尖閣列島の中国漁船拿捕で、当時の前原国交大臣が「東シナ海には領土問題は存在しない」と、極めてわかり易いフレーズで対応した。近頃にはない、あるいは民主党の持つ軟弱さも、2世議員のひ弱さを見慣れた国民には、前原の発言は好意的に受け止められた。
与党はもちろんのこと、多くの問題で何らかの注文を付ける日本の野党も、ことごとくこの「領土問題は存在しない」というフレーズに酔ったかの如く、受け入れた。元々高坂正堯の教え子の国粋主義者の前原のこうした発言と同質の自民党は、ほとんど歓迎した。半与党の社民党はもちろんのこと、共産党もこれに同調する始末である。
尖閣列島を語るには、沖縄の歴史を知らなければならない。日本とは明らかに異なる独立国の琉球王国は、軍隊と呼べるものをほとんど所持することなく、日本と中国に朝貢することで国家の独立を維持していた。中国(清)が、欧州各国の侵略を受けアヘン戦争など、国力が極端に低下している時期に、日本は薩摩藩を通じて明治維新の後、日本に武力で制圧して併合した。薩摩の呼び名の「沖縄」を琉球に置き換えて呼ぶことになった。
尖閣列島は、そうした国家の存在が極めて不安定な時期には、中国人の利用する地域であったり、琉球が支配する時代も当然のこととして存在した。19世紀に、英国がPrinnacle Islandと呼んでいたのが、和名の尖閣という言葉となった。中国側は、漁師がこの島を利用していたことから釣魚島と呼ばれているものと思われる。中国人漁師の遭難を日本人が救助したことで、中国側から日本に謝意を示す文章が残っている。
沖縄の不幸は戦後、20数年間アメリカが支配していたことである。そのために、この辺りの国境に、建国途中の中華人民共和国は何も口出せなかったことは理解できるが、口出ししてきたのが地下資源の確認後であることがキナ臭い。台湾も中国も、尖閣列島は日清戦争で日本に併合された領土であり、戦争が終わった後には当然返却されるものである、と主張している。この主張は日露戦争で併合した樺太の半分を戦後ソ連に返却したり、ソ連が占領した北方領土の彼らの言い分と酷似する。
しかし、下関条約には尖閣列島の記載はない。だからと言って、尖閣列島は日本の領土、ましてや固有(以前からずっとそうだったという意味か?)といえるようなものとは思えない。いずれにしても、中国が自国の領土と主張する以上、領土問題は存在する。でなければ、韓国が実効支配する竹島(独島)も、領土問題が存在しないと門前払いを受けることになる。北方領土も同じである。
外交は互いの主張が異なるからこそ必要なのである。前原が外務大臣になったことで、中国が態度を硬化させている。前原の外交手腕が疑問視され始めている。