地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

鉄コレ東武1700系記念・何故か10000系

2016-11-11 00:00:00 | 大手民鉄 (東武)


 毎年恒例・12月上旬に開催される南栗橋ヲタ祭りまで1ヶ月を切り、したがってこのヲタ祭りに合わせて発売される東武商事限定鉄コレの陣容も気になるところでしたが、昨日ついに大本営発表がありました。何と今年は、5700系に次いで戦後の特急車の一時代を築き、東武初の本格的カルダン駆動車 (5700・5800系の試作車を除く) となった1700系で攻めて来るとか! 1700系はDRC・1720系と同じ車体にに車体更新されてから久しく、しかもその下回りは今やりょうもう200系の一部に引き継がれていますので、下回りの余りの長寿ぶりと完成度の高さには驚くべきものがありますし、東武としては500系を今後増やして200系を廃車にするのを前に、そんな1700系を顕彰しておきたいのでしょう。しかし、箱形ボディ1700系の現役当時の姿をナマで見て記憶しているのは、恐らく40代末以上のヲッサンやヲ爺さんに限られるわけで、3000系と並んで余り人気が出ないような気が……(汗)。まぁ私は、人気の有無に関係なく必ずゲットするつもりですが……。



 というわけで、そんな発表を承けて、200系のうち1700系機器流用車の画像でも貼りたいところですが、ただでさえ200系は余り真面目に撮っていない中 (今ひとつ個人的に興趣をそそられるデザインではない……^^;)、HDの中に眠る画像を引っ張り出して、台車をじっくり眺めて当該編成を掘り起こすのは面倒臭い……(滝汗)。そこで、マルーン帯ということで往年のマルーン+ベージュツートンに通じ、しかも正面デザインが丸みを帯びて1700系の雰囲気に通じるような気がする10000系の画像を貼ってお茶を濁したいと思います。
 1枚目は、去る8月の「あまのじゃく軍団」による上信ビール電車参戦の帰り、「きえふにいさん」様と両毛線115系を味わい、佐野から単独行動で「東武ん」を補給した際のひとこま。かつて5050系に興奮した館林駅では、10000系列を見かけても「ふーん」程度にしか思わなかったものですが、今やギンギラコルゲートの10000系が来ればかくも興奮できるとは……(^^;)。そして2枚目……スカイツリーがまだ低く、区間準急が昼間に走っているという……(遠い目)。何ということはない記録が、後日ナイスな記録に変わるという好例かも知れません。
 う~むそれにしても、最近はとにかく体がいくつあっても足りない気分で、東武撮り鉄も御無沙汰……(-_-;)。ミクリはSLや客車あたりが展示されるのかも知れず、今年は朝から鉄コレゲットで参戦しようかどうか考え中であります。

名鉄3150系のイメチェン帯車を撮る

2016-11-10 00:00:00 | 都市民鉄 (中京圏)


 先月発売されたRP誌の最新号には、最近の名鉄の車両動向が中の方によって詳しく解説されていますが、パノラマカーや瀬戸線の6650・6750系といった釣掛が全廃となって以来名鉄は御無沙汰気味な私にとって、かなり参考になりました。なるほど……7500系の一部の機器を流用した1030・1230・1850系が続々と廃車になっているのは、老朽化ということを考えればやむを得ないものがありますが、そういえば事故で生き残った車両をスカーレット一色に塗って主に本線普通用とされてきた1380系も、7500系更新車グループとしていつの間にか廃車になってしまったのですなぁ……(事情に疎すぎ)。そして、廃車の波は6000系にも及び、瀬戸線や本線で大量に走っているとばかり思っていた6000系5次車タイプの4連から優先的に廃車になっているというのが驚きです……。下回りが5000/5200系の流用品ではるかに古い5300系の残存編成をさておいて6000系が大量廃車になるとは……。



