と、わわしいのだが夫思いの妻との何とも言えない夫婦の慣れ合いが面白く、七五三とあきらの軽妙な演技が秀逸であった。
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