熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

都響定期公演C・・・大野和士指揮:シベリウス「交響曲第2番ニ長調」ほか

2019年09月08日 | クラシック音楽・オペラ
   颱風15号が、関東直撃と言う今日、まだ、海上遠くにあり、朝は晴天で殆ど無風状態だったので、多少心配しながら、都響の定期公演を聴きに東京の池袋の芸術劇場に向かった。
   「日本・フィンランド外交関係樹立100周年記念」「渡邉暁雄生誕100年記念」と銘打った公演で、プログラムは、次の通りで、非常にポピュラーで、素晴らしい曲揃いの所為か、珍しくチケットは完売とかで、非常に湧いていた。
   

指揮/大野和士
ピアノ/ホアキン・アチュカロ
シベリウス:トゥオネラの白鳥 op.22-2
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 op.18
シベリウス:交響曲第2番 ニ長調 op.43
アンコール(ピアノ)アレクサンドル・スクリャービン「左手のための小品 ノクターンop.9」

   トゥオネラの白鳥は、フィンランディとカップリングされたレコードを買って、最初に感動したシベリウスの音楽で、
   白鳥を表現する素晴らしく美しいイングリッシュ・ホルンが、悲しく抒情的な情緒連綿たる旋律を奏で続けると、チェロ独奏が低音から高音へと暗いモチーフを奏でて呼応する、
   大野和士は、この曲の時だけ、タクトを持たずに、両手を美しく優雅に躍らせながら指揮を続けて、天国のようなサウンドを紡ぎ出す。

   ラフマニノフのピアノ協奏曲は、これまで、コンサートで何度聴いたか、美しくて非常にダイナミックな曲で、チャイコフスキーとは一寸ニュアンスの違ったロシアのピアノ協奏曲で、私は、この方が好きである。
   ホアキン・アチュカロは、サイモン・ラトルから「ピアノからこんな音を引き出せる音楽家はめったにいない」と評されたスペインを代表する86歳の巨匠ピアニストだと言うことだが、悠揚迫らぬ骨太でダイナミックなラフマニノフを披露したかと思ったら、アンコールで弾いたのは、繊細で病的だと言われているスクリャービンの「左手のための小品 ノクターンop.9」、
   ロシアのピアノ曲を典型的なラテン人のアチュカロが、実に情緒たっぷりに歌わせて感動させたと言うのも驚きだが、なぜか、あのパステルナークの映画「ドクトル・ジバゴ」の凍り付いたシベリアの大地の映像を、スペインのシエラ・ネバダ山脈で撮ったと言うのを思い出して、何となく納得した。
   アチュカロは、聴衆の熱狂的な拍手に応えてピアノの前に戻って、椅子をやや右側に引いて、右手を椅子の右角に置いて座り、足を少し左側に流し気味に傾けてペダルを踏み、静かに、左手で、ピアノを弾き始めた。
   初めて聞いたのだが、結構バリエーションのある奇麗な曲で、アンコールとしては、比較的長い時間を楽しませてくれた。

   交響曲第2番 ニ長調を聴くと、いつも、愛国心の強いシベリウスが、上空を侵犯して飛来するロシア空軍機に向かって、自動小銃を撃ち続けたと言うのを思い出す。
   今でこそ、世界最高峰の文化国家として勇名を馳せているフィンランドだが、隣接する大国ロシアに苦しめられていた歴史を持つ。
   私が、経団連の経済使節団に参加して訪れた時には、ロシア経済に頼っていたフィンランドが、ソ連の崩壊で、一気に経済が悪化して、必死に、まだ、初期の発展途上国である中国にアプローチするなど、模索していた。
   まだ、ノキアが快進撃を始める前だったのだが、その後の努力で、今や、世界最高の知的教育水準を誇り、幸福度No.1、
   私は、その後個人旅行でもう一度フィンランドを訪れているが、ムーミンとサンタクロースの国、森と泉に囲まれた美しい国である。

