ジャカルタで都営6000系が引退したのは、既にだいぶ前の話となってしまいましたが、先頭車化改造編成であるLakitanと猫バス (Djoko Lelono2) は、2連でもOKというフレキシブルな特徴を活かしてデボックの入換車となり、最後まで現役で残ってKCJ色となっていた6181Fもデポックの肥やしとなっていました。しかし、いつもお世話になっておりますパクアン急行様のブログによりますと、ますます増える武蔵野205系に場所を譲るため、このほど都営車を一斉に廃車回送することとなり、猫バスの廃回はジャカルタのネタ鉄が多数馳せ参じるさよなら劇となったとか……。
思えば猫バスは、今と違って予備車も事欠くギリギリの運用状況の中、ボゴールでの大事故で生き残った車両にやっつけの顔を取り付けて復活させたという数奇な車両でしたが、パクアン急行様が述べておられるように、その凄まじいインパクトある姿には、ジャカルタで鉄活動をする誰もが大いに心惑わされ狂喜し、思わず追っかけたくなる気分になったものと思量します。他ならぬ私も、突然姿を現した猫バスを何とか撮ろうとして無理な行動をしてしまい、骨折してしまったという苦い出来事がありましたので……。その後、歩くこと自体の喜びを痛感したことで、20代の非鉄時代にやっていた山登りを再開し (このため、多少撮り鉄活動から遠ざかってしまうことになりましたが)、さらには旧街道歩き鉄などという酔狂にも手を染めることにもなりましたが、それもまた猫バスの降臨によって運命が大きく変わったためであろうと理解しております。(つづく)