日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

立ち話から。

2006-11-21 17:45:26 | 私の雑感あれこれ
夕暮れ時、バスを降りて、もうすぐ自宅というところで、ご近所さんに出会い、挨拶。
80歳ぐらいのご年配。ゆっくりとしたO脚気味の歩き方に、つい自分の母を思い出して、「膝が痛いのですか」と、声をかける。

「いやー、私はビッコなのです。左足が右よりこれほど短いのです」と、5センチほどの長さを指で示す。
「あっ、ごめんなさいね。知らなかった。自分の母親が膝がもっと、もっとO脚になってしまって、痛いといっているもので…」と、少しバツが悪い。
「私はね、戦争中に焼夷弾に左足の膝をやられて…。みんなが、そろそろ防空壕から出ようといって、最後に出た私に弾が当たったの」
なんと、思わぬ話を聞いてしまいました。
その時19歳。
松葉杖になってしまって、膝が曲がらず、もう結婚もできないとまで思って…。
でも、命が助かってよかったわね。
さぁ、命が助かったのが良かったのかどうか。
-返す言葉がない。

回復して、松葉杖をつかなくても良くなっても、若いときはビッコが嫌でね、片足を爪先立ちで歩くようにして、無理をしていたわね、と微笑う(わらう)。
無意識に爪先立ちをしなくなったせいもあって、年とともに足の長さの違いは目立つように、なったという。
そんなことを知らずに、ゆっくりの歩行を、膝痛と勘違いした私。
3年ほど前から、保険で靴底矯正の靴を作ってもらえるようになったとのこと。
それまでは、戦争での被害者だけれど、補償の対象にはならず、負傷した人個人の問題のままだったという。今も保険で矯正靴底を作れるのは1年半に1足という限定があるとのこと。
「新しい靴で靴底補正をすればよかったのに、以前から使っていた靴でしたものだから、ほらこんなになって」とほころびそうなつま先を指で示して、色を塗ったりして、ごまかしているのと、微笑う。
もう80歳は超えている彼女の話です。
カンボジアなどの、地雷被害者の話は聞くけれど、貧しかった日本も、戦争で被害にあった民間人は、ずっと置き去りにされていたのだと、そんなことをはじめて知った夕暮れ時でした。

※ 「ビッコ」は、表記禁止語かもしれないけれど、19歳で負傷したときから、彼女が背負ってきた自分自身のこととして、自分の口から語っていることなので、そのままにしました。
コメント
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