作者は話し運びを急がない。
ゆっくり、日を追って、時間を追って書いてゆく。
生活にゆとりのある家庭、中学受験に熱心な母親(←なーんだ、結局親は昔も今も変わらない、と思う)。
幼年学校進学が将来の展望が開ける道と考える世相(←有産階級の知識人と思われる人々も、わが子の将来について、この路線をよしとしたのですね)。
東京に焼夷弾が降る日。燃え尽きる大病院。一面の焼け野原。疎開児童の窮乏。そのときに在っても潤沢な暮らしを続けられる人々。
平和主義を口にすると拘禁されてしまう時代。
断片的に知りえても、その時代を生きていないと、なかなか理解できないものってある。そして、こうしていくら書物で知りえても、書き手の生きてきた場所、書かんとする切り口でしかない、と言われてしまえばそれまでです。
でも、そうであっても、その後を歩いているものにとっては、先の時代を体験した人たちが、書き残そうとして下さっていることに、こうして書き物の形で、出会えることは宝です。
どの時代のひとも、幸福を追い求めていることでは、そう差がありません。
だけれど、舵を取る人の、国の方向が狂ってしまうと、こんなにも、本来は知性ある人である人たちも、国のために、天皇のために、という思考回路が出来上がってしまうと言うことを、教えられます。
かつて、私達の国が、そういう時代を経てきたことを、知ります。
戦後も60年を超え、戦争を指揮した人、出征した人は、少なくなっています。
この本の書き手も、幼年学校2年(年齢で言えば中学3年)で、終戦を迎えています。一人ひとりにとっての戦争の記憶があり、8月15日の記憶がある人たち。
加賀乙彦さんのライフワークの著書と聞いたこともあります。
彼は第6巻の最後に、幼年学校から復員してきた悠太が父親に語る言葉を通して、あの8月中旬の記憶を丁寧に記しています。
そうなのです。ひとは、弱いのです。
幼いときから平和主義を排斥し、言論統制され、国に命を捧げることを教えられて、育った記憶のある世代が私達に書き残してくださる遺言書、そんな思いもしないではありません。
余談
その1 戦後世代は、この陸軍幼年学校とか、士官学校とかのことは、耳にしたことがあっても、その仕組みは知りません。
この本によると、中学生(勿論、旧制)に入学後、希望者が受験するらしいです。
そのための塾もあって、旅人算、やら鶴亀算といった、問題の特訓をしたらしいです。
その2 近親者から聞いた話では、学費はかからず、小遣いもでたとか。
だから、母子家庭だったこともあり、中学に通わせておくよりも助かったと。
→ 国は優秀者を集めたかったのでしょうね。
その3 以前読んだ記憶から
新聞のコラムの河合隼雄さんの話。男兄弟が4人(?)で、その年頃になると、学校の先生が、成績のめぼしい生徒に、幼年学校進学を勧めたものだと。
彼のご両親は、いくら先生に勧められても、それを断ってくれたことは、ありがたかったと、述べておられました。
ゆっくり、日を追って、時間を追って書いてゆく。
生活にゆとりのある家庭、中学受験に熱心な母親(←なーんだ、結局親は昔も今も変わらない、と思う)。
幼年学校進学が将来の展望が開ける道と考える世相(←有産階級の知識人と思われる人々も、わが子の将来について、この路線をよしとしたのですね)。
東京に焼夷弾が降る日。燃え尽きる大病院。一面の焼け野原。疎開児童の窮乏。そのときに在っても潤沢な暮らしを続けられる人々。
平和主義を口にすると拘禁されてしまう時代。
断片的に知りえても、その時代を生きていないと、なかなか理解できないものってある。そして、こうしていくら書物で知りえても、書き手の生きてきた場所、書かんとする切り口でしかない、と言われてしまえばそれまでです。
でも、そうであっても、その後を歩いているものにとっては、先の時代を体験した人たちが、書き残そうとして下さっていることに、こうして書き物の形で、出会えることは宝です。
どの時代のひとも、幸福を追い求めていることでは、そう差がありません。
だけれど、舵を取る人の、国の方向が狂ってしまうと、こんなにも、本来は知性ある人である人たちも、国のために、天皇のために、という思考回路が出来上がってしまうと言うことを、教えられます。
かつて、私達の国が、そういう時代を経てきたことを、知ります。
戦後も60年を超え、戦争を指揮した人、出征した人は、少なくなっています。
この本の書き手も、幼年学校2年(年齢で言えば中学3年)で、終戦を迎えています。一人ひとりにとっての戦争の記憶があり、8月15日の記憶がある人たち。
加賀乙彦さんのライフワークの著書と聞いたこともあります。
彼は第6巻の最後に、幼年学校から復員してきた悠太が父親に語る言葉を通して、あの8月中旬の記憶を丁寧に記しています。
そうなのです。ひとは、弱いのです。
幼いときから平和主義を排斥し、言論統制され、国に命を捧げることを教えられて、育った記憶のある世代が私達に書き残してくださる遺言書、そんな思いもしないではありません。
余談
その1 戦後世代は、この陸軍幼年学校とか、士官学校とかのことは、耳にしたことがあっても、その仕組みは知りません。
この本によると、中学生(勿論、旧制)に入学後、希望者が受験するらしいです。
そのための塾もあって、旅人算、やら鶴亀算といった、問題の特訓をしたらしいです。
その2 近親者から聞いた話では、学費はかからず、小遣いもでたとか。
だから、母子家庭だったこともあり、中学に通わせておくよりも助かったと。
→ 国は優秀者を集めたかったのでしょうね。
その3 以前読んだ記憶から
新聞のコラムの河合隼雄さんの話。男兄弟が4人(?)で、その年頃になると、学校の先生が、成績のめぼしい生徒に、幼年学校進学を勧めたものだと。
彼のご両親は、いくら先生に勧められても、それを断ってくれたことは、ありがたかったと、述べておられました。