そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

文化の日は憲法の日である

2015-11-03 | 平和憲法
今日は文化の日である。長年、明治天皇の生誕日を祝う天長節を戦後名を変えたのと思っていたが、憲法公布された日であることを知った。天長節に合わせたとの説もあるが、憲法が半年後の施行されるために公布された日であるということである。つまり憲法記念日は公布された日と施行された日と二度もあることになる。
今日の文化の日とは、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」日ということで、憲法を強く意識した祝日でもある。公布された1947年11月から半年後の5月、それとその後のしばらくは新憲法でこの国は湧いていた。憲法音頭や様々な祝賀行事や提灯行列などが日本全国で行われていた。
新憲法を具体的に国民が実感したのはなんといっても選挙である。すべての20歳以上の男女に投票権が与えられたからである。更には思想信条や信仰の自由や結社の自由も国民は実感した。文部省からは、新しい憲法の話という小冊子が発行され、小中学生で授業で憲法を学ぶこととなった。しかし、それは僅か数年(3年ほどか?)で終わっている。少なくともレドパージが行われた1952年ころには、全く小中学校の授業で取り上げられることはなかった。自国の憲法を義務教育の場で教えることがなくなったことが、その後の憲法軽視の首相などが出現する基盤になっている。
安倍晋三は多くの大罪を犯してきた。戦後最悪の首相といえるが、唯一良かったことは憲法をこうした形が望ましいとは思わないが、国民の多くが注目し始めたことにある。若者たちが、漫画や現代語や口語に置き換えられた解説書が、本屋の店頭に並んでいる。率直にこのことは良かったことと思いたい。
日本国憲法は、戦争放棄の9条ばかりが際立つが、実は10条から40条までの第3章、国民の権利と義務の人権条項こそがこの憲法の本質であると言える。
13条の全ての国民は個人として尊重される、14条の全ての国民は法の下で平等であって差別されない、20,21条の思想信条結社の自由、25条の全ての国民は健康で文化的な最低限の生活を営む権利がある、その他各種法の下の平等を謳っている。
戦前の特権階級の横暴や思想信条の弾圧を実感していた国民にとって、新憲法は極めて大きな転換となった。何より主権在民を掲げたことが大きい。
この人権条項さえ担保されていれば、結果として戦争などすることはないのである。そして前文に掲げるように全世界にそれを呼び掛けている。これこそが平和憲法の核であると言える。
安倍晋三の蛮行ともいえる、解釈改憲で軽んじられた憲法であるが、9条ばかりではなくこれらの人権条項すらも解釈改憲以上の行為で破壊していることを、特に若い世代は憲法を呼んで知るべきである。

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