東北の旅・奥州街道の旅は、701系の帯色が変わるのに付き合う旅。新白河から一ノ関までは仙台緑赤、一ノ関から盛岡までは盛岡紫、そして盛岡から八戸まではIGRいわて銀河鉄道の紺黄、盛岡から青森までは青い森色と移り変わるわけですが、とりわけJRE区間が尽きて地方民鉄のIGRに突入すると、引き締まった雰囲気の帯色を目にするにつけ、街道歩きの気分もいっそう緊張感が高まります(何てったって、熊がウヨウヨいる山里に突っ込んで行きますので。笑)。
そんなIGR所属車は、JRE・青い森で701系と呼ぶのとは一線を画し、IGR7000系を名乗っていますが、さらに大きく分けて、JRからの譲受車・ロングシートの0番台と、IGRとして新造したセミクロスの100番台 (トイレがJRE所属車の1500番台と同様) が在籍しています。残念ながら、昨年秋の奥州街道歩きでも、セミクロス車には乗っていないのですが……(^^;)。
今回じっくりと徒歩鉄しながらIGR7000系と付き合って初めて気がついたのは、0番台・100番台を合わせても僅か7編成しか在籍していないこと!! 盛岡から目時まで非常に遠い (?) にもかかわらず、そしてラッシュアワーは盛岡口で結構な本数があるにもかかわらず、予備車を除けば僅か5〜6本でどうやって運用を回すのか?!とビックリ仰天ですが、実際に時刻表を仔細に眺めてみると、確かに超カツカツで回して間に合っていることが分かります。701系の凄まじい加減速と最高速度があってこそ、極めて機動的に運用を組むことが出来るのでしょう。701系は東北の鉄道に革命を起こしていたのだということを、今さらになってしみじみと痛感する次第です。
そんな中、1枚目の画像のように、何と贅沢にも2連2本の4連が北上まで直通してしまうという運用もあるのですが、その穴をどうやって埋めているのか……答えは明らかですが、次回に続きます。
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