時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ロレーヌ魔女物語(1)

2009年01月12日 | ロレーヌ魔女物語




魔女が飛んでいた時代


 近世初期ヨーロッパ*、とりわけ17世紀前半のヨーロッパは興味が尽きない。文字通り波乱万丈、舞台装置も明暗入り混じり、華麗、壮大で見ごたえがある。中世と近世がいまだ交じり合うような混乱と複雑性が同時に存在している。奥が深く、知らずの内にのめりこむ。もう一回人生をやり直さないと、今関心のあることについても、十分知ることはできないだろう。本業としてきた仕事とはほとんど関係がない、いわば脇道に入った趣味の領域なのだが、興味が尽きない。調べてみたい課題が次々と湧き上がってくる。残された人生の時間に、どれだけ時空を超えた旅をすることができるだろうか。

 なかでも、ロレーヌあるいはアルザス・ロレーヌと呼ばれる地域。これまでも断片的に取り上げてきたが、400年近い時空を超越して、目の前に迫ってくる。

ヨーロッパの中心に近く 
 ロレーヌあるいはアルザス・ロレーヌは、ヨーロッパの地図を見ると分かるが、ほとんど中央といってよいところに位置している。現在のフランスの北東部、「聖なる6角形」といわれる右上端の部分を占めている。その戦略的位置からも、ドイツとフランスなど列強の間でしばしば争奪の的となっていた。そのこと自体は、この地域がヨーロッパでの覇権を狙うものにとって大変魅力ある存在であることの裏返しともいえる。

 他方、同じ17世紀ヨーロッパでも、レンブラントやフェルメールが活動していた当時の先進地域ネーデルラント(オランダ)と、後進地域であったロレーヌでは、政治、経済、文化などあらゆる条件がきわめて異なっていた。距離的にはさほど離れた地域ではないが、交通手段が発達していなかった時代では、格段の差異があった。

 今日、ロレーヌの地域を旅してみると、中世から第二次大戦まで幾度となく繰り返された戦いの跡を伝える要塞、塹壕、戦車、高射砲などが残されている町や村があり、その傷跡の深さを十分知ることができる。ロレーヌは豊富な天然資源を擁しながらも、ながらく平和には恵まれなかった。今日訪れると、町や村には静かな日常の生活が営まれているのだが、どことなくかつての荒廃した時代の雰囲気を今日も留めているようなところがある。
 
ひとりの画家との出会い
 ロレーヌにのめりこむきっかけになったのは、このブログの出発点のひとつとなったジョルジュ・ド・ラ・トゥールという一人の画家と作品への関心にあった。異国の地でふと目にした、名前も知らなかった画家の作品に強い衝撃を受けた。その作品に含まれた深い精神性に、この謎めいた画家の生涯とその時代へと惹かれた。

 その後、この画家の生まれ育ったヴィック=シュル=セイユという小さな町を訪れてみた。今日でも17世紀の雰囲気を漂わす町並みが残っている。昼でもほとんど人の姿を見ないほど静かな町だ。いや静かというより、時間が止まった町といったほうが適切かもしれない。グローバル化の大波からもすっかり取り残された岩陰の空間のようだ。

 静まりかえった町の周囲には、起伏のあるなだらかな土地に、森や林、畑地が広がり、その間を川が流れ、小さな町や村が散在している。景観としてもさほど強い印象を与える所ではない。

 何度か、この地を訪れてみて印象的なことは、その特有の風土だ。大都市は少なく、日没とともにあたり一面漆黒の深い闇の世界が広がる。それはラ・トゥールの時代とほとんど変わりない。人々の住む家々や衣服は、時代とともに移り変わったが、その生活の基底には、遠い昔の名残りをさまざまにとどめているようだ。

魔女がいた頃
 近世初期というと、なにか前方が開けるような印象を抱きがちだが、この地の辿った歴史は、それとは違った空気を感じさせる。ラ・トゥールが生きた17世紀前半のころは、まだ闇夜を魔女が飛び交っていた時代だった。事実、16世紀からルイXIVの時代は「魔女の時代」でもあった。

 さらに2世紀ほど遡ると、ロレーヌはあのジャンヌ・ダルクが生まれ、その華々しくも短い生涯を終えた地域でもある。ジャンヌは1412年にドンレミ・グリュというナンシーに近い小さな村に生まれている。彼女が神の声を受けたいきさつ、そしてその後の波乱万丈の展開、そしてジャンヌを裁いた異端審問、焚刑への道は、論理では説明できない。信仰、呪術、不合理、神秘、恐怖、残酷、救済、混迷、あらゆるものがそこにあった。


 17世紀前半のロレーヌは、この混然とした中世的風土のかなりの部分を受け継いでいた。魔女裁判はヨーロッパの全域でみられたわけではない。特定の地域で頻発していた。ロレーヌは魔女迫害の狂騒が多く見られた地域のひとつだった。ヨーロッパで魔女迫害に巻き込まれたのはかなり広範に及ぶが、とりわけ目立つのはロレーヌの他、フランス東部のフランシュ=コンテ、ピレネー、ラングドック、アルプスなどの地域だった。

 この時代の暗い部分は魔女裁判に象徴的に見ることができる。ロレーヌは、この時代でも魔女裁判が行われていた。近世初期は、科学が生まれ育った時代でもあった。この合理と非合理という時代の空気は、いかに抗い、せめぎ合っていたか。宗教改革、30年戦争、商業革命、植民地化と略奪など、大きな嵐が吹きまくっていた時代だ。

 この困難な時代に生まれ、生きたひとりの画家がなにを考えていたのか。そのほとんどは闇に包まれている。しかし、その奥に分け入らないかぎり、ラ・トゥールが描く闇、そこに射すかすかな光の世界を真に感じることはできない。作品だけから画家が描こうとしたものを読み取ることは、この画家についてはとりわけ困難だ。

 しかしながら、その時代環境は少しずつではあるが、解明されてきた。たとえば近年の魔術、魔女研究が、この時代のロレーヌに新たな光を当てている。少しばかり、その世界を覗いてみたい。
(続く)


*  ここでは近世ヨーロッパとは、大体1500年から1800年くらいまでの時代を念頭に置いている。近世初期は大体17世紀前半くらいまでの頃であり、ラ・トゥールやレンブラント、フェルメールなどの活躍した時代とほぼ重なる。
   

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