時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ロレーヌ魔女物語(2)

2009年01月16日 | ロレーヌ魔女物語

ロレーヌの魔女騒ぎ  

 17世紀初め、1610年代から40年代にかけて、ロレーヌ公国の貴族、裁判官、聖職者などのエリートたちは、エリザベス・ドゥ・ランファング Elisabeth de Raingang という貴族出の未亡人によって引き起こされた事件に翻弄されていた。ランファングは、子供の頃から神がかったところがあり、親も手こずるほどであったらしい。その後、超能力を授かった聖女だと主張し、当時の名だたる神学者や法律家、教皇まで巻き込む騒ぎとなった。騒ぎの範囲は次第に拡大し、カトリックの宗派間の勢力争い、さらにプロテスタントまで加わる争いとなった。「ナンシー始まって以来のスキャンダル」と噂された出来事だった。当時の裁判官の多くは、悪魔学の学究をもって任じていた。3人の男女がさまざまな理由で悪魔の手先として訴えられ、告白もなしに、刑場へ送られてしまった。たとえば、くだんの医師も逮捕され、妖術を使い、ランファングに媚薬を盛ったとされ、1620年処刑された。 

 現代の世界でも似たような事件は起こっているのかもしれない。パレスチナ、イラクなどの事態を見ると、「不安の時代」を通り越して「恐怖の時代」に入っている。明らかに常軌を逸した状況としか言いようがない。そして、中東ばかりでか日本でも、異常な出来事が時々起きている。

 16世紀から17世紀、ヨーロッパのかなり多くの地域で、悪魔や魔女、魔男が、人をたぶらかし、さまざまな悪行を重ねたとされ、挙句のはては魔女裁判にかけられて、処刑されるという現象はこの時代を特徴づけた。フランス、そしてロレーヌ公国では16世紀、単なるローカルな出来事から国の裁判所を揺るがすような事件まで、魔術、魔女にかかわる騒ぎが起きた。

 魔術が広く人々の生活に浸透し、悪魔の侍女としての魔女狩りが流行したのは、ヨーロッパでは400年頃から1700年近くのきわめて長い年月にわたるともいわれている。しかし、その実態は文字通り複雑怪奇で、当時はいうまでもなく、今日でも十分解明されているわけではない。  

闇への恐れ
 人工の光に慣れてしまった現代人にとって、不安、恐怖などが充ちているような漆黒の闇の世界を実際に経験することは少ないだろう。仮に闇の空間があっても、先へ行けば光が見えることは分かっている。しかし、近世初期のヨーロッパ、とりわけロレーヌのような地域では、日没とともに始まる夜の闇は名状しがたい不安や恐ろしさで充ちていたにちがいない。度重なる戦争、悪疫などの惨禍は、それに拍車をかけただろう。そればかりか、世の中には当時の人智では分からないことも数多くあった。突如として襲ってくる天災、悪疫や外国の軍隊など、心配、不安の種は日常どこにもあった。特に、こうした災厄の犠牲になりがちな農民は、悪魔や超能力な魔物の存在を信じていたと思われる。

 こうした風土に乗じて、占星術を初めとする占い、呪術、魔術のたぐいが広く横行していた。さらに、それらを操る人間への畏怖、恐怖、疑心も渦巻いていた。とりわけ、夜の闇はそうした不安や恐怖を象徴するものだった。とりわけ、深い森は、闇夜には箒にまたがった魔女が集まり、怪しげな飲みものを飲み交わしたり、いかがわしい行為をし、悪行の相談をする場と考えられた。

 日没とともに、魔物や超霊性のなにかが支配する世界が訪れる。神秘的、超霊性的なものが感じられる深い森や闇に、当時の人々は名状しがたい茫漠とした不安や恐れを感じたのだろう。ラ・トゥールの作品を特徴づける深い闇と蝋燭や松明、そしてどこからともなく射している光は、当時の人々、そして画家の心象風景を語っている。

