先進国首脳会議が始まって20年を超えるが、当初は確かにG7と言われる国々は世界経済を牛耳っていた。日本も唯一の東洋からの参加と、まるで他国を見下すようで貴族のようにふるまう国々の集まりであった。2年以内には確実に日本を追い越す中国に象徴されるように、世界は確実に多極化している。G8だけでは何もできない状況である。
仕方なく、拡大す形で多くの国を招き入れている。それでもG8を崩さないのは、単なるおごりで ないのか。食料問題や地球温暖化について語るようであるが、いずれもG8以外の国の存在の方が断然意味が大きい。
今年はイタリアで開催される。地震の被災地での開催は、女好きのイタリア首相が決めたことである。刑務所の中で行うらしいが、新疆の暴動発生で、チベット民族の弾圧で出世した胡錦濤は取るものも散りあえず帰国した。そちらの方が大切なのだろう。
唯一、先進国の話し合いで現実味を持つと思われるのが、核軍縮問題である。とりわけ、世界 のほぼ9割を有する、アメリカとロシアの話し合いがG8直前に、MD問題を残したと言え話し合われたことは大きい。今年中に結論を出すとしている。
核兵器の廃絶はぜひとも達成願いたいところではあるが、当面は相当の軍縮でも構わない。これまでのようにすでに核を有する5カ国については触れず、新たな拡散を止めさす論理は通用しない。米ロが核軍縮で具体的に動いたことは大きい。
イランの核開発の評価は、アメリカのMD(ミサイル防衛)に影を落としているが、グルジアや中国の民族問題にだんまりを決め込んでいる、オバマは何と形だけは作ることだろう。
いずれにしても、自らを「先進国」と位置づける会議には、サロン的な意味しかなくなっているように思える。ブッシュが壊してしまった国連に権威を戻させ、多くの国々が均等な資格を持ち、話し合えるようにできないものだろうか。
それに対応できる柔軟さ、注目度を考慮すると サミットにはサミットなりの意義があると思いますよ。(例:ウィリアムズバーグ・サミットでの中曽根首相の立ち回りは値千金。あの時期に中曽根という人を首相にした日本人の見識は立派です。)
しかし・・・団塊世代前後の方の国連への思い入れの強さにはいつも驚きます。何があるんでしょうね?