サントリーホールでの、今日の「プロムナードコンサートNo.376」のプログラムは次の通り。
指揮/準・メルクル
チェロ/エドガー・モロー
曲目
メンデルスゾーン:序曲《フィンガルの洞窟》op.26
ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調 op.104 B.191
シューマン:交響曲第3番 変ホ長調 op.97《ライン》
指揮者の凖・メルクル(58歳)は、ドイツ人の父と日本人の母との間に、ミュンヘンで生まれたドイツの指揮者で、セルジュ・チェリビダッケに師事し、1993年に、「トスカ」を指揮してウィーン国立歌劇場に初登場し、1999年に、「イル・トロヴァトーレ」を指揮してメトロポリタン歌劇場に初登場したと言うのだから大変な逸材である。
月末、二期会オペラ劇場で、ワーグナーの「ローエングリン」を振ると言うのであるから、オペラに関しては、大変な思い入れがあるのであろう。
初めて聴いたのだが、非常に端正な折り目正しい指揮ぶりで、ダイナミックに都響を謳わせて感動的なサウンドを披露した。
私の感激したのは、シューマンの「ライン」より、ドヴォルザークの「チェロ協奏曲」の方であった。
冒頭、チェロが奏でるまでに、かなり長い間、オーケストラが美しい主旋律を奏して聴衆を夢の世界に誘い、続いて、朗々とチェロが歌い出すと、私など、感動の一語。
この協奏曲は、ボヘミアの音楽と黒人霊歌やアメリカン・インディアンの音楽を見事に融和させた作品だと言われているようだが、私には、そんな思いよりも、Rudolfinumでオペラを鑑賞した後、河畔を散策しながら、華麗なカレル橋越しに小高く聳え立つ王宮の丘を見上げながら滔々と水をたたえて流れるモルダウ川が、静かにたゆたう雄大な姿が、髣髴と脳裏を駆け巡り感動的であった。
このプラハには、ベルリンの壁崩壊直後と落ち着いてからの二回訪れているが、これほど、美しくて素晴らしい都市はないと思っている。
チェロのエドガー・モローは、若きフランスのチェリストで、2009年ロストロポーヴィチ国際チェロ・コンクールにおける「最も将来性のある若手奏者」賞、11年国際チャイコフスキー・コンクール第2位と言うチェロ界の希望の星で、ダイナミックだが、奏でるチェロのサウンドは、実に美しい。
私は、随分以前に、同じフランス人のピエール・フルニエのこの協奏曲を聞いた記憶があるのだが、同じように、モローのチェロの音色が、気品があって格調高く、そして、実に優しくて温かい感じがするのは、フランス人気質なり血の騒ぎであろうか。
モローのアンコールは、バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番 サラバンド
クラシック音楽の世界には、国籍など全く関係ないのかも知れないが、新世界アメリカの香りと古色蒼然としたヨーロッパの魂を叩き込んだドヴォルザークのチェロ協奏曲を、ドイツ人と日本人のバックグラウンドを背負ったメルクルが指揮して、フランス人のモローにチェロを歌わせて、日本の都響を緩急自在に踊らせて限りなく豊かで美しいサウンドを奏でて、夢のような世界を紡ぎ出す。
私には、よく分からないが、とにかく、最初から最後まで、ドヴォルザークのチェロ協奏曲の世界に埋没して、感動して聴いていた。
私は、このドヴォルザークのチェロ協奏曲を、二度、ロストロポーヴィチのコンサートを聴いている。
一度は、ロンドン交響楽団の特別演奏会で、この時、指揮の小澤征爾がロンドンへ来れなくて代演だったのでよく覚えている。コンサート会場で、係員が入場者一人一人に、小澤征爾が振れないのでチケットをキャンセルするのだったら申し出てくれと聞いており、小澤征爾が如何にロンドンで高く評価されているのかを思い知ったからでもある。
このドヴォルザークのチェロ協奏曲は、他には、ヨーヨーマでも聴いており、欧米で、結構、あっちこっちで聴いていていたので、いくらクラシック音楽音痴の私の耳にも、華麗で福与かな美しい旋律が沁み込んでいるので、聴いていて、私の心が共鳴し続けていたのである。
とにかく、素晴らしい演奏会であった。
これで、今年の都響のプロムナード・コンサートは終わるのだが、少し、軽い感じがするので、四月からの新シーズンは、同じマチネのCシリーズに変えることにした。
多少回数が多くなって、会場が、サントリーホールから、東京芸術劇場に変わるが、横浜から池袋なら、東横線・南北線一本なので、この方が、便利になる。
これまでに、シーズンメンバー券を買って会員なって通い続けたのは、外国では、フィラデルフィア管、コンセルトヘボー管、ロンドン響、
日本では、最初は、NHK交響楽団、日本に帰国してからは、小澤征爾を聴きたくて新日本フィル、その後、都響に代わったのだが、それでも、随分長くなっている。
単発で、チケットを買ってコンサートやオペラに行くこともあるが、
悠々自適、引退生活に入ったので、もう、ウィーンフィルやベルリンフィルやと言うわけには行かなくなってしまった。
しかし、欧米を駆け巡って音楽の殿堂を渡り歩いて来たので、知盛の心境と言うわけではないが、見るべきものは見つ、聴くべきものは聴いた、と言う気持ちが、どこかにはあることは事実である。
日本の古典芸能鑑賞の合間に、都響の定期を聴きながら、時折、クラシック音楽の世界に浸って、ヨーロッパなどの懐かしい思い出を反芻しながら、昔を回顧すると言うのも、歳の所為かも知れないと思っている。
