昨日、今日つまり7月14日と15日は北海道が空襲を受けた日です。この空襲はあの戦争がいかに馬鹿げたことであったか、極めて象徴的な出来事なのです。北海道に空襲があったことさえ知らない人たちがたくさんいます。
北海道が空襲にあったのは、昭和20年(1945年)7月14、15日です。すなわち終戦を迎える僅か、一月前なのです。あるいは、ドイツのポツダムですでに日本の全面降伏への会議が始まった時期です。日本はいたずらに、敗戦の現実を先延ばしにしていた時期なのです。
国民から見ると、全く無用の犠牲者を出した空襲ともいえます。敗戦が決定的になっていながらも、沖縄戦では20万人もの犠牲者を出し、さらには広島、長崎の原爆投下に至るのです。その間にも大阪なども大きな空襲があったりしました。敗戦の現実を全く認めようとしなかった、陸軍の犯罪的行為であり、アメリカに原爆投下の口実を与えることにもなっています。
北海道空襲で、民間の調査では1985名死亡となっています。負傷者970名、被害戸数6680戸、罹災人口3万3千名となっています。北海道新聞社から、菊池慶一さんたちの努力の本「語りつぐ 北海道空襲」が出版されています。北海道各地でそれぞれの地元でも多くの調査がされていますが、これは全体をまとめた本です。
僅か2日だけの空襲でありながらも、多大の犠牲者を出しています。人口からすると、根室が最も大きな被害を受けています。道北を除くほとんどに地域が空襲の対象になっています。北海道空襲が他の地域と異なるのは、艦載機だけによる攻撃だったことです。一部室蘭の艦砲射撃がありましたが、ほとんどがグラマンによる低空からの空襲で、人々に恐怖心を与えました。当然のことながら、全くの無抵抗国民への空襲被害だったのです。
戦後の混乱期と、広範囲に及ぶためあるいは地方であるために、北海道空襲はあまり取り上げられることがありませんでした。語り継ぐ人たちも少なくなりましたが、北海道空襲は決して忘れてはならない、戦争の傷跡なのです。