 その代わりに名鉄は、特急用として2200系を約12年にわたり造り続け、汎用車としては2連の3150系、4連の3300系を増備しているわけですが、正直申しまして3150系と3300系はどうも印象が弱くつまらん電車だと思っておりました。ほとんど近似のボディを持ちながら、1000系全車特急車の下回りを流用して分散クーラーを搭載した新5000系については、正面帯も太くてカッコ良い♪と思っていたのですが……。というわけで、個人的に3150/3300系と5000系の評価を分けるポイントになっていたのは、5000系に息づく1000系魂も去ることながら、インパクトに欠ける正面デザインだったのでありました (手前勝手な……^^;)。
 ところが何と、去る7月に久しぶりにちょこっと名鉄で撮り鉄したところ、3150系が名鉄スカーレットを強く押し出したデザインにイメチェンしており、小粒でピリリと辛い2連がなかなか良い!ということで激写してしまったのでした♪ その後しばらく、多忙やらインドネシア遠征やらもあって完全に放置してしまったのですが、先月発売のRP誌名鉄記事をようやく一昨日読みましたので (^^;)、レタッチしてみた次第です。他にもいろいろ撮影し、「久しぶりに名鉄に来てみると、なかなかオモロイではないか……」と思いましたので、続きを追々アップしたく存じます。多分……(^^;

続々と増える高崎ローカル211系

2016-11-09 00:00:00 | 国鉄型車両


 去る4日の通信ケーブル切断に伴う高崎線の長時間運休は、先月末に高崎線を全区間利用した者としては他人事ではないのですが (自分が利用した日の話ではなくて良かった……)、鼠にかじられたとしたら何ともトホホな話です。
 それはさておき、そんな高崎線から撤退して久しくなりつつある211系は、離脱後東北各地を中心にあちこち疎開し、ドアボタン設置や風雪対応工事などを行って、去る8月下旬から少しずつ高崎発着群馬ローカル運用に入り始めているところです。そして……置き換え開始から約2ヶ月を経て高崎駅に降り立ってみますと、実際に増えていますね……。



 とくに、夕方信越線 (とゆーか、安中線や横川線と改称した方が良いような) 沿線から高崎に戻る際に乗った列車が211系の4連でした……。朝方高崎に着いた際にはまだまだ115系や107系を多数見かけたことから、「よっしゃ、211の導入スピードが遅い。帰りは空いている列車でMT54だ。ムフフ♪」と思ったものですが、あに図らんや……乗った211系が高崎に着いてみると、停車中の列車も、到着直前にすれ違った列車も、悉く211系とは……。そのうちの1本は、かねてから両毛線で運用されている総武線からの転属組5連でしたが (2枚目。スカートが雪山対応のいかつい新品ではなく、編成構成も2M3Tですので、両毛線専用という位置づけでしょう)、E231/233を除いて立て続けに211系を4~5本見続けたことで、「まさか昼間のうちに集中差し替えがあったのではないか……??」とすら思えたのでした。実際、1枚目の画像を撮影した際には、地元群馬の高校生鉄ヲタ諸君数名が、スカートも床下も全く汚れていない姿をビシバシ激写していたものでした……。115系が集う夕方6時台の圧倒的光景の見納めをしみじみと味わおうと思っていただけに、「分かってはいたけれど何だかなぁ……」という気分です。
 これから来年3月のダイヤ改正に向けて、ますます211系の投入は加速して行き、来る年末年始は115・107系の最後の楽しみどきとなるでしょう。18きっぷで訪ねる場合、高崎から先はどの方向に進むか予め決めず、115系や107系が来たらそれに乗る、というのがベストなのかも知れません。

第八ジャカルタ炎鉄録 (11) 特急パラヒャンガン

2016-11-07 12:00:00 | インドネシアの鉄道


 特急パラヒャンガン。それは、西ジャワに栄えた古い王朝から名を取り、喧噪のジャカルタと高原の大都会バンドゥン (しかもKAI本社所在地) を結ぶ、KAI最強の看板列車の一つ……であっても良いはず。実際、スハルト政権の頃までは、12両以上の大入り満員長大編成が1時間間隔の頻繁運転で、プルワカルタ~パダララン間の絶景峡谷区間に挑んでいたとか……。しかしその後、経済発展と高速道路の開通によって一気に客足は自家用車と高速バスに流れて没落し、最近は全2等車編成の場合「電源+1等3両+食堂+1等2or3両+アリンアリン (非営業空車)」、2等組み込みの場合「電源+1等3両+食堂+1等1両+2等2両+アリンアリン」という、編成中の3分の1は客を乗せない車両が無駄に (?) 連結されているという哀愁の編成となっておりました (勿論、日によって多少の増減はあります)。そして、早朝と夜間はビジネス需要でそこそこ混み合うものの、日中はまさに空気輸送の極み……。