   さて、大野和士の交響曲第2番 ニ長調、
   途轍もなく高揚したダイナミックな終曲にタクトを下した大野和士、やや背を後ろに反らせて棒立ち、頬を膨らませて一気に吐き出し、感動の極致、
   指揮台を下りて、聴衆に向かった時には、穏やかな表情に戻っていたが、全力投球した会心の出来であったのであろう。
   盛大な拍手と「ブラヴォー」。
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NHK:ブラタモリ「京都御所~天皇の住まいはなぜこの場所だった?~」

2019年09月07日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   殆ど見ないのだが、NHKニュースの延長上で、ブラタモリ「京都御所~天皇の住まいはなぜこの場所だった?~」を見た。
   
   約500年ものあいだ天皇の住まいだった京都御所はなぜ平安京の隅にある?
   京都御苑の中にある京都御所は14世紀から明治はじめまで天皇の住まいであったのだが、京都の真ん中にあった平安京の平安宮から遥かに離れた東北の外れに、京都御所が今の場所にあるのは何故なのか、その理由を探るタモリの探訪なのである。
   それまで、天皇家は、移動を繰り返していたようだが、すべて左京側、何故、右京を避けたのか、
   右京には、氾濫や洪水を頻発する天井川が2本流れていて高低差が激しく住居が少なかったが、左京には、鴨川が流れているが急流で河岸段丘となって川底が2メートル降下し水害にあわなかったので、殷賑を極めたと言うのである。
   嵐電に乗ったり、京都の路地裏を歩いたりしながらその秘密を解き明かし、また、鴨川の上流から御所まで引かれた「御所用水」の痕跡をたどり、最後には、宮廷文化を今に残す冷泉家を訪ねると言う番組であった。

   京都で大学生活を送り、一時、京都の職場で勤務し、第二の故郷の思いで、源氏物語や平家物語を小脇に、古社寺散策に明け暮れ、随分、京都を歩いてきたのだが、今日の放送は、私にとっては、殆ど知らなかった京都の姿の発見で、京都を良く知っているつもりでいても、殆ど知らなかったことに気づいて恥ずかしい思いをした。

   京都の古社寺の建築や名園、歴史や文化など、通り一遍の知識は、かなり、深堀して知っていても、地形がどうだとか、住民の生活環境がどうであったとか、それも、長い時間軸でとらえるなど、この方面の知識は、非常に重要だとは思うのだが、その関係の本を読んだり勉強しない限り分からないことが多い。
   どうしても、何処の寺院のどの襖絵が凄いとか、どこの建築物や庭園が素晴らしいとか、何処が歌枕であり、あの能の舞台は何処なのか、そんなことに興味が行くと、結構、京都の本を読んでいても、関心が散漫になる。
   「御所用水」と庭園の関係とか、冷泉家のことは、私の知識範囲だが、相国寺の枯山水の庭に、この水が流れていて風情を添えていると言うことに興味を覚えた。
   冷泉家が、現在のように奇跡的にも残ったのは、東京遷都で、殆どの貴族は東京へ移ったのだが、中級貴族ゆえに留守居役を命じられて京都に残ったからだと、当主が語っていたが、ヨーロッパと違って、木造家屋の悲しさ、立派だったはずの公家や貴族の古建築が、すべて消えてしまったと言うのは、日本文化として大きな損失であったと思う。
   京都は町並み保存にかなり熱心に取り組んでいて、随分、あっちこっちを歩いて見て回ったし、路地裏に入れ込んだりして、古い京都の面影を感じることが出来るのだが、8年間ヨーロッパに住んでいて、あっちこっちでタイムスリップを味わった、何百年も、そのままの生活舞台が残っているヨーロッパの町並みに接して味わう人間の歴史の重みと比べれば、やはり、木と紙の文化の悲しさ、消えてしまった偉大な文化遺産が多いだけに残念ではある。
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国立能楽堂・・・能・喜多流「白楽天」

2019年09月06日 | 能・狂言
   興味深い能「白楽天」、二度目の鑑賞である。
   白楽天と言えば、「楊貴妃と玄宗皇帝」との熱愛を描いた長恨歌の作者白居易である。
   天下の大詩人を相手にして、住吉明神が、詩と和歌の戦いで、日本は、森羅万象生きとし生けるものは悉く歌を詠むと言ってその優越を示して、神々が挙って現れて、追い払ったと言う面白い曲である。
   既に、白楽天の「白氏文集」が、平安時代に伝来して、平安文学に影響を与えて、「枕草子」や「源氏物語」に片鱗を覗かせているので、白楽天を引き合いに出したのだろうが、大詩人をコケにする意気込みが中々素晴らしい。

