熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

PS:ジョセフ・ナイ「ウクライナ戦争の原因は何か? What Caused the Ukraine War?」

2022年10月11日 | 政治・経済・社会
   PROJECT SYNDICATEのジョセフ・ナイ教授の新しい論文「ウクライナ戦争の原因は何か? What Caused the Ukraine War ?」が興味深い。
   ウクライナ戦争の最重要な原因は、プーチンが脅威だと感じるウクライナのNATOへの加盟だと目されているが、ナイ教授は、ソ連崩壊後のロシアの腐敗荒廃とエリツィンがプーチンを後継に指名して台頭させたことにもあると述べている。
   プーチンは、2008 年に NATO が最終的にウクライナの加盟を支持する決定を下したことが、実存的な脅威をもたらしたと述べている。しかし、ウクライナ戦争の原因を、冷戦の終結とソ連の崩壊後に西側がロシアを適切に支援できなかったことにまで遡る見解も有り、何年も続くかもしれないこの戦争の起源をどのように見るのか、これが、この論文のテーマである。

   2008 年のブカレストサミットでの NATO の決定は、潜在的な将来の加盟国としてウクライナ (およびジョージア) を含めることで、西側に対するプーチンの最悪の敵意を裏付けたが、しかし、プーチンの態度の変化はそれ以前からあり、2007 年のミュンヘン安全保障会議での彼の演説において、既に西側に対して険悪になっていた。したがって、NATO 拡大の可能性は、いくつかの中間的な原因の 1 つにすぎず、また、ブカレストでの首脳会談の直後に、フランスとドイツが、ウクライナのNATO加盟を拒否していた。

   この背後には、冷戦の終結に続く遠いかつ深い原因があった。当初、ロシアと西側双方で、ソ連の崩壊がロシアの民主主義と市場経済の台頭を可能にするであろうという非常に楽観的な見方があり、初期の頃、クリントンとエリツィンは良好な関係を築くために真剣に努力した。しかし、米国がロシアのガイダル首相の政府に融資と経済支援を提供したが十分ではなく、ロシア人はそれ以上のものを期待し必要としてていた。
   さらに、70 年間も続いた計画経済体制の呪縛から抜けきれず、繁栄する市場経済への突然の転換は不可能であった。急速な変化を強制しようとした拙速な西側の努力は、ロシアに、巨大な混乱、腐敗、極度の不平等を生み出して、政治経済社会体制を混乱に陥れて、一部の寡頭政治家や政治家が国有資産の急速な民営化によって富を収奪集積したが、ほとんどのロシア人の生活水準は低下し続けて、国民の窮乏化が進んだ。
   経済状況の悪化による政治的影響に対処できず、当時健康状態が悪化していたエリツィンは、正体不明の元 KGB エージェントであるプーチンに秩序の回復を託したのである。政権移譲が、エリツィンの身の安全の補償と引き換えだったとも言われている。
   これは、ウクライナ戦争が避けられなかったことを意味するものではないかも知れないが、しかし、それは時間の経過とともにますます可能性が高くなっていった。 2022 年 2 月 24 日、プーチンは計算を誤り、大火の原因となった戦いに火をつけた。

   徒花を咲かせたのは、あの国家経済の崩壊寸前までに至ったロシアの革命処理後の蹉跌と、それを助け得なかった西側のロシアの民主化支援への不十分不徹底な対応故であって、ロシアの行く末を歪めてしまったことに依るという。
   ナイ教授も、このウクライナ戦争は、プーチンの戦争であることを認めている。従って、プーチンを生んだ土壌にその原因があると言うことも分かったが、それを追求しても済んでしまった過去のことである。ウクライナ戦争を原因も含めて理解するためには、誇大妄想、常軌を逸した戦争の元凶のプーチンその人となり、その深層心理や世界観、思想や哲学などを含めて、何を考えて戦争しており、どうしようとしているのかを、徹底的に分析して対処することが喫緊であろうと思う。

   昨年12月に、このブログ記事「ゴルバチョフ:“民主主義”“対話”強調を説く」で、私は次のように書いた。
   ”ソ連崩壊後、経済的にも壊滅状態に陥った新生ロシアに、欧米先進国から、政治家や財界人達が大挙して訪問してロシアの再生に奔走していたのを、ロンドンにいて具に見ている。
   もしもだが、あの時、西側に高度な哲学とビジョンを持った卓越したリーダーが居て、ロシアの民主化と資本主義化を適切に誘導していたら、世界の歴史は変っていただろうと思っている。”

   西側が、民主化資本主義化した東欧諸国へ対したように、ロシアに対応していたら、そして、マーシャル・プランのような強力な経済的支援を実施するなど、ロシアを、民主化近代化へ教化誘導していたら、21世紀の人類の軌跡は大きく変っていたであろう。と言う思いである。
   ロシアの歴史を画したピヨートル大帝自らヨーロッパ視察団に参加して、アムステルダムやロンドンに長期滞在して先進技術を学び、エカテリーナ女帝はドイツ人であり、ロシアそのものの歴史や伝統、文化文明がヨーロッパと共通の土壌に立っていて、異文化異文明の中国やインドとは違う。
   それに、冷戦終結後、国家経済が崩壊寸前まで行き地獄を見たロシアであるから、いくら、落ちぶれたとは言っても、欧米にはロシアを苦境から救う程度の経済的余力はあったはずであり、援助次第では、ロシアのヨーロッパ化は可能であったのではなかろうか。 
コメント
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