できるようになったこと~振り返りの大切さ~

1年生の生活科では、この1年間を振り返って、できるようになったことはどんなことなのかを思い出してみる学習が進んでいます。
今日も授業の中で、たくさんの「できるようになったこと」が出てきました。
・さかあがり  ・なわとび  ・お手伝い  ・洗濯  ・簡単な料理  ・お買い物  ・漢字を書く  ・牛乳を飲む  ・一人でお風呂に入る  ・片付け など。
これを付箋に書いて、画用紙に貼っていくと、一面がいっぱいになってしまう子もいました。
友達が気付いていない「できるようになったこと」についても、「あれができるようになったよね。」と伝え合うことも大切です。

この授業は、「自分自身との関わり」を思い出しながら、「自分の成長の振り返り」をしているということになります。
以前の自分と今の自分を俯瞰することができる学習です。これがとても大事なのです。
自分自身を客観的に見るという「メタ認知」を引き出す学習活動なのです。
ある文献によると、「メタ認知」が高い人の特徴は次のような場合が多いとあります。
(1)周りへの配慮ができる
(2)いるでも冷静な対応ができる
(3)柔軟性がある
このことだけでも、「振り返り」=「学習のメタ化」というのは大事なことなので。

一人の女子の学習感想を紹介します。
「じぶんって、こんなにせいちょうしたんだなって、ほんとうにわかってきました。せんせいにほめられてうれしかった。じぶんのことがすごくわかってきたとおもうから、ほっとした。なぜなら、とてもとてもじぶんができたかしんぱいだった。」
今回の学習活動をしたからこそ、この1年間の自分の成長を、客観的に見ることができたのです。1年間を振り返りながら、できるようになったことをたくさん書いていけたことで、できるようになったことなんてあるのかな?と不安だった気持ちがほっとした。そうした自分自身の変化も客観視できた。これは、そんな一文なのではないでしょうか。

5年生・本校に在学していた古今亭今いち様による落語教室(2月18日)
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本校に在学していた古今亭今いち様による落語教室

5年生は1月に落語の学習にチャレンジしてきました。
グループごとに分かれて、朗読落語形式で発表会も行いました。
今日はそのまとめの意味を込めて、素晴らしいゲストティーチャーに来ていただきました。
子ども時代に本校に在籍していた落語家の「古今亭今いち」様です。
ご本人によると、矢口小学校に足を運んだのは約20年ぶりだということです。
そして落語との出会いは、矢口小学校にいた時ということなので、少年時代に感じた楽しみは、長く続くものですね。

落語教室は次の流れで進みました。
(1)自己紹介・矢口小学校時代の思い出
(2)扇子と手ぬぐいを使って「見立てる」芸が落語であること。例えば、手ぬぐいを使って本を読む仕草や、扇子を使って刀に見せる仕草
(3)見えない物でも、目線を動かすことで、あるかのように見せる仕草
(4)ソバを食べているように見せる時に出す、ソバをすする音や汁を飲む音の出し方
(5)落語というからには、必ず「落ち」があること
(6)落語には何日間も連続で話す長編落語から、ほんの数秒で話す一分線香即席噺というものまで、たくさんあること
(7)落語は一席、二席と数えること
(8)代表児童による落語チャレンジ
(9)古今亭今いち様による落語「初天神」を聞く
5年生の子どもたちは、心から楽しみ切ったようで、今いち様の語りに、「なるほど」「たしかに」「あはははは」「おもしろい」といった言葉が思わず出ていました。
きっとこれからしばらくは、落語教室で教わった数々の仕草をマネして楽しむことでしょう。

古今亭今いち様に興味をもたれた方は、3月11日(木曜)から15日(火曜)に浅草演芸ホールで行われる三月中席前半(昼の部)に出演予定なので、足をお運びください。
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6年生・読売新聞社の取材

11月に5,6年生全員で行った「鎌倉実地学習」で、6年生がレンズ付きカメラを使って、鎌倉の様子を撮影した取組を、読売新聞社が記事にしてくれることになりました。
新聞1面のほとんどを使って紹介してくれることになっています。
18日には昼休みに、各学級1名ずつ、3名の代表児童が記事に載せる写真撮影に参加。
鎌倉で撮影してきたたくさんの写真の中から、写りの良いものを選ぶという設定のもと、15分間の取材に応じました。
予定としては、3月7日(日曜)の地方面の記事になります。ぜひご覧ください。
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全校朝会の話「はねぴょんについて」


校長室にあいさつに来た「はねぴょん」
先週の金曜、土曜と2日間にわたって、計画委員会がユニセフ募金を行ってくれました。全校の皆さんも協力してくれてありがとう。

ところで、今回のユニセフ募金には、大田区公PRキャラクターの「はねぴょん」も参加してくれましたね。そこで今日は、「はねぴょん」とは何者なのかということを紹介します。
大田区のホームページを見ますと、次のように書いてあります。
「大田区制70周年を契機に誕生した大田区公式PRキャラクターです。
『国際都市おおた』の魅力を積極的にPRすることを目的と使命に日々活動しています。
また、ツイッターなどで大田区の情報を全国、そして全世界へ発信しています。」
また、こんなふうにも紹介されています。
【なぜ「はねぴょん」という名前なのか?】
日本の空の玄関口「羽田空港」の「はね」、そして桜の名所や戦闘などを「ぴょんぴょん」と駆け巡ることから「はねぴょん」と名付けられました。

