宮尾登美子が亡くなった。土佐出身の宮尾登美子氏は、数多くの戦前の女性を描いている。時代に翻弄されながらも逞しく生きる女性の姿は多くの人の共感を呼んでいる。彼女の本はほとんど読んではいないが、数多くの映画化でより一層輝きを保っている。
戦前の男尊女卑の中、権力の横暴が席巻する時代、戦争の暗い影が伸びてくる中、女性の人権など存在しないの等しいような社会が、より一層女性や底辺の人たちを強く逞しくさせる。宮尾登美子の描く女性は、権利の要求や不条理の摘発などとは無縁のものである。時代や制度を受け入れたまま懸命に生きる。
日本は不登校の生徒が、20万人いるとの報告もある。その一方では、アフガニスタンやアフリカなどでは、勉強をしたい、学校へ行きたいと望む子供たちが溢れている。日本の学校は子供に嫌われるほど悪くて、途上国の小学校は、天国のように素晴らしいものなのかというと、施設だけを見る全く逆である。
日本では教育に政策的な支援が必要となれば、信じられないほどの巨大で設備の整った学校を建てる。教育問題でも土建屋志向なのである。当地には10億円もかけたへき地の小中学校が、10年も経たずに廃校になり、雪の原野に寒風に晒されて佇んだままである。
アフリカなどには、小学校の建築支援には僅か数百万円で事足りる。教育の本質は施設などではないのである。
乳牛は子供の頃風邪や下痢に罹りやすい。子牛たちには暖かい環境よりも、寒風に中でも耐えられる施設で外で飼う農家が多い。多少発育が遅れても、結果的に強い乳牛に育つ。
若い農協の職員と言い合ったことがある。彼は昔の農家は大変だったと主張する。僅か数頭の搾乳で、道路も悪く、搾乳施設も劣悪だったというのである。然しその頃の酪農家の親父は、朝から飲んだくれてくだをまいていて、幸せな酪農家の笑顔で満ち溢れていた。
現代の酪農家は、設備の整ったきれいな牛舎で大量の牛乳を生産する。朝から晩まで、モニターに映った乳牛の個体データーと、収支の数字に頭を悩ませている。
私の目にはどちらが幸せであるか判断できない。
言えることは、小学校がたくさんあって人間も大勢いた。学校まで雪の中を何キロも歩いて通っていた。学校は統合されて、子どもたちは激減し、住宅の前までスクールバスが来る。北海道の田舎の子は、肥満になる傾向が圧倒的に強い。かつで数多くの名力士を生んだ生んだ土壌は今はない。環境が好転した結果と言える。
結論は持ってはいないが、環境の整備や権利の要求だけでは人々は幸せにはなれない。しかし、不条理や不平等はあってはならないし、権利は保障されるべきである。宮尾文学に多くの人が共感を持ち、支持されたのは人々の生きる本性を根底で感じているからなのではないか。
戦前の男尊女卑の中、権力の横暴が席巻する時代、戦争の暗い影が伸びてくる中、女性の人権など存在しないの等しいような社会が、より一層女性や底辺の人たちを強く逞しくさせる。宮尾登美子の描く女性は、権利の要求や不条理の摘発などとは無縁のものである。時代や制度を受け入れたまま懸命に生きる。
日本は不登校の生徒が、20万人いるとの報告もある。その一方では、アフガニスタンやアフリカなどでは、勉強をしたい、学校へ行きたいと望む子供たちが溢れている。日本の学校は子供に嫌われるほど悪くて、途上国の小学校は、天国のように素晴らしいものなのかというと、施設だけを見る全く逆である。
日本では教育に政策的な支援が必要となれば、信じられないほどの巨大で設備の整った学校を建てる。教育問題でも土建屋志向なのである。当地には10億円もかけたへき地の小中学校が、10年も経たずに廃校になり、雪の原野に寒風に晒されて佇んだままである。
アフリカなどには、小学校の建築支援には僅か数百万円で事足りる。教育の本質は施設などではないのである。
乳牛は子供の頃風邪や下痢に罹りやすい。子牛たちには暖かい環境よりも、寒風に中でも耐えられる施設で外で飼う農家が多い。多少発育が遅れても、結果的に強い乳牛に育つ。
若い農協の職員と言い合ったことがある。彼は昔の農家は大変だったと主張する。僅か数頭の搾乳で、道路も悪く、搾乳施設も劣悪だったというのである。然しその頃の酪農家の親父は、朝から飲んだくれてくだをまいていて、幸せな酪農家の笑顔で満ち溢れていた。
現代の酪農家は、設備の整ったきれいな牛舎で大量の牛乳を生産する。朝から晩まで、モニターに映った乳牛の個体データーと、収支の数字に頭を悩ませている。
私の目にはどちらが幸せであるか判断できない。
言えることは、小学校がたくさんあって人間も大勢いた。学校まで雪の中を何キロも歩いて通っていた。学校は統合されて、子どもたちは激減し、住宅の前までスクールバスが来る。北海道の田舎の子は、肥満になる傾向が圧倒的に強い。かつで数多くの名力士を生んだ生んだ土壌は今はない。環境が好転した結果と言える。
結論は持ってはいないが、環境の整備や権利の要求だけでは人々は幸せにはなれない。しかし、不条理や不平等はあってはならないし、権利は保障されるべきである。宮尾文学に多くの人が共感を持ち、支持されたのは人々の生きる本性を根底で感じているからなのではないか。