地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

山陽の国鉄型めぐり (8) 瀬戸内色103系

2009-06-19 07:33:00 | 国鉄型車両


 広島駅でお好み焼きを食べ腹一杯になった後は、103系「安芸路ライナー」に乗って呉線へ。但し、すぐに矢野で下車して撮影し、後続の普通列車でさらに移動しましたので、安芸路ライナーの醍醐味を味わったのは僅かだったのですが (^^;)。
 そんな日中の「安芸路ライナー」は多くの場合、3両編成の103系D編成で運用されていますが、そもそもこのD編成自体「安芸路ライナー」専用編成の感があり、本数が少ない……。確か3~4本しか存在しないのでは、と記憶しております。したがって、D編成に必ず組み込まれているクモハ103は、広島地区の中でも自ずと貴重な存在であり、今後どうなるのか懸念されますが、個人的にはもうしばらく安泰なのではないかと予想しています。と申しますのも……↑の画像にみる通り、D編成にも大幅な延命工事が施工されつつあるからです。とくに、クハ103にトイレが設置されているのは正直オドロキでありました……(^^;)。これってもしや……103系史上初のトイレ設置車では??! その重大性に気付いたのは、広島駅に停車中のD01編成に乗り込んだところ、何となくトイレがあるのを見かけて「んじゃ~ついでに」ということでスッキリした後でありました (爆)。



 いっぽう4連のB・E編成ですが……個人的に好きだった元岡山のマスカットE編成は、既に全車瀬戸内色に塗装変更され、何だかバリエーションが減って残念……。しかも↑のE05編成は、昨年の春に瀬戸内色に変更されてしばらく広島地区で運用されたのち岡山に転出(というか復帰)してしまいましたので、この姿で呉線内を行く姿は今となっては貴重なシーンとなったわけですが、まさか撮影時にはそのような展開は夢にも想像しませんでした。
 と申しますか……初めて呉線を訪問した2006年夏の記憶に基づき、日中の呉線は長くても4連だと信じて疑わずにフレーミングしていたところ……真っ昼間にイキナリ8連で現れ、「長過ぎる! ケ、ケ○が入らないぞぉ……」と狼狽しまくり (滝汗)。どうやら下校時間帯の運用数増加に備えた送り込みを兼ねて8連となったようなのですが、前2両と後ろ2両はほとんど誰も乗っていない8連の車内は線路脇で見ていても垂涎の光景……。そんな白昼の8連の先頭にE05編成が立っているという点でも、このカットは貴重なものとなりました。
 さらに、現在引き続き進められている223系新造→221系転配のあおりを受けて、京都あたりから113系が相次いで広島地区へ転属して103系を追いやっているようで、ゆくゆくは広島地区における103系8連の存在自体が超貴重なものとなって行くことでしょう……。そういう意味でも、突如現れて泡を食ったこのカットは思い出深い記録となったのでした。

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2 コメント

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Unknown (開運skyliner)
2009-06-19 20:20:54
おっとっと様、こんばんわ!
私の場合は父親の実家が呉にあるので、呉線に関しては80系や70系、はるか昔に急行「安芸」「出島」が活躍していた頃から馴染みがありますが、今や呉線は103系の天下であります。確か瀬戸内色の103系が登場したのは平成4年の夏頃で、当時は下関に配置され、メインの活躍場所は下関~岩国間でした。呉線に於いては下関から深夜に広島を通り過ぎて呉線の広まで入線し、翌朝に早々と広から西へ向かう運用だった為に呉線、いや広島地区にとっては103系は幻の電車に過ぎなかったものでしたが翌平成5年には広島に配置となり、主に呉線がメインとなりましたが、当時としては何と言ってもトイレの有無が広島駅や呉駅等の時刻表に表示していたものですが、今では103系と言えどもしっかりとトイレが設置されている事にただただ感心します。もっとも末期は可部線で活躍してたウグイス色の旧型国電も呉線での運用に備えてトイレが設置されてた筈なのにトイレ無しが長距離を平気で走らせていたJR西日本は何考えてるんだろう~と思ったものでした。そんな当時はカタキ役でした103系ですが、もう首都圏では姿を消し、関西圏でも321系投入→201系玉突きにより103系が益々貴重になって来ると…ですが広島地区では自慢の115系3000番代なんかと並んでしまったら、そのギャップに圧倒され溜め息が出るもので…!
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Unknown (おっとっと)
2009-06-21 09:34:28
>開運skylinerさま
 おはようございます、コメントどうもありがとうございます。
 呉に馴染みがあるとのことで、優等列車が行き交う山陽線のバイパスだった時代から、いまの広島近郊電車化した時代への移り変わりには感慨をお持ちなのでしょうね。
 73系のトイレ設置といえば、房総地区電化の際に運用された車両には全く設置されなかったはずですので (長距離利用客は急行ご利用をと言わんばかりのような……)、広島と御殿場線ではトイレが設置されたのは良心的なサービスだったのだろうと思います。
 しかし国鉄からJRに変わると、大都市圏の真似をして、トイレ無しで押し切ろうという傾向が増えたような気がします。でも、それも本数が多い路線だからこそ可能なわけで、一時期飯田線の豊川以北で「1両編成はトイレなし」を堂々とやっていたのには面食らいました。それと比べれば広島地区は余程頻繁運転なので省略しても良いのだろうと思いますが、やはり105・115系との差が大きすぎるという利用者からの不満が大きかったのでしょうか。
 ともあれ筑肥線を含め、最近トイレを設置した編成が、日本最後の103系となって行くのでしょう……。
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