Newsweekの電子版に、ハーバード大学のスティーブン・ウォルト教授の”「ロシア敗北」という現実が近づく今こそ、アメリカが思い出すべき過去の苦い失敗”という興味深い論評が掲載されている。
「ロシア敗北」という現実の可能性を踏まえて、過去のアメリカの戦後処理などの蹉跌や過去の苦い失敗を例証して、転ばぬ先の杖を論じているのである。
当面の私の関心事は、主題の見解よりも、教授が、ロシアのウクライナ戦争について、どう考えているのかと言うことである。
まず、
アメリカとその同盟諸国が、現下のウクライナ戦争で見事に勝利する可能性が見えてきたからだ。むろん、西側陣営にもっと先を見る目があれば、そもそもこの戦争は防ぐことができた。そうすればウクライナの領土も人の命も、こんなに失われずに済んだはずだ。
いずれにせよ、まだまだ仮定の話だが、ロシア政府の誤算とその軍隊の無能さ、ウクライナ人の不屈の闘志、西側陣営の強力な軍事支援と経済制裁が合わされば、最後に勝つのはウクライナと、その背後にいる西側陣営だろう。
これ以上に戦闘が拡大しないと仮定すれば(拡大する可能性は排除できないが)、そしてウクライナ軍の反転攻勢がこのまま続くとすれば、ロシアのメンツは丸つぶれだ。ウラジーミル・プーチン失脚の可能性もある。そうなったら西側陣営の天下は安泰だと、思う人もいることだろう。
核兵器の使用を回避でき、ウクライナの領土を(全てとは言わぬまでも)回復できるのであれば、道徳的にも戦略的な観点からも、上記のような展開は好ましいものと言える。筆者もそういう展開を強く望んでいる。だが、問題はその先だ。戦勝後に、アメリカはどう動くべきか。勝利の果実を腐らせないために、何をすればいいのか。
現時点でこういう話をするのは不謹慎かもしれない。だが軍事的勝利の勢いで暴走が始まったら、止めるのは難しい。実際、ソ連の平和的な解体で地政学的な大勝利を収めたとき、アメリカは古代ギリシャの賢者ペリクレスの忠告に耳を貸さず、結果として恒久的に平和な世界を構築する機会を逃した。私たちはその苦い経験に学び、今度こそ賢明に対処すべきだ。と説くのである。
さらに、
8年前のクリミア併合に対する西側の反応が鈍かったので、プーチンはウクライナ本土に攻め込んでも大丈夫と踏んだのかもしれない。
そうだとすれば、彼は1939年3月にチェコスロバキアの一部を占領し、続いてポーランドにまで侵攻したアドルフ・ヒトラーと同じ誤りを犯したことになる。超大国との距離感は微妙だ。手間がかかるし、時には他国に責任を転嫁したくもなる。だが露骨な軍事侵略が起きた場合に、適当な距離を保つという選択肢は取りにくい。
ここでは、割愛するが、ウクライナ戦争後の米国の外交政策等についての教授の提言は注目に値する。終戦後のロシアの立ち位置や地政学的な地殻変動などについては、言及していないが、
次の文章で、論文を結んでいる。
そもそも、ウクライナ戦争が西側の勝利に終わっても、各国が取り組むべき外交上の課題は何一つ変わらない。つまり①破滅的な気候変動を回避し、既に顕在化した深刻な影響に対処する、②中国とは距離を置きつつも関与を続ける、③イランには核兵器を持たせない、④失速気味の世界経済を浮上させる、そして⑤次なるパンデミックの襲来に備えなければいけない。
いずれも死活的に重要な課題だ。まずは明確な優先順位を決め、(西側の価値観を押し付けるような)無謀な冒険に乗り出さないこと。ウクライナの人々が勝利の美酒に酔いしれ、好戦的になるのは避け難い。しかし彼らにつられて、私たちが過去の過ちを繰り返す事態だけは何としても避けたい。
いずれにしても、このウクライナ戦争では、西側、すなわち、アメリカの勝利については、疑いを持っていない。
昨日引用したニーナ・L・フルシチョワ教授の「クレムリンの自殺的帝国主義」論と同じような論調で、アメリカの識者の間では、このウクライナ戦争は、西側の勝利で終ると言う観測が一般的なのであろうか。
それに、最近では、NYタイムズやWashingtonポストにおいても、ウクライナ戦争の記事がメインになることは殆ど皆無で、アメリア社会のウクライナ離れが加速しているような雰囲気である。
16日からの中国共産党第20回全国代表大会、11月のアメリカ中間選挙など世界的な大行事が近づいており、ますます、ウクライナ戦争の影が薄くなる。
それに、ウクライナやロシア、それに近接するヨーロッパは、夜長の厳しい極寒の真冬に突入する。
私も、オランダとイギリスで8年間暮らしたので、午後から暗くなって夜明けが遅い、毎日、リア王の世界のような暗くて陰鬱な極寒のヨーロッパの厳しい冬を知っている。
