【教務主任通信】 宮沢賢治「やまなし」研究 8

「あるのでもない、ないのでもない」

5月の場面で表現されている「泡」「影」「光の網」についての思想的意味についての考察です。

宮沢賢治が信仰していた「法華経」の思想が色濃く出てくるのがここからの解釈になります。

【光の網】
仏教では様々な事象には必ず「原因」「縁」「結果」があると考えます。これを現代風にいうと「因果律」となります。「やまなし」の中の光の網を解釈すると、その原因となるのが「日光の黄金」です。しかしそれだけでは光の網は生じません。「日光の黄金」という光が谷川の波がゆらめく水面(天井)という縁を通ることによって変化し、さらに「白い岩」という条件が加わって「ゆらゆらのびたり縮んだり」する結果、「光の網」が生じてきます。
これらすべてがそろわなければ、光の網はこの世に生じることもできず、認識もされません。こうしてひとつも欠けることなくつながっている状態を「因縁和合」といいます。

同じような意味のことを、教務主任通信33号「子どもは球体」で書きました。
子どもは悪でも善でもない、周りの縁(働きかけ)によってコロコロと転がり、悪の面が出ることもあるし、善の面が出ることもある。一人ひとりの子どもには原因となる性格や能力があるので、結果として表れる「態度」は一人ひとり違う。しかしこれらも切り離して現象が起こるのではなく、「因・縁・果」の3つがそろって初めて生じるものです。

『本覚讃釈』(源信著)の中にもこのような一節があります。
「そもそも木石の中に火の性を具すれども、縁に値わざれば現起せず」
 木や火打石には、火を発する「因」が具わっているが、なんらかの「縁」がなければ火がつくという「果」は生じません。


次にインドの龍樹(りゅうじゅ)という有名な仏教哲学者の考え方を知る必要があります。
一切の現象(森羅万象)には陰陽がある。光あるところには影がある。生まれる陰には死がある。何かが増える陰には何かが減っている。変化を感じることができるのは変化しない実態があるからである。森羅万象は必ず相互依存の関係性を保ちつつも、「変化しない」というものは何一つない。まさに「あるものでもない、ないものでもない」という関係性がある。
変化しないものはただひとつ、宇宙を動かしている根本の運動法則だけである。その法則のもとで、すべてのものは一瞬一瞬絶えず変化し続ける。この状態を「空」と名づけます。

このような「空」の感覚は、現象面を人間がどのように認識するかとは無関係のもので、言葉の世界を超えて「当然あるもの」として認知しなくてはならないものだと賢治は考えていたのです。

もしかしたら、「クラムボン」が笑ったり、死んだり、殺されたり、再び笑ったりと、あっちへこっちへゆらゆら揺れうごめく状態も、賢治が「空」の概念を盛り込んだのかもしれません。これは井上の勝手な解釈ですから、皆さんも好きなように解釈して良いのだと思います。



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