父ハーフィズ・アル=アサド大統領の次男として生まれたバッシャール・アル=アサドは、眼科医としてロンドンで働いていたが、後継者であった兄が事故死したことで、帰国し急遽大統領に据えられた。彼は政治にはほとんど無関心に育った男であった。
就任10年目で吹き荒れたアラブの春を武力世圧で乗り切った。その後は、隣国イラクにアメリカの侵攻で、イスラム国の拠点になったりして国内は数団体の戦闘と場となり、近代になって最大の難民を国外に出したりしていたが、ロシアの後ろ盾が大きくロシアが空軍基地や軍港を建設できたことで、
プーチンの思惑とは裏腹に、反体制派がアレッポなど北部の都市を幾つか制圧すると、抵抗すらすることなくアサドはロシア空軍に頼み込みそそくさとシリアを放り出し逃亡ロシアに亡命した。
反体制派の勝利だけではなく、このどさくさ紛れで、イスラエルは政府軍が抱える基地や軍用地をミサイル攻撃した。400ともいわれるミサイル攻撃は新政権の軍事力をも削ぐことになった。
最も大きな被害を受けたるがロシアである。フメイミム空軍基地は、リビアのアルカディル基地を経て、アフリカ諸国への拠点としていた中継地をロシアは失ったのである。ロシアは軍事的にだけでなく政治的基盤を失っといえる。
タルトゥス海軍基地は、ロシアが持つ不凍港の最も重要な拠点を失くした。バルト海と黒海はウクライナ戦争後使用が出来ないので、古くからロシア・ソ連が欲しがっていた不凍港を失い、地中海諸国への影響力を失くした。
何よりも、カタールの巨大な天然ガスのEU国へのパイプラインを恐れていたロシアの意向を受けて、アサドは認可してこなかった。このパイプラインが出来れば、プーチンが天然ガスで抑えていたヨーロッパ諸国への影響力を失くすことになる。
イスラエルによって最も破壊されたのはロシアの外交である。中東とアフリカへの拠点を失くし、世界への出口さえ失くすなど政治的影響力を大きく削がれたことになる。今回のシリアの政変は新たな中東の火種となるであろうが、最もホゾを噛んでいるのはプーチンであることには間違いない。