そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

議員定数をヒトの数だけで評価するべきではなく、環境を数に入れるべき

2021-12-22 | 環境保護と循環

かつてこのようなことがあった。環境問題に多くの人が眉をひそめていたころである。札幌の排水路と化している河川の河畔林伐採の運動があった。反対運動はあっという間に20万人ほどの署名を集めた。
ほぼ同時期に知床の自然林、主に300年以上の広葉樹の伐採に反対する運動があった。我々へき地では人口が少ないばかりでなく、社会的相関関係が見える地域での署名活動は極めて困難である。やっと集めた署名も確か1万人もいたかどうかと思われる。
人工的に作られたいわば模造の自然は20万の評価、極めて貴重な自然林はその20分の一の評価をヒトは与えたことになる。民主主義が多数決が絶対ではないが大きな基軸にはなる。
人類は環境を社会と対峙するもの、もしくは資本主義経済の収奪するものとして捉えてきた。先進国は植民地を作ることで経済発展してきた。環境に包容力のある間はそれも可能であった。21世紀となった現在、二律背反の捉え方、人が作り上げた社会の法則ですべてを判断してはならない。

国会議員の数が多すぎる。さらに経済は時に人口を集中させてきた。当地の農家は100haを所有するのも珍しくはない。100haは約33万坪である。あるいは山林を主有する人たちは更に大きな環境を所有している。環境への負うものが都会人と同等なわけがない。
都会は金を人を引き付けたことに飽き足らず、国会議員をも田舎から引き寄せようというのである。中選挙区時代の当地は十勝、釧路、根室、北見で面積は東京近郊を含む関東平野とほぼ同じで国会議員は5名いた。現在は3名となった。関東平野一円では丁度100名もいる。こんな不平等はない。
地方を足蹴にするようにこれ以上議員の格差を設けるのは、21世紀は環境の世紀といわれるが、それに真っ向から反することである。憲法には人数割りなどと何処にも記載されておらず、人数割りが憲法違反になるはずもない。
地方に核施設や廃棄物最終処分場など迷惑施設ばかり押し付けて議員を削減する。議員定数を人間の頭数で決めるべきではない。
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