昨年末のクリスマスカード、そして年賀状の多くが、暗転した世界の状況を憂い、新年に大きな期待をかけていた。とりわけ、まもなくホワイトハウス入りするバラック・オバマへの期待は明らかに過剰になっている。大不況から世界を救い出す救世主が現れたような、手放しの期待である。
昨年の今頃は「オバマって誰?」という状況だった。しかし、大統領選のさなか、9月にはグローバル金融危機が表面化し、株式市場の急落、雇用悪化などが、中国、インド、ロシアなどを含め、世界のいたるところへ拡大した。それとともに、オバマ候補への支持は絶大なものとなり、いまや世界で知らない人はほとんどいないという大変化だ。
あっという間にグローバル不況は、回復の姿が見えない状況へ入ってしまった。ノーベル賞を受賞した経済学者ポール・クルーグマンは、大不況下の経済とは、通常の景気対策が機能しない状態だと述べ、「30年代のアメリカ、90年代の日本、そして現在のアメリカ経済だ」という。そして30年代のアメリカとの比較でいえば、(当時のような銀行取り付け騒ぎはないようだがとの問いに)「銀行への取り付けは起きている」として、「それは目には見えないが、銀行の建物の周りに並ぶ代わりに、人々はマウスをクリックしている」と形容した*。
他国よりも底堅いと豪語?していた日本の経済界も、いまやほとんど白旗を掲げている。自動車産業など、国際競争力があると思われた産業、輸出型産業が大きな打撃を受けている。
とりわけ雇用問題は急迫している。派遣労働などの制度に問題があることはいうまでもないが、セフティ・ネットが十分張られていなかったことが、短期間に事態を深刻化させた要因のひとつだ。仕事を失ったとたん、ネットに救われることなく、一挙に路頭に迷うことになってしまった。労働市場の流動化促進を金科玉条とした政策の付けが回ってきた。市場経済の奥にひそむ闇を見通せなかったのだ。セフティ・ネットの充実に及び腰だった経営側も、製造業の派遣取り消しの話が出ると、急に態度を変えたり、うろたえ気味だ。
この寒空に住む家もなく放り出される人々へは、できる限りの支援が提供されるべきだろう。ネットが張りなおされるまで人道的観点が優先されるべきだ。そして張りなおされるネットは、今度こそ、その名に値するものであってほしい。
目前の変化の多様さに目を奪われ、付け焼刃的対応を繰り返すことを止め、明瞭なセフティ・ネットの存在を示すことが必要だ。年金制度にせよ、最低賃金制にせよ、日本の制度は複雑すぎて、分かりにくい。年金記録の被害者の一人としてみると、誤記録発生の原因、そして修正のあり方はきわめて分かりにくい(そして、被害者の側から問題のありかを見いだし、解明するにはとてつもない時間がいる)。混迷した時代、国民に未来への希望を抱かせるような明確なメッセージを持ったビジョンの提示がどうしても必要だ。
さらに重要と思うのは、自分で考える力を蓄えることではないか。情報過多の時代、多くの誤った情報も流通している。しかし、その正誤は誰も教えてくれない。
ひとつの例を挙げよう。わずか1年半ほど前、経済やビジネスの世界では、しばしば世界経済は「黄金の10年代」へと手放しの楽観見通しが語られていた。なかには、ほとんどさしたる留保もなく、先行き3年の経済拡大すら予想されていた。それも経済分析のプロを自認する人が語っている。人間の予測能力は限られていることが忘れられている。過去に幾度となく繰り返された誤りである。
困ったことに、こうしたプロ?は、TVその他メディアにもよく登場する人が多いだけに、影響力は大きい。今回の大不況に伴う株価大暴落で、老後の資金を失ってしまった人も多いのではないか。現代の呪術の束縛から自らを解き放ち、自分で考え生きていく方向を目指す以外に道はない。世界を見る目を養う。これは自戒をこめて若い世代の人に、伝えたいことだ。
* Newsweek 2008.12.24 (日本版)