指揮/準・メルクル
チェロ/エドガー・モロー
曲目
メンデルスゾーン:序曲《フィンガルの洞窟》op.26
ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調 op.104 B.191
シューマン:交響曲第3番 変ホ長調 op.97《ライン》
指揮者の凖・メルクル(58歳)は、ドイツ人の父と日本人の母との間に、ミュンヘンで生まれたドイツの指揮者で、セルジュ・チェリビダッケに師事し、1993年に、「トスカ」を指揮してウィーン国立歌劇場に初登場し、1999年に、「イル・トロヴァトーレ」を指揮してメトロポリタン歌劇場に初登場したと言うのだから大変な逸材である。
月末、二期会オペラ劇場で、ワーグナーの「ローエングリン」を振ると言うのであるから、オペラに関しては、大変な思い入れがあるのであろう。
初めて聴いたのだが、非常に端正な折り目正しい指揮ぶりで、ダイナミックに都響を謳わせて感動的なサウンドを披露した。
私の感激したのは、シューマンの「ライン」より、ドヴォルザークの「チェロ協奏曲」の方であった。
冒頭、チェロが奏でるまでに、かなり長い間、オーケストラが美しい主旋律を奏して聴衆を夢の世界に誘い、続いて、朗々とチェロが歌い出すと、私など、感動の一語。
この協奏曲は、ボヘミアの音楽と黒人霊歌やアメリカン・インディアンの音楽を見事に融和させた作品だと言われているようだが、私には、そんな思いよりも、Rudolfinumでオペラを鑑賞した後、河畔を散策しながら、華麗なカレル橋越しに小高く聳え立つ王宮の丘を見上げながら滔々と水をたたえて流れるモルダウ川が、静かにたゆたう雄大な姿が、髣髴と脳裏を駆け巡り感動的であった。
このプラハには、ベルリンの壁崩壊直後と落ち着いてからの二回訪れているが、これほど、美しくて素晴らしい都市はないと思っている。
チェロのエドガー・モローは、若きフランスのチェリストで、2009年ロストロポーヴィチ国際チェロ・コンクールにおける「最も将来性のある若手奏者」賞、11年国際チャイコフスキー・コンクール第2位と言うチェロ界の希望の星で、ダイナミックだが、奏でるチェロのサウンドは、実に美しい。
私は、随分以前に、同じフランス人のピエール・フルニエのこの協奏曲を聞いた記憶があるのだが、同じように、モローのチェロの音色が、気品があって格調高く、そして、実に優しくて温かい感じがするのは、フランス人気質なり血の騒ぎであろうか。
モローのアンコールは、バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番 サラバンド
クラシック音楽の世界には、国籍など全く関係ないのかも知れないが、新世界アメリカの香りと古色蒼然としたヨーロッパの魂を叩き込んだドヴォルザークのチェロ協奏曲を、ドイツ人と日本人のバックグラウンドを背負ったメルクルが指揮して、フランス人のモローにチェロを歌わせて、日本の都響を緩急自在に踊らせて限りなく豊かで美しいサウンドを奏でて、夢のような世界を紡ぎ出す。
私には、よく分からないが、とにかく、最初から最後まで、ドヴォルザークのチェロ協奏曲の世界に埋没して、感動して聴いていた。
私は、このドヴォルザークのチェロ協奏曲を、二度、ロストロポーヴィチのコンサートを聴いている。
一度は、ロンドン交響楽団の特別演奏会で、この時、指揮の小澤征爾がロンドンへ来れなくて代演だったのでよく覚えている。コンサート会場で、係員が入場者一人一人に、小澤征爾が振れないのでチケットをキャンセルするのだったら申し出てくれと聞いており、小澤征爾が如何にロンドンで高く評価されているのかを思い知ったからでもある。
このドヴォルザークのチェロ協奏曲は、他には、ヨーヨーマでも聴いており、欧米で、結構、あっちこっちで聴いていていたので、いくらクラシック音楽音痴の私の耳にも、華麗で福与かな美しい旋律が沁み込んでいるので、聴いていて、私の心が共鳴し続けていたのである。
とにかく、素晴らしい演奏会であった。
これで、今年の都響のプロムナード・コンサートは終わるのだが、少し、軽い感じがするので、四月からの新シーズンは、同じマチネのCシリーズに変えることにした。
多少回数が多くなって、会場が、サントリーホールから、東京芸術劇場に変わるが、横浜から池袋なら、東横線・南北線一本なので、この方が、便利になる。
これまでに、シーズンメンバー券を買って会員なって通い続けたのは、外国では、フィラデルフィア管、コンセルトヘボー管、ロンドン響、
日本では、最初は、NHK交響楽団、日本に帰国してからは、小澤征爾を聴きたくて新日本フィル、その後、都響に代わったのだが、それでも、随分長くなっている。
単発で、チケットを買ってコンサートやオペラに行くこともあるが、
悠々自適、引退生活に入ったので、もう、ウィーンフィルやベルリンフィルやと言うわけには行かなくなってしまった。
しかし、欧米を駆け巡って音楽の殿堂を渡り歩いて来たので、知盛の心境と言うわけではないが、見るべきものは見つ、聴くべきものは聴いた、と言う気持ちが、どこかにはあることは事実である。
日本の古典芸能鑑賞の合間に、都響の定期を聴きながら、時折、クラシック音楽の世界に浸って、ヨーロッパなどの懐かしい思い出を反芻しながら、昔を回顧すると言うのも、歳の所為かも知れないと思っている。