   パンフレットの山縣正幸氏の説明によると、本曲の詞章に強い表現があるのは、舞台の住吉明神のある越前博多は、入寇、元寇、海賊の来襲など大陸からの外襲の被害を受けやすい土地で、当時、室町幕府が、倭寇討伐等で、明との関係が冷却しており、さらに、対馬攻撃の李氏朝鮮軍の撤退と言う背景があったのだろうと言う。
   岩波講座では、「招かれざる客を神が来現して追い払うと言う構想は脇能として異例である。」と述べられており、
   「能を読む」では、詞章にあるような、「国も動かじ、万代までに」「よも日本をば、従えさせたたまわじ」「動かぬ国ぞ久しき」と言った文言から、異国の脅威に晒された国難とも言うべき事態を念頭に置いた曲だと言うことである。。
   これを、風雅な和歌と漢詩の優劣を、住吉明神と白楽天との文学論争と言う形にして一蹴したと言う訳である。

   後場は、住吉明神(シテ/粟谷能夫)が、舞楽を奏して、白楽天(ワキ/殿田謙吉)の帰国を促し、伊勢・石清水・加茂・春日、多くの神々が示現して神風を起こし、唐土に吹き返すと言う結末だが、荘重な真ノ序ノ舞が魅せ処。
   シテは、「神と君が代の、動かぬ国ぞ久しき」と正先で両腕を巻き上げ、常座へ行っておろし留め拍子を踏む、と言うことだが、良く覚えていないけれど、「唐土へ吹き返す」と言うシチュエーションながら、ワキの白楽天はワキ座で正座したままで終わっていて、面白いと思って観ていた。
   
   山縣氏は、本曲は、当時の歴史的背景をかなり濃厚に反映しているが、それを、長閑な海上の釣りの光景や、漢詩と和歌の文芸的な応答へと昇華させている点が魅力、
   と述べているのだが、だから、能は難しいのである。

   今、隣国と正常な関係ではないので、世阿弥の時代の国民感情も、そうだったのかと思うと、不思議な感じもしない訳でもないが、国際関係も、為政者に人を得なければ、並みの隣人関係と同じだと言うことが分かって面白い。
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大型書店で暇をつぶす楽しみ

2019年09月05日 | 生活随想・趣味
   何かの拍子に、1時間でも、余裕なり暇な時間が出来ると、私の場合には、近くの大型書店を探して、そこで時間を過ごす。
   東京に出かけることが多いので、ターミナルに行けば、随分、書店がへってしまったけれど、必ず、そんな書店がある。
   喫茶店に入って、ゆっくり時間を過ごせばよいのだろうが、休まずに、本を眺めながら過ごす方が良い。

   東京駅では、私が良く行くのは、アゾアの丸善か八重洲ブックセンター、
   理由は色々あるのだが、私には、丸善の方が、相性が合うと言うのか、ここで時間を過ごすことの方が多い。
   まず、最初に訪れるコーナーは、どうしても、経営学や経済学、いわゆる、社会科学関係のコーナーである。
   丸善の場合には、地下街の細いエスカレーターを上った1階に、このコーナーがあって、新刊書など、結構、気の利いたアレンジでディスプレィされているので、一回り歩くだけで、傾向などが掴めて興味深い。
   八重洲ブックセンターの場合には、このコーナーが2階にあって、スペースが少ない所為もあってディスプレィ棚となる壁面が少ないうえに、何故か、並んでいる本の質が俗っぽい感じがして、私の趣向故だと思うのだが、これと思う本に出合うことが少ないのである。

   また、丸善では、文化芸術関連コーナーで、時間を過ごすことも多いのだが、ここも結構興味深くて、となりの、喫茶コーナーでも、本を読みながら過ごせるのも良い。
   こんなことで時間を過ごしていると、小一時間など直ぐに経ってしまうので、私には、暇つぶしをしながら、新しい本と出合うチャンスを掴めるので、一石二鳥である。