大田区が誕生したのは、太平洋戦争が終わった1年半後の1947年(昭和22年)3月15日です。
それまでは、大森区と蒲田区という2つの区に分かれていました。この2区が一緒になって大田区になったのです。大森の「大」+蒲田の「田」=大田となります。
大田区制70周年とは2017年です。この前の年、2016年に「はねぴょん」は誕生しました。
ですから、はねぴょんは今、5歳ということになりますね。
はねぴょんの体をよく見てみると、元になっているのは「ウサギ」ですね。
耳と頭の後ろは、飛行機の羽になっています。
肩からかけているのは、銭湯に行くときの「風呂おけ」です。
「はねぴょん」の名前入りタオルも持っています。

最後に「はねぴょん」があるインタビューに答えている内容を紹介します。
取材班   「大田区公式PRキャラクターや大田区観光PR特使をやっていてよかったと思うことはなんですか?」
はねぴょん「まちを歩いている時に、まわりの人たちがはねぴょんを見て笑顔になってくれたり、『はねぴょ~ん』と声をかけてくれることだぴょん。まちのみなさんとのたっくさんの楽しい思い出が、はねぴょんの宝だぴょん!」
取材班   「みなさんからは、どんな性格と言われますか?」
はねぴょん「おっちょこちょいとかはね~。自分ではしっかりものだと思っているんだけど、うっかりしちゃうはねね~。」
取材班   「はねぴょんの夢を教えてください。」
はねぴょん「世界中の人々に、大田区のことを大好きになってもらうことだぴょん。そのためには、たくさんがんばらないといけないはね~。これからもはねぴょんはみんなに笑顔を届けるために活動していくだぴょん!」
(インタビューは「大田区シティプロモーションサイト」より転記)

今日は、はねぴょんを通して、大田区のことを学びました。
皆さんもChromebookを使って、大田区のことをたくさん調べてみましょう。
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ユニセフ募金 計画委員の頑張り

今日は月1回の土曜授業日です。
昨日と今日の2日間、計画委員会が主催しての「ユニセフ募金」を行いました。
今週、月曜日には、全校オンライン朝会で、ユニセフ募金で集まったお金がどのように役立つかを説明し、さらに昨日は宣伝の放送をかけ、とても熱心に取り組んでくれました。
そして朝は正門に立ち、全校児童に募金を呼びかけました。
そのかいあって、たくさんの募金が集まったようです。

それに加えて、昨日の新1年生保護者会で私から、
「明日の朝、8時から15分間ほど、矢口小にはねぴょんが来て、計画委員の高学年といっしょに、ユニセフ募金と朝のあいさつ運動をやってくれます。朝のお散歩と、学校までの登校練習のつもりで、お子様と一緒にぜひいらしてください。そして、お子様に10円でいいので持たせていただき、募金をさせてくださると、これから矢口小学校の1年生になるんだという実感が高まると思います。」
と宣伝をしておきましたので、たくさんの新1年生親子が募金に参加してくれました。

今回のように、みんなを笑顔にしてくれた計画委員とはねぴょんの頑張りに、心より感謝します。
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はねぴょんが矢口小に来ました!

今日(12日)と明日(13日)の2日間、大田区公式PRキャラクターの「はねぴょん」が朝の20分間、正面玄関に立ちます。
計画委員さんたちが「ユニセフ募金」をしていることに合わせて、「はねぴょん」も募金を呼びかけると同時に、矢口小学校伝統の「日本一のあいさつ」を、登校してくる子どもたちとかわしています。
道行く人々も、「はねぴょん」を見て、笑顔になれたらうれしいことです。
なかには、幼児たちが「はねぴょん」に気付いて、近くまで来るという場面もありました。

明日の土曜授業の朝にも、「はねぴょん」に立ってもらいますので、少しでもお時間のある保護者の方は、ぜひ足を運んでいただき、ユニセフ募金にも協力していただけると幸いです。
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読み聞かせ「井上少年の事件簿」

今日は朝一番でボランティアの皆様による読み聞かせでした。
緊急事態宣言下にもかかわらず、集まってくださったボランティアの皆様に、心より感謝申し上げます。
おかげさまで、全学級で読み聞かせを実施することができました。

さて、校長の私ごとではありますが、読み聞かせ隊の一員として5年1組に行かせてもらいました。
1月にも3年1組で行いましたが、本を読むのではなく、「井上少年の事件簿」と題して、写真のようなハリセンでリズムをとりながら、自分の少年時代の数々の失敗談を、講談風に語りに語らせていただいております。
何しろ昭和時代の、街中に子どもだらけの時代の話ですから、令和の時代の素直な子どもたちにとっては信じられないような失敗談を続けております。
「人は、多くの失敗をくり返し、その失敗からたくさんのことを学びながら、大人になっていくのであります。」
これが最後のセリフ、伝えたいメッセージです。

