日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

詩集 再読 - 「すこしゆっくり」征矢泰子詩集 -

2006-11-04 12:35:22 | 私の雑感あれこれ
久しぶりに書棚にハタキをかける。
夫が随分本の処分をしたこともあって、今まで目が止まることもなかった本を久しぶりに引っ張り出す。

 『 すこしゆっくり 』  征矢泰子詩集

  おわりに(から以下抜粋)

時間は、逃すまい、喪くすまいと追えば追うほど、よりはやく過ぎ去っていくものであることに、わたしは今やっと、気がついたところです。
 今日からは、もっとゆっくり、そしてその分もっと深く、生きていこうと思います。時間を追わず、時間に囚われず、生きていくつもりです。
1984年秋

 この詩集が発刊されたとき、省略した文面から、この時、お子さんが大学生らしいから、22年経った、今頃は70代なのでしょうか。

この本を買い求めた、22年前の自分を思う。
22年なんて、すごく長いのに、好みの捉え方って、ちっとも変わってやしない(笑い)。
これひとつと、取り出すのは難しいのだけれど、今日の私の気持ちとして、書き写すとしたらこれをひとつ。

- マザーテレサに -

ひとめ見たときから
あなたは空っぽだった
あなたはそこ テレビジョンの中にいて話しつづけ
ときどき あたたかく微笑みさえしたが
なおまぎれもなく
あなたは空っぽだった
なくしたのでなくこわしたのでなくあきらめたのでなく
樹木が育っていくような果実が熟れていくような
そのすこやかな空っぽの
あなたのなかにはもうあなたがいなかったので
いつでもだれでもが
あなたのなかにははいることができるのだった
どうやって
あなたと他人(ひと)を区別できよう
あなたをみたしているのは
いつもいっぱいの他者であるときに
あなたははやあなたのものではなく
あなたをもとめる他人々々(ひとびと)こそが
あなただったので
ひと目 みたときから
あなたは空っぽだった
完璧な至福のように
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