午後の地下鉄で。
7人掛けシートの二人挟んで向こうから尖がった女性の声が聞こえてきた。隣の座席の人に怒っているらしい。場所を弁えず夫婦喧嘩かなとも思ったが、お隣は女性だった。
声の主は80歳近く。お隣は60歳位か。
「私はあなたのおばあさんではありません。謝ってください。あなたが私をおばあさんと呼ぶのは失礼だ」と聞こえる。
「キチンと誤りなさい」「失礼だ」と連呼している。
向かいの席の男子学生らが3人、含み笑いを堪えたような表情で、誰も何も言わない。
お隣の人は深く考えずに、呼びかけのことばとして使ったのだろう。
声の主は、日頃から日本語の人間関係をあらわす言葉と年齢に応じて呼び習わされている呼称のあいまいさに、不快感を持っている人なのだろう。
思いがけず怒りを買うことになったその人は、きっと今後は見ず知らずの高齢の女性に「おばあさん」とは言わないだろうな。
そう、私もこれからは気をつける。
どうでもいいことのようにも思えるのだけれど、そう思わない人に我慢を強いることはないと思うから。
そう言えば、このごろは「奥さん」と呼ばれても、聞き流せるようになったと、40歳近くの独身女性からぼやきを聞いたこともある。
「お姉さん」「奥さん」「オバサン」「おばあさん」といろいろ。
人は見ず知らずの人から、そう呼ばれて、ちょっと傷ついたり、鈍感になったりしながら振り返っている。
私は、子供も巣立ってしまったけれど夫を「おとうさん」と呼ぶ。
なんか、まだ子育てしていた頃の残り香があったほうが、味わいがあるような気がして。
子供の親になりたての頃は、自分を「お母さん」と呼ばせることが気恥ずかしくて、無機質っぽい響きを持つ「ママ」と呼び習わしていた。あるとき長女が「おとうさん・おかあさん」と呼び方の練習をし、弟にも指南している。事情を聞くと「幼稚園になったから、パパ・ママではおかしい。これからは、おとうさん・おかあさんに替えたい」との申し出(笑い)。
それから夫は「おとうさん」です。
7人掛けシートの二人挟んで向こうから尖がった女性の声が聞こえてきた。隣の座席の人に怒っているらしい。場所を弁えず夫婦喧嘩かなとも思ったが、お隣は女性だった。
声の主は80歳近く。お隣は60歳位か。
「私はあなたのおばあさんではありません。謝ってください。あなたが私をおばあさんと呼ぶのは失礼だ」と聞こえる。
「キチンと誤りなさい」「失礼だ」と連呼している。
向かいの席の男子学生らが3人、含み笑いを堪えたような表情で、誰も何も言わない。
お隣の人は深く考えずに、呼びかけのことばとして使ったのだろう。
声の主は、日頃から日本語の人間関係をあらわす言葉と年齢に応じて呼び習わされている呼称のあいまいさに、不快感を持っている人なのだろう。
思いがけず怒りを買うことになったその人は、きっと今後は見ず知らずの高齢の女性に「おばあさん」とは言わないだろうな。
そう、私もこれからは気をつける。
どうでもいいことのようにも思えるのだけれど、そう思わない人に我慢を強いることはないと思うから。
そう言えば、このごろは「奥さん」と呼ばれても、聞き流せるようになったと、40歳近くの独身女性からぼやきを聞いたこともある。
「お姉さん」「奥さん」「オバサン」「おばあさん」といろいろ。
人は見ず知らずの人から、そう呼ばれて、ちょっと傷ついたり、鈍感になったりしながら振り返っている。
私は、子供も巣立ってしまったけれど夫を「おとうさん」と呼ぶ。
なんか、まだ子育てしていた頃の残り香があったほうが、味わいがあるような気がして。
子供の親になりたての頃は、自分を「お母さん」と呼ばせることが気恥ずかしくて、無機質っぽい響きを持つ「ママ」と呼び習わしていた。あるとき長女が「おとうさん・おかあさん」と呼び方の練習をし、弟にも指南している。事情を聞くと「幼稚園になったから、パパ・ママではおかしい。これからは、おとうさん・おかあさんに替えたい」との申し出(笑い)。
それから夫は「おとうさん」です。