中曽根元首相が逝去され、今日の世間は騒然としつつ業績の功過をいろいろと論じているところです。個人的には類い希な才能のステイツマンとしての事績には敬意を表しつつも、国鉄民営化がこのようなかたちで本当に良かったのかどうか、未だに疑問に思っているところです。
地域会社に分割するとしても、三島会社の扱いや新幹線並行在来線の処遇について疑問の余地がありますし、貨物と同様の発想で長距離夜行列車の全国ネットワークを展開する独立採算会社「JR夜行」を何故つくらなかったのか、とも思います。繁盛する夜行バスが人手不足でこれ以上の増発の余地を見込めず、欧州では炭素排出量減少の大目標のもと中距離夜行列車の復権も云々されている中、誰にとっても便利なはずの夜行サービスが日本では絶滅に瀕しているのは、結局のところ地域会社にも夜行サービスを委ねてしまった結果ではないかと愚考します。
何はともあれ、国鉄が消えてから32年余り。国鉄型車両もいよいよ加速度的に消え、昨日はついに東京駅からもMT54装備の国鉄型車両が完全に撤退する旨が発表される中、国鉄分割民営化の究極の責任者が世を去ったこともまた、時代の節目を強く感じさせるものがあります。
そんな中曽根氏と言えば、やはり選挙区がある高崎。高崎という場所が、遠く過去のものになりつつある国鉄らしさを最も良く残している場所となっているのは、意図せざる不思議な逆説的偶然と言えるのかも知れません。
というわけで、D51 498と並んで高崎のSL列車を支える存在であるC61 20のピカピカな姿をアップしておくことにします。来年には43系客車もニス塗り内装を復活させるとのことで楽しみです。勿論、ニスを塗りつぶしてリノリウム張りの床面とした明るい車内の近代化改造車も、高度成長時代に合わせた旧型客車の一時代を象徴していると思いますが、既に塗装は近代化改造車らしからぬ葡萄色に戻っていますので、全体的に昔返りで良いのではないか、と思います。
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