特急パラヒャンガン。それは、西ジャワに栄えた古い王朝から名を取り、喧噪のジャカルタと高原の大都会バンドゥン (しかもKAI本社所在地) を結ぶ、KAI最強の看板列車の一つ……であっても良いはず。実際、スハルト政権の頃までは、12両以上の大入り満員長大編成が1時間間隔の頻繁運転で、プルワカルタ~パダララン間の絶景峡谷区間に挑んでいたとか……。しかしその後、経済発展と高速道路の開通によって一気に客足は自家用車と高速バスに流れて没落し、最近は全2等車編成の場合「電源+1等3両+食堂+1等2or3両+アリンアリン (非営業空車)」、2等組み込みの場合「電源+1等3両+食堂+1等1両+2等2両+アリンアリン」という、編成中の3分の1は客を乗せない車両が無駄に (?) 連結されているという哀愁の編成となっておりました (勿論、日によって多少の増減はあります)。そして、早朝と夜間はビジネス需要でそこそこ混み合うものの、日中はまさに空気輸送の極み……。
しかしとにかく、結んでいる区間は超黄金ルートのはずですので、テコ入れをしようと思えばいくらでも挽回できたはず。ところがKAIはパラヒャンガンに冷たく、ただでさえ1等車はボロめな車両の吹きだまりであったところ、今年の夏に改めて激写した際には一層吹きだまり化が進み、窓と座席の間隔が全く合っていなかったり椅子がチョロかったりする1970年代~80年代初頭製の車両ばかりがかき集められている観がありました。ほとんどの車両が新塗装化されつつも、このまま悲愴な没落が進み……もしジョコウィ政権の浅薄な期待通り3年後に中国高速鉄道がバンドゥンまで開通すれば、パラヒャンガンの栄光は吹き飛んでしまうのではないかと危惧しておりました。何故インドネシアの列車にこれほど思い入れるのか?という声が聞こえてきそうですが、そりゃ~まぁ、2009年の初訪問時に乗って感激した列車だからでございます……。
ところが何と!天……と申しますかアッラーはこの列車をお見捨てにはならなかった! いつもお世話になっておりますパクアン急行様のブログを拝見していたところ、突如パラヒャンガンの編成構成が変更となり、電源車は新型食堂車に集約され、最新快適エコノミAC客車「K3 16」が4両連結ということで、客扱いする車両は6両から8両に急増! 朝夕の混雑時には定員が増えて増収となりますし、大好評といわれる「K3 16」の連結で日中の気軽な列車移動を喚起出来ると良いなぁ……と思ったりもするのであります (2等車も悪くなかったのですが、如何せんジャカルタやバンドゥンの中間層が使うにはボロくなりすぎました)。
そしてもう一つ気付かされるのは、この8月に撮ったカットが貴重な過渡期シーンに化けたということ! ほぼ新塗装への移行が済みつつあるパラヒャンガン・ボロボロ編成は、結局僅かな期間しか見られなかったことになります。これだから、インドネシアでの撮り鉄は、如何なる列車についても気が抜けないというものです……。
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