 魔術の横行は、教育の浸透・効果とも関連しているようだ。17世紀末フランスで、結婚の際に自分の名前が署名できたのは、男女合わせて5人に一人程度であったという。しかし、18世紀末になると3人に一人、ロレーヌなどでは男性のほとんどは署名できたようだ。しかし、魔術や魔女審問は少なくはなってもなかなか消滅しなかった。フランスでは人口の大部分を占めた農民の間では、魔術や魔女は執拗に存在していた。公的な場から魔術や魔女裁判がなくなったのは、ルイXIV世の下、1682年の新しい王令の発布によるものだった。魔術や魔術師の行為は、はじめて詐欺や欺瞞のたぐいとされることになった。

進んだ魔術・魔女研究
 他方、時代が経過し、近世初期ヨーロッパに見られた悪魔、魔女、魔術などの実態や背景については、その後かなり解明が進んだ。実際、1970年代以降、魔術、魔女研究は大変盛んになった。単に歴史研究ばかりではない。その範囲は、小説、劇作、映画、ファンタジーの領域にまで及んでいる。ハリー・ポッターの世界的人気もひとつの表れといってよいかもしれない。

 魔術を操る魔術師、魔女、魔男は、恐ろしい悪行の象徴から、未開社会に残る自然界を操り、プリミティブな価値を奉じる呪術師まで、今日においてもさまざまにその力を振るっている。魔術や呪術が世界から消えたわけではない。ヨーロッパ近世の魔術や魔術師と、今もアフリカなどに残る魔術や呪術の信奉者の間には、文化人類学などの観点からは、近接性が指摘されてもいる。

 未解明な部分は多いとはいえ、これまでの魔術、魔女研究の蓄積は膨大なものがある。多少、文献探索などをしてみると、その多さに圧倒される。魔女狩りは研究の世界でも人気テーマとなっている。それについては、1970年代以降、大量の歴史文献の発見、整備、解読が進んだことも挙げられる。たとえば、 ロレーヌ公国の公文書保管所には膨大な審問調書が保蔵されていた。今日のフランス、ナンシーの公文書館(departmental archives)である。 かつてのロレーヌ公国の首都ナンシーは、世界で最も充実した魔術、魔女審問の史料所蔵庫といわれるくらいになった。

 今から50年以上前、ローカルの史料研究家エティエンヌ・デルカンブルがこの史料を使って、600ページを越える著作を残している。そこでは、400近い魔女審問の事例が挙がられている。その後、ロレーヌに近接するドイツ語圏でも、いくつかの優れた研究が生まれた。魔術、魔女裁判はロレーヌ、フランスばかりでなく、イングランド、スコットランド、オランダ、ドイツなどでも見られた現象だが、それぞれ独特の特徴を帯びている。

身近かになった研究成果
 どうして、今頃魔術や魔女狩りなどに関心を持つのかと、思われよう。そうかもしれないのだが、正気な理由もある。近世ヨーロッパの探訪をしている中で、いくつかの興味深い文献、史料に出会った。そのひとつは、17世紀ロレーヌの魔女審問に関する史料が、研究者の努力で整理、分析され、興味を抱けば一般の人でもかなり知識を共有することができるようになったことを知った。

 もともと、この時代の史料は、ほとんどすべて手書きのフランス語などの古文書であり、文書館の埃の中に長い間眠っていた。その解読など、専門家にとっても難事である。気の遠くなるような仕事だ。それを行ったのは、公文書保管所などを拠点とする研究者であった。

 ロレーヌについても、デルカンブル、ブリッグスなどの歴史家たちの努力で、膨大でしかも雑多な審問事例が整理され、さらに最近では英語訳までされて、IT上で見ることができるまでなった。こうした研究の成果を少しだけ覗いてみようというのが、今回の記事の裏側だ。さて、どれだけ、17世紀のロレーヌの空気を感じることができるだろうか。(続く)




References
Etienne Delcambre. Le concept de la sorcellerie dans la duche de Lorraine au XVIe et au XVIIe siecle. Nancy, 1948-1951

Robin Briggs. Witches and Neighbours. 1996, 2nd ed., 2001.
______. The Witches of Lorraine. Oxford: Oxford University Press, 2007.

Briggs の上記の新著の理解を補うIT上のサイトが開設されている。主要な審問記録、手書きの文書の例などを見ることができる。
http://www.history.ox.ac.uk/staff/robinbriggs/index.html

# 後続の記事では、上記 Briggsの最新研究成果に多くを依存している。

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