   先日興味を感じたのは、常設かどうかは知らないが、壁面棚3面を使って、「愛読古典」と言うコーナーが設営されていたことである。
   

   例えば、「世の中 人間の本質を知るー美についてー」と言うタイトルを打ったコーナーには、和辻哲郎の「古寺巡礼」や「風土」や岡倉天心の「茶の湯」、谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」、
   また、「‐道徳についてー」のコーナーには、西田幾太郎の「善の研究」、九鬼周造の「いき」の構造、ドストエフスキーの「罪と罰」、パスカルの「パンセ」等々
   

   これらの本は、我々、後期高齢者が、学生時代に読んでいた本で、推薦者は、パリパリの読書家なり知識人とは思えない選択であって、時代感覚が気になった。
   「善の研究」など、梅原猛でさえ良く分からなかったと言っていた本で、私など最初から敬遠していたのだが、どんなものであろうか。

   私に関心のある社会科学関係だが、ドラッカーの本は常連としても、「上司や世間に反逆したいとき」の水滸伝、「管理することに悩むとき」のギボンの「ローマ帝国衰亡史」など文庫本全巻がずらりと並んでいて、興味深かった。
   

   一つの「愛読古典」コーナーに、「岩波書店 在庫僅少フェア」があって、古い岩波文庫がディスプレィされていて、前のワゴンには、古書紛いの岩波書店の刊行本が並べられていた。
   私など、岩波書店の本は、良書であると言う先入観があって、大切に接していた世代だが、やはり、日本の学術文化に果たした貢献は大きいと思っている。
   

   さて、書店には、このような推薦本コーナーが必ず設営されていて、面白いと思いながら見ているのだが、納得出来ないことの方が多い。
   あまり自慢は出来ないとは思うが、経済学と経営学に関しては、私の大学と大学院の専攻でもあり、何十年、新旧を問わずに、随分多くの本を読み続けてきたと思うけれど、書店の推薦コーナーと合っていたことは、非常に少ない。
   尤も、天邪鬼と言うべきか、人の推薦で本を選んだこともないし、人から読めと言われた本でも気に入らなければ読まないし、すべて自分好みの一本釣り、
   独善と偏見で、何千冊も本に対峙し続けてきた読書家の思い入れと言うこともあるのだが、
   この「愛読古典」コーナーを眺めながら、貴重な本を見過ごしてきたような気がして、一寸、反省したのだが、もう人生も終幕近くて、後戻りできないのに気が付いて複雑な気持ちになった。
   
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木村 泰司著「名画の言い分 数百年の時を超えて、今、解き明かされる「秘められたメッセージ」(3)

2019年09月03日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   西洋絵画のもう一つの後進国イギリスについて書いてみたい。

   イギリスでは、画家と言うのは、頭を使わずに手を汚して働く卑しい職業だと言う意識が長い間抜けず、17世紀までは外国人の画家が活躍していた。
   やっと、1768年、フランスから120年遅れで、王立美術アカデミーが創立され、イギリス画壇も確立し、イギリス独自のものを生み出そうと言う機運が高まり、パラディオ形式のカントリーハウスや風景式庭園が誕生した。
   人気のあった、複数の人物の日常生活の光景を、彼らの邸宅の屋内外で描いた「カンバセーション・ピース」と呼ばれる絵画や、貴族的で優雅さを漂わせた肖像画を描いたジョシュア・レイノルズや、トマス・ゲーンズボロの時代が到来したのである。
   
   本来、邸宅などのギャラリーには、先祖代々の肖像画をはじめ、歴代の君主や著名人の肖像画を飾るのが常なのだが、イギリスでは、自分の先祖代々の肖像画など持っていない成金階級が、それらしく飾るために、そして、ホテルなどが、二流品の誰だか分からない肖像画を買っていたと言うから面白い。
   18世紀まで、イギリスには、著名な画家がいなかったので、美術品は、大陸から買うのが常であったのである。

