定額給付金2兆円について、ある世論調査*では63%が「やめた方がよい」と答えている。「政府の方針どおり配った方がよい」の28%を大きく上回った。給付金の効果については、すでに多くの議論がなされているが、発想は単純といえば単純きわまりなく、稚拙といえばその通りでもある。
経済効果は予測できないが、これだけばら撒けば、その幾分かは消費に回るだろうというのが最初の発想ではないか。確かに多くの政策の束のひとつで、これだけをあげつらうのはフェアでないといえば、そうかもしれない。しかし、やはり安易な発想だ。「もったいない」金の使い方というべきだろう。
周囲の経済政策の専門家を自認する人たちは、これまでどうしていたのだろう。殿のお考え、ごもっともなのか。継続的な政策でない以上、一回限りの線香花火と変わらない。人気上昇を意図したかもしれない政策が、足を引っ張ることになったのは皮肉な結果だ。
この給付金の案を聞いた時、どういうわけか、すぐにバーナード・マンデヴィル『蜂の寓話』**を思い出した。マンデヴィル(あるいはマンドヴィル)(1670-1733)は、その主著たる『蜂の寓話』で今日に名前の残る人物だが、その副題に「個人の悪徳は公共の利益」Private Vices, Public Benefitsという余計な?一文を付したがために、予想していなかった論争に巻き込まれ、その理論的充実ができなかったといわれる。
蜂の巣は、個々の蜂のレベルでは私利私欲に溢れているが、全体としては天国状態だという、この長い詩は、そのまま今日の世界へ移し変えてなにもおかしくない鋭い社会観察、風刺になっている。最初読んだ時その斬新さと鋭利な切り込みに驚かされた。
マンデヴィルは1670年にフランス系オランダ人として、オランダロッテルダムに生まれ、ライデン大学に入り、1691年に医学博士の学位をとった。併せて哲学も勉強したという。祖先は16世紀オランダに移住したユグノーであったらしい。本人はその後ロンドンに渡り、結局永住することになった。人間の行動が、すべて利己心や自己愛を動機としているというマンデヴィルの考えは、今日では別にどうということはないが、当時は大きな問題となった。最初のうちは故あってか匿名のパンフレットだったこともあって、あまり注目を集めなかったようだが、1723年に『蜂の寓話』という表題と新たな体裁で出版されると、避難ごうごう、ミドルセックス州大陪審院によって告発された。さらにその後も新聞などに、度々非難の記事が掲載されたようだ。
結局、マンデヴィルは、生涯こうした対応に追われ続けた。J.M.ケインズを挟んで、J.K.ガルブレイス『豊かな社会』などに代表される「消費は悪徳か、美徳か」という論争テーマにつながっているとも考えられる(この議論は、今日まであまり実のある成果を生んだとは思えない)。
マンデヴィルの『蜂の寓話』を読んだのはいつのことか正確には覚えていないが、10台末のころ、父親の書斎で見つけた一冊であることは、H.G.ウエルズの『世界文化史大系』と同じだった(戦後、同じような読書の記憶を共有する人にもあった)。
当時読んだ邦訳は、現在入手可能な泉谷治氏の新訳ではなく、上田辰之助訳であった。邦語題は、『蜂の寓話 : 自由主義經濟の根底にあるもの』だった。薄い青灰色の表紙がついて、表紙は背表紙を除き、英語で記されていたことまで覚えている。
記憶が戻ってきたついでに、上田氏訳の古書をアマゾンで探してみたら、なんと23,000円以上の値がついていた。今も記憶に残る本だけに、処分してしまったはずはないのだが。さて、あの本はどこへいったろう?
* 朝日新聞社全国世論調査、2009年1月10-11日、電話にて実施。
References
**
Mandeville, B., The Fable of the Bees ;or, Private Vices, Publick Benefits. London:Printed for J. Roberts, near the Oxford Arms in Warwick Lane,1714.
バーナード・マンデヴィル、泉谷治訳 『蜂の寓話―私悪すなわち公益』 (叢書・ウニベルシタス)東京 : 法政大学出版局、1985年
本書には、1923年に出版された『蜂の寓話』に対するさまざまな非難、批判への反論として書かれた「続・蜂の寓話」(1929年発表)も含まれている。
上田辰之助『蜂の寓話 : 自由主義經濟の根底にあるもの』、新紀元社、1950年
J.K. ガルブレイス、 鈴木 哲太郎訳『ゆたかな社会 決定版』 (岩波現代文庫) 2006年