「座しているも黙して立つも一分は長き時なり君が代を聞く」
4月25日朝日歌壇菊川香保里さんの一首を引用した本日の朝日新聞声欄「誰もが歌える国歌が欲しい」(中里喜代子さん投書)を読んで
長い間、議論の対象になってきた話題です。
自分の国に国旗があり国歌があることへの異論はないのに、その先に進むと話がややこしくなります。
日本の国歌は「君が代」だということになったのは、いつ頃からでしょうか。
鎖国の時代には国歌が必要だという概念があったのでしょうか。
その前の時代はこれが国歌だと示す機会があったのでしょうか。
NHKの大河ドラマを見ていても、将軍さんたちも朝廷の人たちもどこからも「君が代」を国歌と思っているふしが見えません。為政者に見受けられないなら、生活で目いっぱいの大多数の農民らにおいて君が代が歌われていたとも思われません。
とすると、「君が代」が国歌として登場したのは海外に門戸を開いた明治政府以後のことではありませんか。
立憲君主国日本であることを世界に知らしめるための国歌であれば、教育制度を整え「君が代」という国歌の普及を徹底したのも想像できます。
ここで、行き違いが起きてくるのではないでしょうか。
今は「君主国」ではないのです。民主主義国家になって60年になろうとしています。
60年前に明治開国の時と国のあり方に大きな変革があったのですから、「誰もが歌える国歌がほしい」という声に応えることが出来るのではないでしょうか。
「君が代」の歌が御殿の蔵書の中に古くからあったのかも知れませんが、民主主義国家の国民総意の歌があればもっといいのに…。
きっとそれはなにより有能な外交官の役割もしてくれるかもしれないのに…。
国際間で国歌を変えてはいけないという決まりがあるとも思えません。子供の時から慣れ親しんだという方もあるでしょう。
みんなに聞いてみたらどうでしょう。
けっして国歌を歌いたくないのではないのです。
4月25日朝日歌壇菊川香保里さんの一首を引用した本日の朝日新聞声欄「誰もが歌える国歌が欲しい」(中里喜代子さん投書)を読んで
長い間、議論の対象になってきた話題です。
自分の国に国旗があり国歌があることへの異論はないのに、その先に進むと話がややこしくなります。
日本の国歌は「君が代」だということになったのは、いつ頃からでしょうか。
鎖国の時代には国歌が必要だという概念があったのでしょうか。
その前の時代はこれが国歌だと示す機会があったのでしょうか。
NHKの大河ドラマを見ていても、将軍さんたちも朝廷の人たちもどこからも「君が代」を国歌と思っているふしが見えません。為政者に見受けられないなら、生活で目いっぱいの大多数の農民らにおいて君が代が歌われていたとも思われません。
とすると、「君が代」が国歌として登場したのは海外に門戸を開いた明治政府以後のことではありませんか。
立憲君主国日本であることを世界に知らしめるための国歌であれば、教育制度を整え「君が代」という国歌の普及を徹底したのも想像できます。
ここで、行き違いが起きてくるのではないでしょうか。
今は「君主国」ではないのです。民主主義国家になって60年になろうとしています。
60年前に明治開国の時と国のあり方に大きな変革があったのですから、「誰もが歌える国歌がほしい」という声に応えることが出来るのではないでしょうか。
「君が代」の歌が御殿の蔵書の中に古くからあったのかも知れませんが、民主主義国家の国民総意の歌があればもっといいのに…。
きっとそれはなにより有能な外交官の役割もしてくれるかもしれないのに…。
国際間で国歌を変えてはいけないという決まりがあるとも思えません。子供の時から慣れ親しんだという方もあるでしょう。
みんなに聞いてみたらどうでしょう。
けっして国歌を歌いたくないのではないのです。