そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

報道には公平より自由度が求められる

2023-03-26 | 報道
上図はTBSの報道特集からのものである。国境なき記者団の評価をもとにしたものである。高市早苗が安倍晋三の命を受けて礒崎陽輔総理補佐官から耳打ちされて、意にないことを喋らされたことを騒いでるに過ぎない。そんなことは政権内で、例によって安倍晋三の強権が浸透していった経過を、あーでもない、こーでもないと論議しているに過ぎない。高市などどうなっても構わないし、どうなっても大きな問題ではない。派手好きな無定型な政治家が消えてくれるだけである。
報道の自由こそが問題の本質である。報道は権力の番犬でならなければならない。それを根底から崩して、権力のペットにしたのが安倍晋三である。上図を見れば一目瞭然である。
メディアのトップが、高級料亭や寿司店などの呼ばれ飼い慣らされ、権力の愛玩犬になる。ペットである。
報道特集を見ていてやっとここまで、安倍晋三の報道への圧力を口にして説明できるようになったのかと思う。山上効果の一つである。
テレビ朝日の取締役報道局長の椿貞良が、選挙前に自民党議席減ればいいのにという発言で、細川内閣が成立し自民党は下野した。産経新聞が椿発言を問題視し、自民党を応援し問題が大きくなり、衆議院に証人喚問し謝罪させた、椿発言事件である。椿の発言は局内のものではなく、民法連合会の発言であったが、放送権の停止論まで及んだ事件であった。
これ以降、自民党に不都合な報道がある度に放送法がかざされ、報道が委縮してゆくのである。
放送に関する許認可権は国にあるのは通例であるが、審査委員会などは独立して存在しているものである。それこそが公平というものである。G7国で政権内に審査委員会を持っているのは日本だけである。安倍晋三はこれを最大限活用して、政権に刃向かわせないようにしていたのである。寿司まで食わせて。
放送の公平が中間点であるなら、公平などという概念などという基準は存在しない。もしくは可動なものである。安倍晋三のように極端に右に行ってしまえば、中間点は右によることになる。すると左は極論に見えてしまう。それが権力者側の思惑なのである。
報道の必要なのは自由度である。報道の側にも責任のある報道が出来るというものである。その自由度が日本にはなくなっていている。

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