平安だったはずの生活環境がズタズタに破壊され、インフラが荒廃して廃墟のようななった国土のウクライナの人々の生活を思うと胸が痛む。
「ロシア敗北」という現実の可能性を踏まえて、過去のアメリカの戦後処理などの蹉跌や過去の苦い失敗を例証して、転ばぬ先の杖を論じているのである。
当面の私の関心事は、主題の見解よりも、教授が、ロシアのウクライナ戦争について、どう考えているのかと言うことである。
まず、
アメリカとその同盟諸国が、現下のウクライナ戦争で見事に勝利する可能性が見えてきたからだ。むろん、西側陣営にもっと先を見る目があれば、そもそもこの戦争は防ぐことができた。そうすればウクライナの領土も人の命も、こんなに失われずに済んだはずだ。
いずれにせよ、まだまだ仮定の話だが、ロシア政府の誤算とその軍隊の無能さ、ウクライナ人の不屈の闘志、西側陣営の強力な軍事支援と経済制裁が合わされば、最後に勝つのはウクライナと、その背後にいる西側陣営だろう。
これ以上に戦闘が拡大しないと仮定すれば(拡大する可能性は排除できないが)、そしてウクライナ軍の反転攻勢がこのまま続くとすれば、ロシアのメンツは丸つぶれだ。ウラジーミル・プーチン失脚の可能性もある。そうなったら西側陣営の天下は安泰だと、思う人もいることだろう。
核兵器の使用を回避でき、ウクライナの領土を(全てとは言わぬまでも)回復できるのであれば、道徳的にも戦略的な観点からも、上記のような展開は好ましいものと言える。筆者もそういう展開を強く望んでいる。だが、問題はその先だ。戦勝後に、アメリカはどう動くべきか。勝利の果実を腐らせないために、何をすればいいのか。
現時点でこういう話をするのは不謹慎かもしれない。だが軍事的勝利の勢いで暴走が始まったら、止めるのは難しい。実際、ソ連の平和的な解体で地政学的な大勝利を収めたとき、アメリカは古代ギリシャの賢者ペリクレスの忠告に耳を貸さず、結果として恒久的に平和な世界を構築する機会を逃した。私たちはその苦い経験に学び、今度こそ賢明に対処すべきだ。と説くのである。
さらに、
8年前のクリミア併合に対する西側の反応が鈍かったので、プーチンはウクライナ本土に攻め込んでも大丈夫と踏んだのかもしれない。
そうだとすれば、彼は1939年3月にチェコスロバキアの一部を占領し、続いてポーランドにまで侵攻したアドルフ・ヒトラーと同じ誤りを犯したことになる。超大国との距離感は微妙だ。手間がかかるし、時には他国に責任を転嫁したくもなる。だが露骨な軍事侵略が起きた場合に、適当な距離を保つという選択肢は取りにくい。
ここでは、割愛するが、ウクライナ戦争後の米国の外交政策等についての教授の提言は注目に値する。終戦後のロシアの立ち位置や地政学的な地殻変動などについては、言及していないが、
次の文章で、論文を結んでいる。
そもそも、ウクライナ戦争が西側の勝利に終わっても、各国が取り組むべき外交上の課題は何一つ変わらない。つまり①破滅的な気候変動を回避し、既に顕在化した深刻な影響に対処する、②中国とは距離を置きつつも関与を続ける、③イランには核兵器を持たせない、④失速気味の世界経済を浮上させる、そして⑤次なるパンデミックの襲来に備えなければいけない。
いずれも死活的に重要な課題だ。まずは明確な優先順位を決め、(西側の価値観を押し付けるような)無謀な冒険に乗り出さないこと。ウクライナの人々が勝利の美酒に酔いしれ、好戦的になるのは避け難い。しかし彼らにつられて、私たちが過去の過ちを繰り返す事態だけは何としても避けたい。
いずれにしても、このウクライナ戦争では、西側、すなわち、アメリカの勝利については、疑いを持っていない。
昨日引用したニーナ・L・フルシチョワ教授の「クレムリンの自殺的帝国主義」論と同じような論調で、アメリカの識者の間では、このウクライナ戦争は、西側の勝利で終ると言う観測が一般的なのであろうか。
それに、最近では、NYタイムズやWashingtonポストにおいても、ウクライナ戦争の記事がメインになることは殆ど皆無で、アメリア社会のウクライナ離れが加速しているような雰囲気である。
16日からの中国共産党第20回全国代表大会、11月のアメリカ中間選挙など世界的な大行事が近づいており、ますます、ウクライナ戦争の影が薄くなる。
それに、ウクライナやロシア、それに近接するヨーロッパは、夜長の厳しい極寒の真冬に突入する。
私も、オランダとイギリスで8年間暮らしたので、午後から暗くなって夜明けが遅い、毎日、リア王の世界のような暗くて陰鬱な極寒のヨーロッパの厳しい冬を知っている。
平安だったはずの生活環境がズタズタに破壊され、インフラが荒廃して廃墟のようななった国土のウクライナの人々の生活を思うと胸が痛む。