地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

関鉄常総線水海道車両基地・快晴下の公開!

2016-11-04 00:00:00 | 地方民鉄 (関鉄系)


 早いもので、茨城県常総市周辺に甚大な被害をもたらした鬼怒川水害から約1年が過ぎましたが、関鉄常総線は懸命の努力により早期の運行再開にこぎつけ、大いに注目を集めたものでした。そしてついに、毎年11月3日に合わせて開催される水海道車両基地公開イベントを2年ぶりに再開できるだけの余裕も生まれたとのことで、しばらく関鉄撮り鉄は御無沙汰してしまった私も、是非久しぶりに訪れてささやかながら応援したい気持ちになりました。
 というわけで、やって来ましたDCの聖地水海道♪ 天気予報よりもはるかにスッキリと晩秋の藍天が広がる中、関鉄を代表する4車種がズラリと並んだ光景は、まさに「常総線ここにあり!水害からの鮮やかなる復活!」というべきものがあり、訪れたヲタは誰もが激写に激写を重ねておりました……。



 それにしても、昨日の水海道イベントの集客ぶりは凄かった!! 史上稀に見る長雨続きの秋に誰もがウンザリしていただけに、晴れれば必ず出掛けようという心理も働いているためでしょうか、とにかく会場内も無料送迎バスもヲタヲタヲタ!家族連れに次ぐ家族連れ! かつてキハ101と102が揃って現役であった頃、これほど凄まじく混み合っただろうか……ということを思い出すにつけ、関鉄常総線はいつの間にか、他の鉄道における「走るんです」やAトレ化などの無味乾燥化、そしてTX沿線における急速な宅地開発と若年家族層の激増により、イベントを開けば昔よりもはるかに集客出来るようになったのでしょう。まぁ、混乱が生じない程度に大賑わいになること自体は、とても良いことなのだろうと思います。というわけで、車両基地が水没するほどの大災害を確実に乗り越えて、このような素晴らしい四並びを魅せて下さった関鉄関係者の皆様に、この場ながら心よりお礼申し上げます m(_ _)m
 ところで、これらの車両に負けず劣らず重要なネタ車両であるはずのあの編成は……? 次回をお楽しみに~(他のサイト様で先に多数アップされるでしょうが、当ブログで扱う画像は近似のアングルでは撮られていないはず)。

今みれば意外と良さげな韓国5000系電車

2016-11-03 00:00:00 | 韓国の鉄道


 今から約1年前、韓国が極めて近視眼的な対中傾斜をしたところでロクなことがなく、ただ北朝鮮がニヤニヤと笑っているのみではないか……という下世話なメッセージとともに、「統一朝鮮ソウル首都圏電鉄の美しい未来」という史上最灰汁のケツ作ウソ電画像を投稿したものですが、果たせるかなその後、北朝鮮はすっかり安心しきってミサイル発射やら核実験やらを繰り返す大花火祭りモードになりましたし、完全に狼狽しきった韓国が米国(そして日本)との防衛協力再強化という方向に向かえば、中国様からどやしつけられまくるという惨状……。しかもそのウリナラは、保守派と親北左派とのとめどなき抗争の中で、ついに大統領ニムのリーダーシップまでもが「お友達に機密垂れ流し事件」によって瓦解しつつあるという……。つい先日、取引先の韓国人が「この国家的危機にいてもたってもいられないので、何とか航空券をゲットして近日開催の大規模デモに参加するつもりだ」と宣うのを聞いて、何というスイッチの入りようか……と驚いたものですが、他にも韓進破産や三星爆発などもあってか、さすが儒教的天人相関論に昔から染まってきたお国柄だけに、天地が崩れるかのような心理的衝撃が蔓延しつつあるのかも知れません。勿論、今や日本と韓国は互いに独立国であり、互いの自主を尊重するべきなのでありますから、日本は黙って見ているだけなのですが。w