   もう一つイギリス文化で特異なのは、グランドツアーによる影響である。
   イギリスでは、植民地政策の成功や産業革命で世界屈指の経済大国へ上り詰めた17世紀後半から18世紀にかけて、貴族の子弟の間で、貴族に相応しい知識教養を身に着けるために、家庭教師やお供を連れて、2年くらい大陸を訪れる超豪華な研修旅行と言うべきグランド・ツアーが隆盛を極めたのである。
   フランスでは、洗練されたエチケットや振る舞いやファッションを、イタリアでは、古代ローマの遺跡やルネサンス美術に触れて芸術的素養を学ぶなど、最先端の文化文明を吸収しようとしたのである。
   
   この時、グランドツアーでイタリアを訪れた貴族の子弟たちは、クロード・ロランやカナレットなどの大陸の絵画を数多く購入してイギリスに持ち帰った。
   ロンドンのナショナル・ギャラリーに、コンスタブルやターナーの絵と共に、これらの素晴らしい作品が展示されているのは、このためであろう。
   このロランの風景画が、イギリス人をインスパイアして、イギリス風景式庭園を生み出した。
   それまで、イギリスの庭園は、ルネサンス以来のシンメトリックなイタリア庭園や、それを大規模に拡張したフランス式庭園が一般的であったのだが、反カトリック、反絶対王政の風潮が高まって、それを嫌って、ロランが描いたあの理想郷(アルカディア)のような庭園を望むようになり、庭の外に広がる自然も風景に取り込んだ風景式庭園=ランドスケープ・ガーデンが生まれたのである。
   何回か訪れたことあるストアヘッドの庭園など、ロランの絵のように、古代ギリシャの廃墟の建物を取り入れたような趣の雰囲気のある庭園である。
   私の住んでいた直ぐ側のキューガーデンにさえも、ギリシャ風の建造物があったが、このギリシャ趣味は、新大陸アメリカの銀行など歴史的建物にも、大きく影響を残している。

   先に、イングランドの美しい田園風景は、原生林を徹底的に破壊して作り上げた人工の造形だと書いたが、この風景式庭園も、川を堰き止めて池にし、美しくない村は移転させるなどして、そこに、古代ギリシャや古代ローマの神殿風の建物や橋などを配置して、人工的に理想化した。
   イギリス各地に、素晴らしいこの風景式イングリッシュガーデンがあって、休暇などを利用して、名園の誉れ高い庭園を行脚したが、美しいと言うよりも、壮大なスケールに圧倒される。
   日本では、多くの色彩豊かな花々が、自然風に無造作に咲き乱れている庭園を、イングリッシュ・ガーデンと言っているが、これは、イギリス風の庭と言うべきであって、本来のイングリッシュガーデンではなく、新宿御苑の庭も、本来とは程遠い。
   ストラトフォード・アポン・エイヴォンにあるシェイクスピアの妻アン・ハサウェイの生家の庭など、日本人のイングリッシュガーデンのイメージにピッタリの庭だと思うのだが、この方が、感性が合うのであろうが、勿論、イングリッシュ・ガーデンではない。

   日本の庭も、借景の技術が凄いが、イギリスも、このイングリッシュガーデンの手法を取り入れた手法の一つを思い出した。
   オペラの合間にピクニック・ディナーを楽しんでいたグラインドボーンの庭なのだが、広大な外部の羊のいる牧場と大邸宅の芝庭の間に深い溝(ハーハーと言う)を掘って隔離して、あたかも牧場の中の芝庭に憩っているような雰囲気を醸し出していた。

   オックスフォードの郊外にあるチャーチルの生家「ブレナム宮殿(Blenheim Palace)」は、壮大な宮殿の内部だけ見て、背後にある巨大な庭園を見る人は少ない。
   本来は、イングリッシュ・ガーデンだったのだが、20世紀前半に、フランス式に改造されたと言うのだが、巨大な杉が一直線に林立していた記憶だけは残っている。
   いずれにしろ、海外の絵画の影響を受けて、庭園や風景を造形したと言うイギリス気質が、面白い。
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国立能楽堂・・・狂言「博奕十王」

2019年09月01日 | 能・狂言
   狂言の大舞台「博奕十王」、萬斎の舞台で観た。
   当日の公演プログラムは、次の通り。

   ◎狂言と落語・講談《特集・博奕》
   講談  天保水滸伝 笹川の花会 神田松鯉
   落語  狸賽  柳家花緑
   狂言  博奕十王  野村 萬斎(和泉流)