さて、写真の本ですが、私が小学校5,6年の時に、担任のやすこ先生のご指導を受けながら書いた2年間の日記なのです。
今日はこの日記からも、事件簿の読み聞かせを行いました。
私の担任の先生は学級の児童全員への記念品として、自費で、卒業時までに写真のように製本をしてくださいました。
私の教員としての原点ともいえる1冊になっています。
ですから私は、20代の若手教員の頃から、自分の教育哲学として、「子どもの心の宝探し」をするのが教育者の使命であると自覚して、今でもそのことを貫いているのです。
この担任の先生は、私たちいたずらっ子の長所をたくさん認めてくださり、時には本気で討論し合い、育ててくださいました。
また、私たちを卒業させると、なぜか30代半ばでご退職をされました。
そしてなんとその後の中学1年生の1年間、卒業生の希望者に呼びかけ、1グループ6人程度の3グループに分けて、週に2回ずつ、夜に英語や数学、時には百人一首などの勉強を教えてくれたのです。

私が子どもたちの前に立ち、話をするということは、やすこ先生という「師の恩」に報いることでもあるのです。
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全校朝会の話「矢口魂心丸やぐちこんしんまるの話」

今日から2月です。明後日2月3日は節分で、鬼退治のための豆まきの日ですね。
ですから今日は、このお面、煉獄さんのお面を着けて話をしますね。
煉獄の炎で、病気の鬼を焼き尽くしましょう。
それからもう一人、ゲストに来てもらっています。キョエちゃんです。

さあ、今日も矢口小歴史話・第4段です。
皆さん、矢口小の正面玄関に「舟」が置いてありますね。
写真で見せるとこれです。
なんで?・・・・・なんで舟が置いてあるの?・・・なんで?
では問題です。

A 矢口小にはむかし、海ぞくがいて、舟をきふしてくれた。
B 矢口小で、むかしの先生たちが、玄関のかざりのためにつくった
C 矢口小で、むかしの子どもたちが、勉強のためにつくった。

考え中、考え中、お・わ・り
答えはCです。子どもたちが勉強のためにつくりました。
そしてなんとこの舟に乗って、あの多摩川を渡ったんです。
それが読売新聞の記事になって残っています。

2005年3月7日(月曜日)読売新聞都民版の記事
「歴史の流れ渡る 僕らの舟   児童ら矢口渡復活」
多摩川を渡り、大田区と対岸の川崎市を結ぶ渡し舟「矢口渡」が6日、大田区立矢口小(多摩川1)の児童らの手によって復活した。
矢口渡は地元の足として使われていたが、第二京浜国道や多摩川大橋の開通で1949年に廃止された。
児童らは「矢口渡復活プロジェクト」と題して小舟を造り、見事に多摩川を渡ってみせた。

大田区矢口には、南北朝時代の武将、新田義興(1331~58)が鎌倉に攻め込む際、渡し舟で多摩川を渡る途中に謀略にはまり自刀したという記録が残されており、この当時から渡し舟が通っていたと考えられている。
戦前までは、大田区の農家が渡し舟に乗り、川崎市側にあった畑に農作業へ出かける光景も見られたという。
矢口小では、6年生の総合学習の授業の一環で、こうした地域の歴史を学ぶため、渡し舟を復活させることになった。
地元のお年寄りに渡し船の様子を聞くなど昨年9月から準備を始め、長さ5メートルの小舟造りに挑戦することになった。

舟造りには、区内のカヌー愛好会「大森青ベカカヌークラブ」が全面的に協力。
週2回の授業時間や放課後を使って作業を進めた。
「魂心丸」と命名された舟は昨年11月に完成し、学校のプールで進水式を行った。
2月には、実際に多摩川を進めるかどうかテストした。

この日の渡し舟復活は、多摩川大橋のたもとで行われた。
カヌークラブのメンバーや消防署員らが見守る中、児童ら80人が15チームに分かれ、それぞれ大田区側と川崎側に待機。
午前9時にスタートし、川幅約120メートルの多摩川を往復した。
途中、船が下流に流されてしまいそうになる場面もあったが、児童らは力強くこぎ続け、無事に両岸を行き来した。
児童のひとりは「友達やカヌークラブなど、みんなの支えがあったからできた」と話していた。

今日の話もホームページに載せておきますから、皆さんも、だれかに「この舟はどうして置いてあるんですか?」と聞かれたら、答えられるように勉強しておきしょう。

それからもう一つ、130周年キャラクター総選挙で1位になった「やぐらん」のイラストを、図工のH先生がパソコンできれいに描き直してくれました。
いろいろなことに使えるようにしてありますので、こちらもホームページに載せておきます。
みんなで使っていきましょう。
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