そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

津波と原発を読む

2012-03-26 | 原発と再生可能エネルギー

佐野眞一著、講談社刊の「津波と原発」を読んだ。佐野の手慣れた文書と、豊富な人脈と洞察力が生かされた本であった。
津波の現場に病み上がりの佐野は、行かざるを得Photo_3ないと行政の指導を振り切って入った。彼を動かしたのは、石原慎太郎と東京都知事の「天罰」発言である。阪神淡路などの震災地を見た目で確かめる必要があったとしている。

過去の知り合いを捜し、彼らから生の声を聴いている。彼らからの人脈から、手を広げ被害の様子などを聞き出している。そうしたこともこの本を語るに良いものである。

なんと言っても、後半の「原発街道を往く」の原発がなぜ福島に来たかや、原発前夜は佐野の豊富な資料と経験が、厚みを増している。

津波を扱った前半に比べて、後半は原発の本質を佐野は洗い出している。正力に翻弄された、核の平和利用である。東海村の竣工に、天皇まで駆り出されていたことは知らなかった。

原発推進するためには、ありとあらゆることをやっていた。従業員の不祥事まで、報道規制をしていた東電と警察。不安がる知事を懐柔し、原発へを動かす政治の力。住民の思想調査までやっていた東電。

堤康次郎は、3万で購入した土地を3億円で販売していた。山と海に挟まれた、浜通りは産業もなく貧困の地帯であった。原発に働く人たちが、貧困の僻地に1万5千人もいて、彼らが地域を支えている。何も言えない構図がここにある。

仮に今回の事故が起きていなくても、原発はいずれは何らかの生き詰まりが生じていたであろう。

今日(26日)の報道では、2号機の水はわずか60センチしかなかったとのことである。3メートルは予測していたようであるが、毎日8.8トンも注水していてこの状況である。メルトダウンは、想定以上に深刻であるかもしれない。野田の終了宣言は茶番でしかない。

本書による、原発建設前の経過を知ると、いま起きていることは当然のことと思えてならない。これからもっと深刻なことが起きるかもしれない。

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