   「博奕十王」は、厳めしい衣装を着けた閻魔大王と派手な出で立ちの沢山の鬼たちが登場する賑やかで大掛かりな舞台で、地獄に送られてきた博奕打ちが、運命の分かれ道六道の辻で、閻魔大王に会って、イカサマ博奕に大王を引き込んで、大王と鬼たちを手玉に取って打ち負かして、天国へ送られると言うと突飛子もない奇天烈な話。50分にも及ぶ狂言としては大曲である。
   大分前に、「萬狂言」で、万蔵の閻魔大王で、この「博奕大王」を観たが、面白かった。

   さて、六道の辻とは、冥界への入口。
   「六道」は、仏教の教義でいう地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅(阿修羅)道・人道(人間)・天道の六種の冥界を言うのだが、人は因果応報によって、生死を繰返しながら死後はこの六道を輪廻転生すると言われており、人は死後に、この世とあの世の境であるこの六道の分岐点である六道の辻に至る。
   この六道の辻には、十王が鎮座するのだが、閻魔大王は中心で、死者の魂を裁判にかけて地獄に落とす恐ろしい役割。
   ところが、最近の人間は賢くなって、仏の教えを守って天国へ行くので、地獄は実入りが少なくなって飢饉になってしまい、困った閻魔大王が、自ら獄卒を引き連れて六道の辻にやって来て、悪人を地獄に落とそうと、悪徳旅館の番頭のように客引きをすると言う締まらない話。

   なんでも見通して知っている筈の閻魔大王が、サイコロ博奕を知らなくて、イカサマ博奕さえも見破られないと言う体たらくは、一体何故なのか、
   今のデジタル革命による文明の利器のように、閻魔大王の前に、「浄頗梨の鏡(じょうはりのかがみ)」と言う便利なモニターがあって、地獄行きの判断を指南してくれるのであるから総て貴方任せ、だと思わせるところが面白い。
   死者が閻魔庁に着くと、この浄頗梨の鏡に、テレビの画面の様に、死者の生まれてから死ぬまでの一挙手一投足まで人生ドラマが映されるので、この博奕打ちの生前の悪行が映しだされて、博奕打が人の金や持ち物を奪い、果ては身ぐるみを剥いで奪う姿が映され、やはり悪人だと言うことで地獄行きの審判が下る筈なのである。
   一方、中国では、閻魔大王は現世では地蔵菩薩と同一であるという信仰が広まっていて、地蔵菩薩として人々の様子を事細かに見ているために、閻魔大王は綿密に死者を裁くことができるので、賭博に無知だとは思えないのだが、これこそ、狂言作者のカリカチュアであろう。

    閻魔大王は、勺や冠、着ている装束、ついに、極楽行きの金札やこの浄玻璃の鑑さえも掛け代にして、身ぐるみ剥がれ、鬼たちも金棒を掛けて取られる、
   十王の権威を、賭博の世界に引き込んで、コテンパンに笑い飛ばすと言う庶民の知恵と言うか、神仏さえ信じられない人々の泣き笑いの人生が垣間見えて面白い。

   博奕打ちの萬斎、閻魔大王の石田幸雄が好演、万作家一門の素晴らしい舞台であった。

   もう一つ、閻魔庁を笑い飛ばした落語を思い出した。
   三遊亭朝橘 の「死ぬなら今」。
   阿漕な商いで巨万を築いた伊勢屋の旦那が死んで、閻魔庁へ出頭して、閻魔大王ほか、冥官十王、赤鬼、青鬼など居並ぶお偉方に賄賂を握らせて天国行き。代々の伊勢屋の遺言で「地獄の沙汰も金次第」が定着しており、その悪事に巻き込まれて、贈収賄が露見して、地獄の鬼たちのお偉方は、すべて、天国にしょっ引かれて、地獄は空っぽ。「死ぬなら今」だと言う噺。

   先日、エコノミスト誌が発表した、世界各国の都市の安全性ランキングで、東京が1位になっていたが、確か、汚職関係の指標が低かったような記憶があるのだが、このあたりは、今も昔も変わっていないのかも知れない。
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