 そんなことをつらつらと思いつつ、「そういえばもう数年以上韓国には行っていないな……。抵抗制御1000系もほとんど消滅に近いだろうしなぁ……」ということを思い出し、拙ブログの韓国過去記事を眺めて「今よりは全然ホームドアも設置されておらず楽しかった頃」を振り返っていたところ、重大な問題を発見してしまいました。何と……KORAIL5000系の画像を全くアップしていない!! (爆汗)
 そこで、全く以て何を今さらな話ではありますが、今から9年前、ソウルに1週間以上長居した際に撮りまくった画像を掘り起こしてみました。この5000系は、今や大改番により311000系と改称されてしまいましたが、1990~2000年代のKORAIL (韓国鉄道公社) を代表する一大陣営を築き上げた車両であり、直流の地下鉄1号線と交流のKORAILを直通するための交直流電車として1000両近くが新造されています (純粋な直流バージョンの車両として、安山・果川・盆唐・水仁線用の2000系=341000/351000系があり)。このうち前期の車両は、JR205系に似た雰囲気のボディとなっており、後期の車両はトングリ又は新トングリと呼ばれる流線型顔となっていますが、個人的には勿論前期型の方が良いことは言うまでもありません (笑)。
 しかし……中期・後期抵抗1000系がまだまだ多数走っていた数年前、5000系前期車はやって来てもハズレ扱いであり、乗れば「また5000系かよ……うぜぇ~」とぼやいておりましたし、撮れば練習電としてピント・露出確認後速攻で消していたものでした (滝汗)。実は考えてもみれば、武蔵野線205系の韓国バージョンのような存在ですので、前期型は消去する必要などどこにも無かったはずですが……当時記録メディアの容量がまだまだ少なかったことから、他の車両を撮ろうとするとどうしても5000系画像は要らないカット扱いだったという次第……。
 というわけで、最近再び外付けHD内を漁って過去画像を引っ張り出したところ、非常にメジャーな車両なのにまともな画像はこれだけ……(^^;)。ま、廃車年限25年ルールからして、事故に遭遇しない限りあと5年は廃車とならないはずですので、もし縁あってまた訪韓する機会があるとすれば、ホームドアがない田舎ゾーンの駅(水原から南)にて、客車セマウル (風前の灯火) やムグンファともども改めて撮ってみたいものですが、この車両のために訪韓したいという欲求が湧くわけでもなく、はたまた出張がかりに入るとしても撮り鉄をする時間的余裕があるとは限らず、また改めて撮る機会は全くないのかも知れません。


第四ヤンゴン熱鉄記 (21) 郵便混合2レ

2016-11-01 12:00:00 | ミャンマーの鉄道


 本日はミャンマーのアウンサンスーチー国家顧問訪日ということで、既にいろいろ積み上げられつつある日緬協力の方向性がさらにどうなるのかという点に関心が集まることでしょうが、一介の鉄ヲタとしましては、とりわけ鉄道インフラという面においてもミャンマーを舞台に日中両国が激しく角逐する中、新たにどのような支援メニューが発表されるのか、興味深く発表を待ちたいところではあります。まぁ基本的にはヤンゴン~マンダレー間及びヤンゴン環状線のレベルアップに関する追加事項なのでしょうが、他にも例えばネーピードーとピィ・バガンを結ぶRBE急行が満員寿司詰めとなっているのをネット上で目にするにつけ、ヤンゴンに限らず主要都市を早足で (?) 結ぶ列車の一刻も早い増発・増結も急務であるような気がします (そのための手っ取り早い方法として、インドネシア客車の大量輸入も決まったわけですが)。



 そんな趨勢の中、逆に何時まで残るか分からない時代がかった列車もあるわけで、その代表例と言えそうなのが、ミャンマーで「1・2列車」の栄光を保持し続けているヤンゴン~マンダレー間のメイル列車 (1Up・2Down) であろうかと思います。画像からもお分かりの通り、客車はせいぜい3~4両で、1950年代日本製やリベットゴツゴツ10700形を含めたボロ目な顔ぶれ、しかもそのうち1両は郵便合造車 (胴回りが赤)、さらに後ろには有蓋車やタンク車がゴロゴロと連結され、他の国であれば到底これが輝ける「1・2レ」を名乗るとは信じられないワケワカメなゴッタ煮編成でありますが……。しかもこの列車、鈍行ほどではないにせよ遅く、ヤンゴンとマンダレー又はネーピードーを結ぶ急行列車に呆気なく抜かれてしまいます。
 それでもこの列車が断固としてアッパークラスを連結し、かつ「1・2」にこだわり続けているのは、英領時代以来長らく政府の公文書を輸送する役目を担っているからに他ならないでしょう (有蓋車にも郵便物が積まれている可能性があり、2枚目の画像には車体長が短い茶色一色のReserved客車=公務用途客車?が連結されています)。ただ、そんな列車が敢えて鈍足に甘んじているのは、列車本数が少ない (経済低迷もあって限られてきた) 中、郵袋の積み卸しのついでに途中駅での貨車の切り貼りという役目まで任されてしまったためなのでしょう。
 しかし、今後マンダレー本線の高速化や、ヤンゴン中央駅改造による荷役スペースの撤退 (=貨客分離)、さらには郵便サービスの高速道路移転 (既に進んでいる?) が済めば、この列車の歴史的役割は終わることになり、「1・2」の称号は日本製電気式DC特急列車あたりに譲られることになるのかも知れません。それがまぁ自然な流れだとは思いますが、通勤列車が頻繁に行き交う朝のヤンゴン界隈にヌッと姿を現す2Downを毎年見慣れてきただけに、そう予想するにつけ些か寂しさを禁じ得ませんね……(まだ消えたわけではありませんので注意!)。