熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

相曽賢一朗&佐藤彦大 デュオ・リサイタル

2021年11月26日 | クラシック音楽・オペラ
   コロナ騒ぎで中断されていた相曽賢一郎のリサイタル、
   「相曽賢一朗&佐藤彦大 デュオ・リサイタル」が、二年ぶりに東京文化会館で開かれた。
   二ヶ月ほど前に、電話を頂いて、チラシをメールして貰っていたので、この二年間東京に出かけることさえ憚られて、コンサートどころか観劇すべてを諦めていたが、是非、禁をやぶって聴きに行くと約束していた。
   昨年、ロサンゼルスから電話が入って、演奏活動一切が出来なくてお手上げで、インスタグラムで配信していると語っていたが、本当に久しぶりのリサイタルで、満を持しての演奏であろうと期待していた。

   二人のデュオ・リサイタルは、2019年11月にこのシリーズの「相曽賢一朗vn&佐藤彦大pデュオ・リサイタル」で行われており、このブログでも紹介した。
   プログラムは、次の通りで、冒頭のベートーヴェンは別にして、アンコールもスペイン曲であるなど、異国情緒が濃厚でエキゾチックなムードを醸し出していて、興味深かった。
   ベートーヴェン…ヴァイオリン・ソナタ第8番
   バルトーク…ルーマニア民俗舞曲
   ファリャ…アンダルシア幻想曲
   バルトーク…ヴァイオリン・ソナタ第2番
   ラヴェル…ツィガーヌ

   今回のプログラムは、ブラームスとシューマンだと語っていたが、次の通りで、
   19世紀のドイツロマン派のシューマン夫妻とブラームス、それに、ヨアヒムを絡ませた非常にナラティブで意欲的な演目で、ブラームスに始まりブラームスで終ると言う魅力的なリサイタルであった。
   ブラームス:ハンガリー舞曲第2番、第17番
   ブラームス:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第3番 ニ短調 Op.108
   ブラームス:6つの小品 Op.118より 第2番 間奏曲 イ長調
   R.シューマン:蝶々 Op.2
   C.シューマン:3つのロマンス Op.22
   R.シューマン:ヴァイオリン・ソナタ第1番 イ短調 Op.105
   ブラームス:スケルツォ ハ短調 WoO2
   アンコールは、ブラームスのハンガリー舞曲第5番

   相曽賢一郎もプログラムの”「シューマンとブラームス」~人と時代”に、控えめながら書いていたのだが、気になるのは、クララ・シューマンとブラームスの恋である。
   色々な逸話があり、3つの映画にもなっている。しかし、定かなところは分からないのだが、尊敬するシューマンの14歳年上の妻クララに愛情を感じ、シューマンが早く逝って未亡人になってからも思い続け、親身の面倒を見ながらも独身を通したという逸話など、大作曲家の物語としては面白い。
   ハンス・フォン・ビューローの妻であったリストの娘コジマを奪って妻としたワーグナーとは、えらい違いである。

   休憩後の冒頭のクララ・シューマンの如何にも女性らしい優しくて温かい3つのロマンスが、ロベルト・シューマンのしっかりと充実した交響詩のようなヴァイオリン・ソナタ第1番へと移って行くところなど、その落差を感じて感動的であった。
   最後のブラームスのスケルツォは、ヨアヒムに献呈されたシューマンなどとの合作ヴァイオリンソナタの第3楽章だというのだが、ダイナミックながら短い曲で、あっけなく終ってしまった感じだったが、アンコールの粋ながらどこか東欧の土の香りがする感動的なハンガリー舞曲第5番が、観客をうっとりさせた。
   正味殆ど2時間の熱演で、久しぶりに、胸に静かに染み渡る美しく歌う渾身の相曽サウンドを聴いて幸せであった。
   ユーモアセンスが横溢した明るくてダイナミックな演奏の佐藤彦大が、兄貴に付きつ離れつつ、その絶妙なアンサンブルが素晴しい。

   ダヴィド・オイストラフ、ユーディ・メニューイン、アイザック・スターンなどからはじめて、名だたるヴァイオリニストのコンサートやリサイタルに通い続けて随分多くの最高のヴァイオリンの調べを聴いてきたつもりだが、今や殆ど記憶の彼方に去ってしまい、最近では、相曽賢一郎の感動的なサウンドしか私の脳裏にはない。
   相曽賢一郎の誠実そのものの透徹した美しいサウンドに、年輪を重ねて培われてきたおおらかでスケールの大きさとコクの深さが益々藝に円熟味を加えており、リサイタル毎に成長を感じて感激している。
   
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