 しかしとにかく、結んでいる区間は超黄金ルートのはずですので、テコ入れをしようと思えばいくらでも挽回できたはず。ところがKAIはパラヒャンガンに冷たく、ただでさえ1等車はボロめな車両の吹きだまりであったところ、今年の夏に改めて激写した際には一層吹きだまり化が進み、窓と座席の間隔が全く合っていなかったり椅子がチョロかったりする1970年代~80年代初頭製の車両ばかりがかき集められている観がありました。ほとんどの車両が新塗装化されつつも、このまま悲愴な没落が進み……もしジョコウィ政権の浅薄な期待通り3年後に中国高速鉄道がバンドゥンまで開通すれば、パラヒャンガンの栄光は吹き飛んでしまうのではないかと危惧しておりました。何故インドネシアの列車にこれほど思い入れるのか?という声が聞こえてきそうですが、そりゃ~まぁ、2009年の初訪問時に乗って感激した列車だからでございます……。
 ところが何と!天……と申しますかアッラーはこの列車をお見捨てにはならなかった! いつもお世話になっておりますパクアン急行様のブログを拝見していたところ、突如パラヒャンガンの編成構成が変更となり、電源車は新型食堂車に集約され、最新快適エコノミAC客車「K3 16」が4両連結ということで、客扱いする車両は6両から8両に急増! 朝夕の混雑時には定員が増えて増収となりますし、大好評といわれる「K3 16」の連結で日中の気軽な列車移動を喚起出来ると良いなぁ……と思ったりもするのであります (2等車も悪くなかったのですが、如何せんジャカルタやバンドゥンの中間層が使うにはボロくなりすぎました)。
 そしてもう一つ気付かされるのは、この8月に撮ったカットが貴重な過渡期シーンに化けたということ! ほぼ新塗装への移行が済みつつあるパラヒャンガン・ボロボロ編成は、結局僅かな期間しか見られなかったことになります。これだから、インドネシアでの撮り鉄は、如何なる列車についても気が抜けないというものです……。

関鉄キハ310旧塗装編成・無料送迎列車

2016-11-06 00:00:00 | 地方民鉄 (関鉄系)


 先日の関鉄水海道車両基地公開イベントにおいては、何とも太っ腹なことに水海道駅~関鉄車両基地~TX車両基地を結ぶ無料送迎バスが運行され、どの便も (下手をすると寿司詰めに近い) 大入り満員となっていましたが、来訪と帰宅のピークの時間に合わせ、水海道駅と車両基地のあいだに無料送迎列車が運行されました。秩父鉄道イベントでこの手の車両基地発着列車が運行される際には、広瀬川原を独立した駅に見立てて運賃を収受していますが、関東鉄道で無料化が可能であるのは、折返し可能な水海道駅がすぐそばにあるためなのかも知れません (数駅走るなら運賃を取らなければ話にならないでしょうから)。また、車両基地との渡り線はあくまで信号所であって駅ではなく、もっぱら出入庫の回送列車に便宜的に客を乗せるという扱いなのかも知れません。



 そんな関鉄の送迎列車、「キハ310で運行する」と予告されていましたので、もしかして313+314の関鉄旧塗装ツートン編成で走るのかも知れないと睨んでいたところ、案の定、水海道に向かう列車の車内から、この編成が展示車両と離れた位置に停車しており、そのうち回送列車として発車しそうな雰囲気でありました。というわけで、水海道到着後すぐに車両基地に向かうのは止めにしまして、この編成が車両基地と水海道駅のあいだを1往復し終えるまでしばし線路脇に待機することにしました。
 そこで、定期列車を三々五々撮りながら待つことしばし……ついに水海道駅への送り込み列車が現れ、後追い撮影をしながら (1枚目) 久しぶりに眺める関鉄ツートン塗装に惚れ惚れ……。そしていよいよ本番 (2枚目)……ゆっくりと水海道駅1番線から出発し、ポイントを渡って上り本線で加速するところを激写! そういえば、最近は国内での鉄ヲタ活動を余りやって来なかったため、キハ310が復活旧塗装になってから撮影するのは初めてだったりするのですが (滝汗)、今回の撮影がバッチリ決まって良かったなぁ……と思います♪ 
 もっとも、気になる点として……正面のオデコ部分が塗装崩落一歩手前のベコベコぶりという気がします (-_-)。また改めて美しい旧塗装を身に纏うことを期待しますし、別の編成に常総筑波鉄道青白ツートンが塗られれば超嬉しいのですが (キハ102が車両基地の東南端で朽ちるに任せる状態だけに……)。