志賀原発が能登震災で受けていた被害を小出しにし、実態はどんどん膨らむナンチャッテ発表をしている。志賀原発周辺は、元旦の震災時に地域最大の震度7の揺れを受けていた。当初は何も被害はなかったと発表し、津波で水位があがったがそれだけだった、油も3500リットル程度漏れただけで終わったと発表していた。
ところが、2カ月を経過したので冷めたと思ったのだろう、実際は油漏れは1万9800リットルあり、一部は海洋に流れ出てもいたと発表したのである。津波は1~3メートルほどで複数回襲われていたのである。電源喪失は噂だけだったのか、それとも巧みに隠蔽したのか不明であるが、地盤隆起もかなりあったとのことである。
志賀原発は1999年6月18日1号機で、国内初の原発臨界事故が発生したている。北陸電力は「公表すると2号機の工程が遅れる」と日誌を改ざんし、国に報告しなかった。隠しおおせず公表を8年も遅らせている。
流石、こうした前歴を持つ原発である。今後新たな被害の実態を、誰もが忘れた頃に、ポツポツ発表するに違いない。
今回新たに判明したのが、電力会社側が作成した避難路は、全く役に立たなかったことである。国道も県道もがけ崩れに地盤陥没や流出などで、ズタズタで到底避難経路として使えない。原発避難予定施設も、被害受けて使用できないし、水も出なくなっている。
船舶避難も地盤隆起で港が使えないし、空路救出の能登飛行場も数日使用不能であった。要するに、稼働中の志賀原発に事故が発生したら、住民は甘んじて被爆するしかない、避難計画である。
志賀と当時に進められていた、世界最大となる珠洲の原発二基の建設予定地は、震源地真上で2メートル以上隆起したり、がけ崩れで地盤が喪失したりしている。建設され稼働していればどんなことになったか、想像するだけで怖ろしくなる。
福島県双葉町では13年になろうというのに、町の85%が帰還困難地域に指定されたままである。現職閣僚が「原発で死んだ人はいない」と述べているが、「我家の牛は、避難できずに全頭餓死した」と、避難住民の1人が淋しそうに口にした。
それでもこの国は、原発を推進するのである。岸田は、自民党は狂っているとしか思えない。