自殺のニュースが新聞やテレビにしばしば登場します。
いじめによる自殺予告も出て、教育関係者は戦々恐々です。
それなりに長く生きてきたので、自殺したと聞こえてきた話を幾つも記憶しています。
青年期の息子だったり、子供を残して若いお嫁さんだったり、子育てが済んだお父さんだったり。
私の暮らしているところからではなく、母からの電話の中での話が殆どだから、18歳で故郷を離れている私には、亡くなった人の面影が、ぼんやり記憶にあるかどうかの知り合い程度なのだけれど、時代を追って思い出してみると、生き辛さって言うものが、結構、あちこちに点在しているのだな、なんて思ったりする。
死んでしまった人に、もう声はかけられないのは判っているのだけれど、何で、そんな選択をしなくてはならなかったのか、ちょっと横に逃げて、目の前の悩みをかわせなかったのか、その一瞬はどんな思いなのか、そんなことを考えている自分がいる。
鉄道が近いので、鉄道自殺もいくつか知っている。
「『いない』『姿が見えない』そういって、みんなで探したらね、朝、嫁さんが履いていたズボンが線路脇に…、お父さんも(母は90歳のおばあちゃん。だから同居の兄のことをこういう風に呼ぶ)箸で粉々になった遺体を拾ってね…、」という話も聞いたことがある。
また、そんな経験を、と私は思う。兄の同級生が列車から落ちて死んだときも、割り箸で散り々々になった肉片を拾ったという、かつての話を思い出す。
実家に帰ったときに、敢えて話題にすることもないけれど、なかなか出くわすことのない体験をやっているのだな、と思ったりもする。
新聞に掲載されたかどうか知らない。母が伝えてくれる話は、小さな田舎町の辛く悲しい本当の話。
長年生きていると、いろんな体験や見聞きしたことが蓄積されていく。
テレビの全国ニュースで流れる話のほかにも、届かない悲鳴をあげて命を絶った人たちがいることを、ニュースを聞く都度に思い起こす癖があるものだから、若い職業アナウンサーが伝える口ぶりに、距離を感じたりするが、経験は一人ひとり違うから、これは仕方がないことなのだろう。
画面に向かって、語っている「死ぬことはない。方法はあるハズ」と。
いじめによる自殺予告も出て、教育関係者は戦々恐々です。
それなりに長く生きてきたので、自殺したと聞こえてきた話を幾つも記憶しています。
青年期の息子だったり、子供を残して若いお嫁さんだったり、子育てが済んだお父さんだったり。
私の暮らしているところからではなく、母からの電話の中での話が殆どだから、18歳で故郷を離れている私には、亡くなった人の面影が、ぼんやり記憶にあるかどうかの知り合い程度なのだけれど、時代を追って思い出してみると、生き辛さって言うものが、結構、あちこちに点在しているのだな、なんて思ったりする。
死んでしまった人に、もう声はかけられないのは判っているのだけれど、何で、そんな選択をしなくてはならなかったのか、ちょっと横に逃げて、目の前の悩みをかわせなかったのか、その一瞬はどんな思いなのか、そんなことを考えている自分がいる。
鉄道が近いので、鉄道自殺もいくつか知っている。
「『いない』『姿が見えない』そういって、みんなで探したらね、朝、嫁さんが履いていたズボンが線路脇に…、お父さんも(母は90歳のおばあちゃん。だから同居の兄のことをこういう風に呼ぶ)箸で粉々になった遺体を拾ってね…、」という話も聞いたことがある。
また、そんな経験を、と私は思う。兄の同級生が列車から落ちて死んだときも、割り箸で散り々々になった肉片を拾ったという、かつての話を思い出す。
実家に帰ったときに、敢えて話題にすることもないけれど、なかなか出くわすことのない体験をやっているのだな、と思ったりもする。
新聞に掲載されたかどうか知らない。母が伝えてくれる話は、小さな田舎町の辛く悲しい本当の話。
長年生きていると、いろんな体験や見聞きしたことが蓄積されていく。
テレビの全国ニュースで流れる話のほかにも、届かない悲鳴をあげて命を絶った人たちがいることを、ニュースを聞く都度に思い起こす癖があるものだから、若い職業アナウンサーが伝える口ぶりに、距離を感じたりするが、経験は一人ひとり違うから、これは仕方がないことなのだろう。
画面に向かって、語っている「死ぬことはない。方法はあるハズ」と。