時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ロレーヌ魔女物語(3)

2009年01月21日 | ロレーヌ魔女物語

17世紀の面影をとどめるロレーヌ、ヴィック=シュル=セイユの町並み
Photo:Y.K.



魔女の判決が下るまで
 1652年6月27日、フランス、フランダースの住人スザンヌ・ゴードリー Suzanne Gaudry は、魔女の疑いをかけられ、モンMonsの宗教裁判官から火刑を宣告され、処刑された。当時の魔女審問では、犠牲者はしばしば厳しい詮索と拷問の挙句に魔女(魔男)と裁定されていた。ヨーロッパ大陸の多くで、形の上では告白なしには刑罰を科することはできないという宗教審問手続きがとられてはいた。これは、ロレーヌなどフランス以外の地域でも同じであった。

 しかし、現実には執拗な質問責め、拷問などで告白を迫られ、最後には魔女や魔術師にされてしまうことが多かった。ゴードリーの審問例を見ても最初のうちは魔術を使ったことや、自分が魔女であることを繰り返し否定していた。しかし、次第に精神的・肉体的に痛めつけられ、魔女であることを認める発言をしたり、また否定したり、精神の混迷を来たしてくる。そうした段階で、告白を迫られる。さらに、処刑されるまで魔女であるとの告白を撤回しないよう強制された。おそらく処刑の時は、精神的にも肉体的にも、到底普通の精神状態ではなかったろう。

時代の不安とのつながり
 史料研究が進んだとはいえ、こうしたおそましい記録を読むことは愉快なことではない。しかし、この時代の魔女狩りを生んだ社会的・精神的風土を追体験する努力なしに、16世紀、17世紀という時代を理解することは難しい。近代初期といいながらも、無知、虚妄、迷信、蒙昧は消え去ることなく根強く存在した。不安な時代を生きるに、宗教を含めてさまざまな緩衝材も必要だった。ロレーヌの魔女審問についての研究者 Briggsは、その最新著(2007,p7)で、ロレーヌ公国において魔術と癒し(セラピー)の関係がどの程度、普通と思われる関係ではなくなっているかという点が、最も頭を悩ます問題だとしている。きわめて興味深い指摘だ。

 魔女狩り、魔女審問の正確な実像を組み立てることはきわめて難しい。情報やその伝播のプロセス、記録管理などの仕組みが、きわめて不完全あるいはほとんど欠如していた時代である。地域差も大きく、今に残る事例のばらつきも大きい。しかも、地域によっては戦争などによって、記録自体が逸失、消滅してしまった場合も多い。記録の内容にもさまざまな偏見、バランスが混在している。後世の研究者自身が、分析の方法論を確立できず、史料を単に組みなおしたに過ぎない場合もある。しかし、近年の悪魔学、魔女研究の「ルネッサンス」で、この時代の暗部にもかなり解明の光が加えられた。

 15世紀末から17世紀末までにヨーロッパ全体で10万人近い犠牲者が出たと推定されている。フランスの北部から東部、現在のオランダ、ベルギー、スイス、ドイツなどが、魔女審問の事例が記録文書として比較的多く残る地域である。

魔女はなぜ多かったか
 さらに魔女審問の犠牲者の5分の4近くは女性だった。これには、ひとつには次のような理由が挙げられている。当時の女性が薬草などを使った民間療法などをしばしば行っていたことなどが疑われた。実害が少ないことから白魔術 white magic といわれることもある。こうした行為が正当な判断力を失った裁判官、エリートなどから、悪魔と契約を結んだ魔術師だとされてしまったこともあった。当時一般の人々の間に信じられていた魔女、魔術のイメージは、しばしば貪欲、享楽的、好色、執念深い、激情的、反理性的といったものだった。これらは聖職者やエリートたちも、さほど変わらず共有するものだった。

 16世紀ヨーロッパでは、地域や文化的環境などでかなり濃淡があったが、宗教改革の高まりを反映して、宗教的にも互いに非寛容であった。カトリック対プロテスタントの対立ばかりでなく、新旧それぞれの宗派間の勢力争いも激しかった。こうした混迷した状況は、魔女狩りが消滅しないような風土を生んでいた。その後、宗教的な情熱が冷却するにつれて、審問数も減衰していった。

 1970年代以降、魔術や魔女への関心は著しく高まり、研究の蓄積も進んだ。新たな視点から16-17世紀の魔女狩りの時代を見直してみることは、単なる歴史的興味に留まらず現代的関心からもきわめて興味深い。過去が時空を超えて語りかけるものに耳目を向けてみたい。彼らが住んだ不可解、不思議な社会は、ある意味では現代の鏡ともいえる。国民裁判員制度についての議論が高まっている今日、17世紀魔女審問をめぐる論争と、かなり重なっても見える。
(続く)  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする