地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

ジャカルタ・架線下のランカス鈍行 (2015)

2019-01-07 12:30:00 | インドネシアの鉄道


 去る年末、若くしてジャカルタ鉄道事情の大御所の座を不動のものとされているパクアン急行様が一時帰国され、都内某所のインドネシア料理店で歓迎の宴が開催されたのですが、お店が我々一行の午後7時からの予約の前にどうしてもシンガポール・ムスリムご一行の予約を入れたいと事前に申し入れて午後8時からに変更となり、しかも当然 (?) 先客が8時前に帰るはずもなく、一時は本当にヒヤヒヤものでした。しかし無事に入ったあとは、美味いインドネシア料理とビンタンビールをガンガン楽しみ、口福の限りを尽くしましたし、勿論いつも通りに日本と海外の濃いぃ鉄話題で盛り上がったことは言うまでもありません。そしてパクアン急行様からは、一同どよめく重大発表が……(^O^)。私の年間予定とうまく合いますかどうか、早くもヒヤヒヤものです! そして終了後は、パクアン急行様とともに東急Qシート初乗車♪ というわけで、幹事役のKuching様、パクアン急行様ほか、ご参加の皆様には大変お世話になりました!



 それにしても、パクアン急行様のブログを介して知るインドネシアの鉄道事情は、ここに来ていろいろな変化が激しく、しばらくご無沙汰していると浦島な脳内を整理するのに一苦労です。「ステンレス客車の急増→古い客車の余剰大発生→廃車置き場確保のためチカウムだけでなくプルワカルタの廃車山脈取り崩し」という話題は (※)、ひところプルワカルタに入り浸った (笑) だけに感慨深いものがありますし、インスタ映えするスポットとして廃車の山を撮りたいインドネシアのパンピーの皆様と、撮らせまいとするPKDがしばらく骨肉の闘争を繰り広げていたというのは何をか言わんや……(最初から廃車即解体にしていれば良かったのに! ^^;)。また、国産INKA製電車KFWが集中的に故障しまくった結果、カンプンバンダン・フィーダ運用を除いて完全離脱し、タンジュンプリオク線は日本中古8連で来るようになったというのも、昔の超過疎なタンジュンプリオク界隈を記憶する者としては衝撃です (嗚呼……103系が残っていれば!)。そして、スルポン=バンテン線のランカスビトゥン電化開業が実現して以来、路線も沿線も変化が著しく、あっという間にマジャ~ランカスビトゥン間が複線化されたほか、棚田や畑がニュータウンへと急速に変貌しつつあるという……。昔の田園都市線、いまのスルポン線、といったところでしょうか。
 すると、マジャ~ランカスビトゥン間に架線が張られながらもなかなか電化開業の気配が見えず、相変わらず客レ鈍行が往来していた2015~2016頃の画像が、一気に昔の光景に思えて来ます。上はランカス駅、下はマジャ駅での撮影ですが、マジャ駅の橋上駅舎も建設中で、この当時はマッチ箱のような駅舎、デコボコな駅前だったのもウソのようです。いやそもそも、ランカス電化開業後は未だ訪れていないため、ランカス駅に205系が停まっているということ自体、写真では理解していて実感が湧かないのですが……(^^;;)。

※クラブツーリズム・海外の旅パンフレット最新版のうちインドネシアの部分に、鉄ヲタ向け・ジャカルタの日本中古電車乗車ツアーの記載があり、最大の目玉としてプルワカルタの廃車の山を訪ねる云々が記されていますが、「詳しくはWebで」とあるためアクセスしてみたところ、このツアーの催行自体がキャンセルとなったようで削除されています。担当者氏がパクアン急行様の記事を見て、あるいは既に催行したツアーで寄ってみたら追い払われて、プルワカルタにはもう行けないと判断したのでしょう。
……何故こんな事情を知っているのかと申しますと、私の親が毎月クラツーのパンフレットの送付を受けているからです (笑)。